カマかけただけ
いきなり目の前でぱっとふすまが開いて、驚いた政宗は反射的に数歩下がっていた。それを目の前に男に気取られるのが面白くなくて、わざと腕を組んでなるべく高圧的に見えるような態度を作る。
「たまたま通りかかっただけじゃ」
「そのわりには、しばらくふすまの前で中の様子を窺っていらっしゃったようですが」
「ふん、わしに聞かれてはまずい話でもしておったのか」
「まさか。つい先程まで、そこにねね様がいらっしゃっていたのですよ。秀吉様について湯治に行かれておられたのですが、昨晩帰られまして。そのお土産をわざわざ手渡しに来て下さったのです」
「みやげ?」
「温泉まんじゅうだそうです。…政宗様もいかがですが?」
政宗は控えめに頷いた。
「なぜ温泉ならまんじゅうと相場が決まっておるのじゃろうな」
湯気を模した焼き印が押された黒っぽいまんじゅうをしげしげと眺めながら、政宗が呟く。
「こたつにみかんのようなものでしょう、たぶん」
招き入られるなり胡坐をかいた政宗とは対照的に、幸村はきっちりと姿勢を正して座っている。武人らしい骨張った指が、慣れた仕草で茶を淹れるのを、政宗は何とはなしに見詰めていた。
突然その手が止まった。どうしたのだろうと思って見上げると、幸村が苦笑いを浮かべていた。
「…そんなに凝視されると、やり難いのですが」
「なんじゃ、見とるだけではないか」
「面白いものではありませんよ」
「別によい。単にわしが見たいだけじゃ」
「…そう珍しいものでもありませんでしょう」
「わしは初めて見た」
「............」
幸村は何か言いたそうな顔で、しかし結局何も言わずに茶を二人分、湯呑みに注いだ。ほかほか湯気の立つそれを受け取り、政宗が息をふうふうかけて冷ましていると、突然幸村が吹き出した。
「なんじゃ、いきなり」
「すいません、つい」
「…子どもっぽくて悪かったな!わしは猫舌なのじゃ!」
「そうなのですか。言って下されば井戸水にしたのですが。夏ですし」
「ふん!」
政宗はやけになって、まださまし切れていない湯呑みを一気に呷って、案の定、むせた。
「げほげほっ!」
「っなにしてるんですか政宗様!」
驚いて近付いてきた幸村が、政宗の背中を軽く叩いた。とんとんと一定の調子で身体に響く振動に、徐々に落ち着いてくる。
幸村が手ぬぐいを差し出してきたので、ひどくむせて涙目になっているのを自覚しながらも、ありがたく受け取って口元を拭く。
「だいぶ収まってきたようですね」
幸村はよかった、とほっと胸を撫で下ろした。
「…胸のあたりが熱い」
「大抵の人はそうなりますよ」
「口の中がひりひりする」
「火傷したのでしょう、あんなことするからですよ。…本当に何してるんですか政宗様」
「……。……前から思っていたのじゃが」
「はい?」
政宗は手に持ったままだった湯呑みを置くと、幸村に向かい合うよう座りなおした。なぜか正座で。幸村もつられて姿勢を正す。
「お前、わしに様付けなんぞしとるわりには、三成やら兼続やらよりも遠慮が無くないか?」
「そうですか?」
「絶対そうじゃ!貴様、わしが年下だからといって舐めておるじゃろう!?」
「そういうわけでは…。ですけれど、そう見えたのでしたら謝ります。申し訳ありません」
ぺこりと頭まで下げられて、政宗は一寸怯んだ。その上余計に自分だけが子どもっぽいように感じられて、妙に居た堪れない気分になる。
「…私は、これから政宗様にはあまり近付かないほうにしたほうが良いでしょうか?」
独り言のような問いに、政宗はぎょっとした。別にそんなつもりで言ったわけでは。
「な、なぜそうなるのじゃ!」
「また私が気付かないうちに不愉快な思いをさせてしまうのは忍びないですし…」
政宗はもの凄く慌てた。慌てたが、何と言えばいいのか分からないでいる間に幸村は一人で決めて、あっという間に距離を置かれてしまうだろう。
「ゆ、幸村!」
心底慌てていたせいで言葉がつっかえた。みっともないが構っていられる余裕はないくらい、今の政宗は焦っていた。
「はい」
「今のは冗談じゃ!本気にするな馬鹿め!」
馬鹿馬鹿と安易に人に向かって連呼するのはよくないですよという家臣の小言が脳裏に過ったが、気付いたのは口にした後だった。
気付いてさらにあわあわとしていると、またも幸村が吹き出した。
「何を笑っておるのじゃ貴様は!」
「いえいえ…。先程も申しましたように、別に政宗様を見下すようなことをしているつもりはないのですよ。ただ」
「ただ?なんじゃ」
「…怒りません?」
「怒らぬから言うてみい」
「では正直に申し上げますと、政宗様はそういうことに対しての反応が大変宜しいのでついつい…」
政宗は一寸考えて、はたと気付いた。
「……おっ前、無理矢理丁寧ごかして言っておるが、それ要はわしの反応が面白いからからかって遊んでおるということじゃな!?」
「……」
幸村は柔らかく微笑むだけで否定しない。
「~~っ!!……っっ!!」
政宗は、様々な感情がまぜこぜになったような顔で、声もなく身体をふるふると震わせている。
「政宗様、手が震えておられますよ」
「うっさいわ!元凶が何を言うか!」
その後しばらく、政宗は怒涛のごとく幸村にあらんかぎりの罵倒をぶつけたが、当の本人はただにこにこ笑っているだけだったという。