愛して欲しい
玄関で後ろを振り替えってそう告げれば、アントーニョがにっこりと笑って手を振った。
今日は、久々にアントーニョの家に俺から出向いていた。最近忙しいと、そればかりあいつが口にしていたから。噂に聞けば、飯もまとに食わないくらいに仕事が詰め込んでいるらしかった。だから、弟に慣れない料理を教わって、必死に覚えて、それをあいつに食べさせようと家にいきなり押し掛けた。
いきなりやってきた俺を見て、やな顔せずに明るく迎えたアントーニョは、どないしたん、めずらしいんやないのっと少し驚いた表情も浮かべていた。それもそうだろう。アントーニョと恋人という関係なってから、俺が家に自分から行ったのは今回が初めてで。呼ばれない限りは、一度も自分から行ったことがなかった。
どうしても恥ずかしくて。嫌な顔をされたらどうしようと不安ばかりで。
それらが、出向くことを阻止していた。
恋人という関係になってから、キスは数えるくらいにしかしてなくて。もちろん、セックスなんて一度もしたことがない。
本当に、愛されているのか。と不安ばかりが募っていく。
「無理するなよな」
「わかっとるって。気を付けて帰るんやで?」
「ああ、わかってる」
そう答えたところで、部屋全体に携帯の着信メロディーが鳴り響いた。アントーニョの方をちらりと見れば、首を振って俺のポケットを指差していた。
慌てて携帯を取り出せば、弟からの着信だった。出るか出ないか、迷う。
じっと携帯を見つめていたら、アントーニョが出てあげればええやんと、声をかけてきた。小さく頷いて、俺は電話にでた。
「もしもし」
「あ、兄ちゃんやっと出た。遅いよ。ねぇ、いま暇?もうアントーニョ兄ちゃんの家出たよね?」
「あ、ああ。いま出ようとしてたところだ。」
「いまね、俺の家の近くの居酒屋貸しきって、飲み会してるの。歌とか歌ってて、すっごい盛り上がってるんだ。で、兄ちゃんも誘おうかと思って。来なよ。ベルベルもいるんだよ」
「ベルギーもいるのか?」
少しだけ弾んだ声を出した俺は、くるりと向きを変えてアントーニョに背を向けた。携帯を持ち直してしっかりと左耳に当てて、声を張り上げる弟に聞き返す。そうだよ、っと短く返ってきたから、俺は思わず笑った。
聞けば、他に居るのは弟の友達と、フランシスなんかもいるらしい。電話越しに聞こえるこの歌声は、たしか菊とかいう弟の友達だった気がする。どうやら盛り上がっているのは本当らしい。
]
「分かった。俺も行っ…」
行くといいかけた言葉を引っ込めて、俺は押し黙った。ぎゅっと目を瞑り、携帯を持つ手に力を込める。一瞬、何が起こったのか分からなかった。電話の向こうで、弟がどうしたのって不思議そうな声を出していた。
「行くなや」
今度ははっきりと、そう聞こえた。それから右耳に、甘くて痛い刺激が走った。かりっと耳を噛む音が、小さく聞こえる。そしてもう一度耳元で、低く甘ったるい声でアントーニョが囁いていた。行くなや、と。そう。
「兄ちゃん、どうしたの?それで、くる?こない?」
左耳から、弟の不思議そうな声がぼんやりと聞こえてきた。さっきまでしっかり聞こえてきていたのに、右耳に意識を傾けているからか、聞き取りづらかった。
「……断ってや。なあ、ロヴィーノ」
「兄ちゃん?」
両の耳から同時に声がする。そのことに内心パニックになりながら、こくこくと頭を縦に振る。アントーニョの問いかけに、イエスという意味を込めて。
「悪い。行かない」
短くそう告げて通話を切った俺は、携帯電話をポケットにしまおうとした。が、その瞬間、がっと手をアントーニョに捕まれてしまう。何事かと思って後ろを振り向けば、にっこりと笑うあいつと目があった。そして、無言のままでアントーニョは携帯を取り上げて、後ろ手に部屋に向かって投げつけた。がしゃんという音に、床に叩きつけられたことがなんなくと想像させられた。買ったばかりだと言うのにと、いまの状況に不釣り合いなことを考えてしまう。
「…あかん。したくなってもうた」
「は?」
ふいに後ろから抱き締められ、首筋に顔を埋められる。吐息が当たってくすぐったくてしょうがない。身をよじって離れようとしたが、ぎゅっと強く抱き締められて叶わなくなってしまった。
「せやから、したくなったんや。ロマとセックス」
「…いっ…いきなりなんだよ」
「いきなりやないで。前からしたかったんよ。やけど、ロマ初めてさんみたいやから、…遠慮してたん。やけど、こう可愛い反応されたら我慢なんてできへんわあ」
「訳わかんねぇ…」
高なる鼓動を必死に沈めようとする俺を余所に、あいつは更に俺に密着してくる。首筋からあいつが離れたと思ったら、今度は耳に違和感。ほら、こうするとかわええ反応するやんと呟いて、がりっと強めに噛まれた。びくんと体を震わせて、アントーニョの腕をぎゅっと掴む。ぞくぞくとする感じが、たまらない。
「…なあ。あかん?」
低く甘ったるい声で囁かれ、何も考えられなくなる。アントーニョの声だけが、俺を支配しているような感じがする。ぼーっとした頭で、俺はゆっくりと頷いていた。
「おおきに」
首筋に走る鋭くて甘い痛み。それも心地よくて。俺はゆっくりと瞳を閉じた。
大好きな大好きな、あいつに全てを委ねて。