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孤独な彼との数ヶ月 3

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――三ヶ月目――




『冷たい口づけ』





復讐に意味などない。なんの実りもない。その行為に特別、歓喜することもない。ただただ淡々とこなすだけの無意味な作業だ。
復讐というのは、べつに、必要だったり、どうしてもしたいからする、のではなく、ただそれ以外に心をなだめるすべがないから、しかたなくはじめることなのだ。
別段そんなことを知りたくもなかったが、雪男は、最近、それを知った。
そして、復讐の先には、“ 満足のいく結末 ”など存在しない。
とくに、それが、愛する者をうばわれての復讐となると、復讐を成し遂げたところで、一番の望みである“ 愛する者が還ってくる ”ことはないのだから、目的と希望は当然のように一致しない。
だから、よけい、その先に“ 満足 ”などありえないのだ。
それでもなお復讐するのは、もはや惰性のようなもの、としか雪男には説明できなかった。
そもそも、兄が処刑されて以来、身のうちに巣食う恨みや怒りは、誰に分かってもらうつもりもない感情だ。
逆恨みだと祓魔師たちは言うが、なにが逆恨みなものか。
これは、正当な怒りだ。そして、復讐もまた、けっして間違いだとは思わない。
はじめて、兄の死を知ったときのことを思い出して、ふつふつと沸き起こってきた怒りのまま、雪男は、しずかな夜の廃屋で、血まみれの死体を革靴で蹴り上げた。
顔を確認すると知り合いではなかった。
知り合いだったとしてもあまり気にはしないが、うっかり、しえみあたりを殺しては兄が悲しみそうなので、一応、気をつけたいとは思っている。
そうだ、もし、兄が、人としての心を残していたのなら、知り合いが死んだのなら気に病むにちがいない。とにかく、やさしい人だった。悪魔だということが嘘みたいに。
魔神の力を継承していることを理由に燐が処刑されたのは、少し前の話になる。
『ちょっと、出かけてくる』
と、言い置いて、それきり帰ってこなかった。
逃げることなく、大人しく出頭したそうだ。
肝心なときに馬鹿なことをしでかすことがあると思っていたが、逃げなかった理由がまたどうしようもなかった。


―― ここでおれが逃げたら、雪男に迷惑かかるしな ――


逃げなかった理由を、そうフェレス卿に話したらしい。
そのまま大人しく処刑されるほうが、雪男にとって、もっと最悪の選択肢だとなぜ考えなかったのだろう。
常々、学力などについては馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまでだと、見守るほうにも本人にも救いがないものだ。
付き合っていたし、愛していると何度もささやいた。
兄を失わないために、どんなことだってしてきたつもりだ。
兄にそんな努力を悟らせることはなかったが、愛する者が自分のもとから永遠に失われる苦痛がどんなものかを、養父の死というできごとから、燐だって知っていたはずだ。
それなのに、まるで、そうすることがあたりまえであるように自分を残して死を選んだ。
耐えがたい間違いだ。
そう詮無く何度も考えたことをあらためてここでも考えながら、一体一体、死体の顔を見下ろす。
そんな雪男の背後から、黒いコートを着込んだ青年がしずかに近づいてきた。
廃屋のひび割れた床を、かれのブーツが、ほんのわずかコツコツと音をさせながら歩を刻む。
大仰な足音もなく、気配もやや希薄だ。
そして、雪男の近くでそのひかえめな音が止まる。
雪男は振り返った。
2メートルほど離れたところに、生きていた頃の深い海を思わせる青の瞳ではなく、生気のない漆黒の瞳に、ぼんやりと雪男の姿をうつしながら、燐が立っていた。
否、正確には、燐の亡骸を使って作った、生き人形だ。
悪魔落ちしてすぐに作ったものだが、できは上々だ。
兄の死体を使った人形をはべらせている自分の行いは、傍から見たら狂気の沙汰だろう。
だが、これでいい。
たとえ魂のない抜け殻であろうとも、兄の面影が近くにあるなら、とりあえずは、それで満足だ。
心を吹き込むための儀式も着々と進んでいる。
古い文献を読み漁り、ついに見つけた魂の拘束方法。それを成すために、もっと犠牲が必要だ。
できるかぎりたくさん殺して、大勢の祓魔師を生贄に、兄の魂をこの抜け殻に定着させるつもりだ。
まだ少しかかるだろうが、それも今しばらくの辛抱だ。
「もう少し、こっちへおいで」
やさしく呼ぶと、生き人形は雪男のすぐ隣りまでやってくる。
雪男は燐の頬についた血を親指でぬぐってやった。
祓魔師の汚い血などでよごれたままでは、雪男のほうが落ち着かない。
滑らかな肌は、白く、暗闇で浮かび上がって見えた。
生前は、持ち前のいたずらっぽい表情に隠されていたが、こうして表情のない兄をみると、その顔は、恋人の贔屓目にみても、整っているほうだと雪男は思った。
きれいな顔だ。この顔が死の苦痛に歪むのを直接見られずに済んだことは幸運だったのか、それとも……。
ひとつ言えることは、もしその顔を目にしていたら、間違いなく、祓魔師たちを、この程度の殺し方で済ましてやることはなかっただろう。
暗いうつろな瞳をのぞきこむようにしながら雪男は口を開いた。
「みんな殺した?」
「はい」
雪男の問いに燐が従順に答える。
そこには、生前の明るさや力強さを見いだすことはできない。
ただただ、むなしいばかりの忠誠があるのみだ。
燐の体を使ってできてはいるが、いわゆる傀儡とかわらぬので、それはしかたのないことだった。だが、雪男は、はじめこそ、それに慣れなかったが、今は気にならない。
もう少し犠牲を払って、儀式を完成させれば、燐の魂を、この生き人形に吹き込むことができる。
そうすれば、この生き人形は、兄そのものになる。
ことがすべてうまく運べば、この世に引き戻された兄には怒られそうだが、それも気にはならない。
燐の意思は、もはや重要ではない。燐が意思を貫いた結果が、かれの喪失であるのだから、雪男には、もう、燐の意思など、尊重する気はないのだ。
兄の魂を自分のそばに縛り付けることへの罪悪感もない。
死者への冒涜も慣れたものだ。雪男はすでに人間ではないのだから。
瞳の奥に、淀んだ生がにぶく浮かぶ燐の瞳を見つめながら、雪男は燐の腰に手をまわす。
燐は微動だにしない。
「目を閉じて」
命じると、燐はそっと目を伏せた。
抱き寄せて、頬に手を添えながらそのくちびるを塞いで。
燐の肌は、冷たかった。
一方的なくちづけもまた、孤独と独りよがりな愛に満ちていて、ただただ冷たかった。