マチガイサガシ
そんな頭の悪い感情は間違い。ありえない。
全力で赤の他人に依存してどうするの。
誰にも寄り掛からず、誰にも負担をかけず、身軽に生きていかなきゃ駄目だよね。
むかつたり苛々したり嫌ったりする位なら、最初から相手に近づかなければいい。
深くまで踏み込まなければいい。
楽に生きていくためには、感情を揺らさないのが一番。
なんて賢くて冷静で理性的理論的な僕。
余裕すぎて、人なんて簡単すぎて、完全無敵な理想論をリアルに展開して、迷いなんてなくて。
なのに、なんでだろう。
最悪な事に僕は今、盛大に間違えている。
「とりあえず多少でも罪悪感を持ってくれれば、僕しては言い訳になるわけだけど」
僕を間違えさせている原因そのものが、その秀麗な眉をひそめてペットボトルに口をつけたまま、視線だけをよこした。
非好意的な感情が伝わる。……むか。
「俺は何も悪くないとか思ってるでしょ。腹立たしいったらありゃしない」
「突然思い付いたように八つ当たりをするのはやめてくれ。そして俺はなにも言っていない」
僕に抗議をする為に口を離したお茶のボトルを、スマートに取り上げる。
なんで君は玉露ばっかり飲むのかな。
もっと若者らしく、コーラとかさ。スポーツ選手らしく、アミノ酸とかさ。
「嫌なら飲むな」
文句を顔全面に押し出しつつ飲み下していたら、あっと言う間に奪いかえされた。
放課後の教室。
カーテンを引かない窓際の席で、わざとらしい位に焼けた夕日が照らす人影は、二つだけ。
学生らしい喧噪は、廊下の奥から、枠の外の校庭から、途切れて聞こえてきていた。
机を挟んで手塚の向かいに座りながら、特に意味も持たずにここにいた。
いや、意味はあるか。
オレンジに染まるこの人が綺麗で、本当に腹立たしい。
「誰が誰のための罪悪感を持てって?」
「君が僕以外の人間にどんな赦しを乞うというのかな」
「馬鹿馬鹿しい。俺がなにをしたというんだ」
「僕の輝かしい人生が急カーブだよ。僕はいつだって間違えた事なんてなかったのに。いつでも持論通り、素敵に理にかなった鋪装された道を悠々歩いて来たのに」
「石につまづいて脱線か」
「つくづく罪だよね、キミって」
「じゃあ俺から離れればいい」
「それは嫌」
そんなの出来ないって、知ってるくせに。
「…馬鹿か?」
「そうだよねえ。馬鹿だよねえ。そんな事は君に言われなくても分かってるんだよもうとっくにね。こんな理想からかけはなれてる僕はかなりありえない。でもね、君から離れる事とかって」
「不二」
「そっちの方がありえない」
「…」
言い切った僕を、手塚は呆れたように眺めていた。
僕を呆れていいなんて、キミだけなんだからね。本当。
「結局、どんな独り言だったんだ?」
少し笑いながら聞いてくるから、僕も微笑み返した。
「幸せって、予想外の場所に規格外のサイズで落ちてるものなんだねって」
「拾って文句言うぐらいなら、元の場所に戻せばいい」
「君から僕をひきはがせって?」
「別に、ひとりは嫌いじゃない」
しれっと言うから、胸の奥がざわりとして、すごく嫌な気持ちになった。
僕が隣にいる今は、独りではない今は、どうなの。
もしかして邪魔、なのかな。
聞きたいけど、怖くて聞けない。
もしうなずかれでもしたら、立ち直れない。
こんなにも僕は自信がない。
君のたった一言で、こんなに不安になる。
悔しくて仕方がないよ。
だから強引に名乗りをあげた。
「決めた。僕は絶対に君から離れないからね。君も自分の持論を壊してもらうからね。人間、いつもと違う所に行くと不安になったりするものだけど、僕がいつも横にいるから心配しなくていいよ。もう一生、独りが好きなんて言わせない」
机の上に広げてあった袋から、ポテトチップを何枚か掴んで口の中に放り込んだ。
僕はコンソメが好きだって言ったのに、のり塩以外は食べる気がしないって言うから、じゃあって言って、買った。
ポテチにはコーラじゃない?って言ったら、炭酸は苦手だって言うから、緑茶にした。
君の言うことなんて、君のお願いなんて、絶対に聞いてしまう僕だから、食べたら少し切なくなった。
僕は君を世界のまん中においてる。
君は?
手塚も、一枚つまんで口に運びながら、また少し笑って僕の顔を覗きこんだ。
「告白なら、もう少し穏便に頼みたいが」
「そう?」
「そしてわかりやすく」
「贅沢だな。なに、やりなおせっていうの」
「今後の為にも」
「ふうん」
わかった、とうなづいて、僕はイスから軽く腰をあげると、手塚のワイシャツの襟を左手で引き寄せ、右手で少し伸びた彼の茶色い髪をかきあげて、現れたその耳に向かって囁いた。
「君以外、なにもいらない」
夕日はまだ落ちない。
僕の手の中でさらりと遊ぶ髪は、優しくなった太陽色で、綺麗だった。
ゆっくりと手を離した。肉の薄い横顔を眺めた。
「あのさ。全力で照れる位なら言わせないでくれるかな」
「いや、そう来るとは思わなかったから」
照れる君は反則。
僕は無抵抗で殺されるしかない。
わずかに震え続ける手のひら、ばれませんように。
幸せって、恥ずかしがったら負けだ。
これは、僕の新しい持論。何ごとも前向きにね。
まったくもう、と座りなおして、今度は真正面から手塚を見つめた。
薄い硝子の向こうにある、知的な瞳。長いまつげにおおわれたそれ。なんて綺麗。
頬杖をつきながら眺めた。
「リクエストに答えたんだから、僕のお願いも聞いて欲しいんだけど」
「…なんだ」
僕は、半分に砕けたポテトチップをつまみあげた。
「次はコンソメがいい。しょっぱい、これ」
「ポテトチップというジャンルからは離れないのか」
「だってそしたら、あと残された道は和菓子でしょう?放課後の教室で、向き合って大福とかって切ないじゃない。ネタじゃない、それはすでに。好きだけどね!大福は!」
「わかった」
手塚は、手の甲で口元を押さえて笑いをこらえながら、僕に残りわずかなお茶をくれた。
ふたりでお茶一本とポテチひと袋だなんて。
「次は、そうしよう」
きっと僕は、君を失ったら泣くんだろうな。
誰が見ていても、何を言われても、恥も外聞も関係なく、大声で喚き散らすんだろうな。
きっとかっこ悪い。間違ってない頃の『正しい僕』が、せせら笑うだろう。馬鹿だと見下すだろう。けど。
僕は今こうして、君の言葉に嬉しくなったり、もしも君を失った時の恐怖に怯えたり、ぐらぐらする心臓を抱えて、なんだかとても幸せな感じがするんだ。
痛くない苦しくない時間だけが、正解じゃないんだな。
頭悪いのも、楽しいな。
僕は君が大好きだから、もうそれだけでいいや。