しゃっくり
「ひぃっく」
「ひぐッ」
「・・・うっさいですよ、この酔っ払い」
「う、うるせーな、俺だって、ひぐッ・・出したくて出してる訳じゃ・・」
ギルベルト君が饅頭を何十個と平らげて茶を啜っている頃だ、所謂しゃっくりが出始めたのは。ちなみにドイツ語ではシュルックアウフというらしい。・・・ちょっとかっこよくて悔しいなんて思ってませんよべつに。こっちが居間でがりがり書類にサインしてるときに目の前で不定期にひっくひっく言われてちゃあ気も散るもんだと思う。しかもこの人はもともと声が大きい人だからしゃっくり1つ1つの音量がまた大きい。抑えようという気もないから容赦ない。ひっく。ああほらまた。ふと溜息をついた丁度その折、昔、近所のおばあさんに聞いた話を思い出した。からかいついでに伝えてみようと、この時にはほんの出来心だったのだ。
「ねえ、ギルベルト君」
「んぁ?・・・ひっく」
「しゃっくりって、100回すると死んじゃうらしいですよ」
「え・・・」
嘘だろー、と笑って流してくれるのを期待したのだが。案外ど真ん中に受け止めたようで真顔だ。そうかと思えば酷く焦った顔になり、シリアスな空間を作り出す。そしてその合間を縫ってしゃっくりが響いた。
「・・・きく・・・もう53回しちまったぜ・・?」
「え・・・数えてたんですか・・?」
「どうすっかな・・」
むー、真剣に悩み始める彼。そのうちによし、と思いついたように膝をたたく。
「ルッツには・・悪かったと伝えてくれ。まさか、ひっく、しゃっくりに殺されるなんてよ」
「え」
「遺言だよ。100回したあとじゃ遅いだろ」
悲しげに笑って、80回目まで彼の遺言は続いた。半分ほどは弟に宛てたもの、残りの半分で友人関係。
いい終えてふう、と少し息苦しそうな様子のギルベルトくんが私の顔を覗き込む。それはにっこりと実に晴れやかな顔だった。
「残りはぜーんぶ、菊にやるからな、ひぐッ」
「ああ・・ええ、ありがとうございます」
「えっとな」
ひっく
「最初はめんどーなのが来たなって思ったんだぜ」
ひっぐ
「でもお前真面目だし、いう事聞くし、俺のこと驚くくらい素直に讃えるし」
ひぐ
「変なやつーって思ってたら目が離せなかった」
ひぇっく
「ずーっと見てたら、お前は誰にだって優しくて、丁寧なんだって知った」
ひっぐ
「すげえ奴だなって思ったけど、反面、俺が特別だったんじゃ」
ひっぐ
「ないって思うと悔しくてよ」
ひぐ
「そのときに、知った。わかった」
ひく
「俺はお前が好きなんだって」
ひぃっく
「初めは信じらんなくて、だって、今まで禄に誰も」
ひゃっぐ
「好きになってない俺が、弟子にしかも男を好きになるとか」
ひぐ
「ありえねえって。でもな」
ひっく
「仕事そっちのけで考えたり、想ったり、あた」
ひく
「頭に浮かぶのはお前だった。だからあの戦争が始まるときに」
ひゃっぐ
「お前に・・菊に、好きだって言ってもらって、俺はもう」
ひぇっぐ
「そのとき死ぬかと思ったんだぜ?かんじょ」
ひぐ
「感情を表に出さないお前が言ったから尚更だ。・・・これは今でもかわら」
ひゃぐ
「変わらない。お前が好きとか愛してるとか、言ってくれるたびに」
ひっぐ
「嬉しくて嬉しくて泣きそうになる。俺が死んじまっても、たくさ」
ひっく
「沢山言ってくれたら、俺お前の傍にいるからな。なあ菊」
ひっく
「誰よりも何よりも、愛してるぜ」
少しだけ目を潤ませるだけ、肝心なときに泣いてない。そのはずの恋人の姿が歪んで見えた。薄ぼんやりと慌てた様子の彼が卓に手をつくのが見える。
彼が動いてる、それだけが堪らなくてこちらも思わず手をついて、行儀が悪いと知りながらも、膝まで乗り上げて向こう側の恋人を抱き締めた。
「はは・・・なんだよ菊・・泣いてくれてんのか?」
「うっさいですね。貴方バカでしょう。死ぬ間際にあんなこと言うんですか」
「いいだろ?だって口利けるの最後じゃねーか」
「残される側のことも考えてください。大体ッ・・・」
「しゃっくり100回くらいで死ぬわけないでしょうが!!」
「・・・」
我慢できずにネタをばらしてみせるとふるりと抱きかかえた肩が震えた。体を離してみると俯いて表情が窺えない。
きっと嘘なのかよ、と顔を赤らめてくれるのかと思ったら、それは意外なことになった。
「ケッセセセセセセ、わかってんぜそれくらい!お前お師匠さまバカにすんのもいい加減にしろよ?」
「・・・は?」
「よっし、偶にはこういう日もいるよな。いっつも俺がバカにされて悔しいからよ、今回はノってやろうと思ったんだぜ」
「・・・・近年稀にみるウザイ奴ですね」
「でもな・・・言ったことは本当だぜ」
「ッ・・」
「んで、死なないって知っててもお前が泣いてくれたのも本当だろ?」
「・・・・・ええまあ」
「・・こんな嬉しいことねえよ」
気まずすぎて下ろしていた視線を上げるとさっきまで潤んでいた眼からほろほろと涙を零してやはり泣き出すギルベルト君がいた。
わぁっと大仰に泣いて鼻水涙もろとも気に入りの着物に擦り付けてくるが、このときはまるで怒る気がしない。愛しさばかりがふくふくと沸いてこの日はまるで仕事が進まなかった。