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この悪魔、純情につき

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雨粒が傘をたたいている。
「あー、なんやもう、つまらへんなァ」
アザゼル篤史は声を張りあげて不満を言った。
傘をさして道を歩いている姿は、たくましい体つきの青年である。
芥辺が結界の力を解いたあと、さらに、人間に見えるように変装したのだった。
「せっかく、こんなカッコしてんねんや、いろいろとやりたいことがあるに決まってるやろーが」
「アザゼルさんのやりたいことって、ナンパですか」
同じく傘をさし、隣を歩いている佐隈りん子が冷ややかに言った。
佐隈の買い物の荷物持ちのために、アザゼルは結界の力を解かれたのだ。
「ああ、そうや。ワシは男やねんからなァ、機会があったら、ナンパしまくりたいんじゃ」
さっき、可愛い女の子と眼が合って、笑顔が返ってきたので、アザゼルは彼女に声をかけた。
けれども、その直後、殺気を背中に感じた。
振り返ると、グリモアを片手に持った佐隈が厳しい顔つきで立っていた。
だから、アザゼルはナンパをあきらめたのである。
「あーあ、ホンマにつまらんわァ」
佐隈は黙っている。
傘が邪魔をして、佐隈が今どんな表情をしているのか、アザゼルにはよくわからない。
「契約者やからって、権力ふりかざしてばっかりいるんやのーて、たまには、気ィきかせてくれてもええんとちゃうん」
アザゼルは佐隈が黙りこんでいるので一方的に文句を言い続ける。
「さくは心がせまいわ」
「アザゼルさん」
ようやく佐隈がしゃべった。

「私、もうすぐアクタベさんの事務所を辞めるつもりでいます」

その佐隈の声が、アザゼルの耳を打った。
まるで突然降ってきた大粒の雨のようだった。
なにが起きたのかわからなくて、ただ、びっくりした。

「借金は返し終わりましたし、もう大学三年なので、就職とか卒論のことをそろそろ真剣に考えないといけませんから」

言われたことの内容を、じわじわと頭が理解する。
佐隈が事務所を辞める。
嘘やろ、と思った。
今度はアザゼルが黙りこむ。

佐隈は話を続ける。
「事務所を辞めるときには、もちろん、アザゼルさんとの契約を解除します」
その表情は、傘が邪魔で見えない。
「だから、もうすぐアザゼルさんは自由になれます。良かったですね」
淡々とした口調で告げた。

アザゼルさんとの契約を解除します。
もうすぐアザゼルさんは自由になれます。

告げられたことが、頭によみがえって響いた。
なんやそれ、と思った。
歩く足が止まった。
しかし、佐隈はアザゼルが立ち止まったのに気づかない様子で歩き続けている。

良かったですね。

自由になれるから、良い。
ずっと自由になりたかったのだ。
だから、良い。
良い。
わけが、あらへん。
そう思った。

無意識のうちに傘を持っているほうの腕が下がっていた。
その手から、傘が道に落ちる。
雨粒が打ちつけてくる。
それでも、アザゼルは傘を拾わずにいる。
降りしきる雨の中、佐隈の背中を見る。
佐隈が離れていく。

「行かんといてや」

口が、いつのまにか動いていた。

「行かんといてや、さくちゃん」

声は徐々に強く大きくなった。

佐隈は驚いたように、びくっと身体を震わせ、立ち止まった。
だが、振り返りはしない。
もどってきてはくれない。

その背中に向かって、叫ぶ。

「どこへも行かんといてえや、さくちゃん……!」

顔をゆがめて、訴えた。

それでも、佐隈は動かなかった。

去ると心に堅く決めているからだろうか。
自分には、もうどうしようもないのだろうか。

アザゼルは眼をぎゅっと閉じた。
そして、うつむいた。
肩を落とし、立ちつくす。
あいかわらず雨粒が打ちつけてくる。
アザゼルの肌を雨が流れ、服は雨を吸いこみ、身体からポタポタと水滴が落ちる。
びしょ濡れだ。

「……バカなんですか」
佐隈の堅い声が聞こえてきた。
それも、近くからだ。
ハッとして、アザゼルは顔をあげた。
佐隈がいる。
背中を向けているのではなく、ちゃんと、アザゼルのほうに顔を向けている。
「こんなに雨が降ってるのに、傘を捨ててしまうなんて」
不機嫌そうな表情をしている。
見慣れた顔。
しかし、その顔をアザゼルはじっと見る。
「さく……」
「なんで、その姿なのに、いつもよりも犬みたいに見えるんですか」
佐隈は言う。
「いつもの犬面じゃないのに、そんな大きな身体してるのに、なんで、そんなに犬みたいなんですか」
怒っているような様子で、続ける。
「犬みたいだから、放っておけないじゃないですか……!」
その手が動いた。
傘を持っているほうの手だ。
アザゼルに、傘をさしかけてくる。
身長差があるので、あまりうまくいかないが。
正直、ここまで濡れてしまったのだから、もう傘はいらないとアザゼルは思う。
けれども。
アザゼルは佐隈の手から傘を奪い取った。
そして、傘をさす。
佐隈と自分のあいだに。
それから、アザゼルは歩きだした。
あたりまえのように佐隈も歩きだした。
ふたり、肩を並べて、相合い傘で歩く。

「さくちゃん、ワシ、さくちゃんとやったら三百年契約でもええわ」
「結構です。私は三百年も生きませんから」
「そんなことあらへん。さくちゃん、図太いから、三百年ぐらい余裕で生きるで」

佐隈は堅い表情をしている。怒っているようにも、困っているようにも、照れくさいのをごまかしているようにも見える。
その隣で、アザゼルの顔はニヤけている。
嬉しくて、嬉しくて、歩く足は弾んでいた。











作品名:この悪魔、純情につき 作家名:hujio