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BSRで小倉百人一首歌物語

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第13首 筑波嶺の(小政)



 眼前に、美しく澄んだ水が流れる。せせらぎは疲れた心を洗ってくれるようで、小十郎はしばし耳を傾ける。
 「政宗様、このあたりでしばし休憩いたしましょう」
 「OK」
 馬から降りて、手綱を手近な木に繋ぐ。政宗もそれに倣う。
 二人で遠乗りに出たのは久方ぶりだった。先日初陣を果たしたばかりの政宗を労うために連れ出したのだが、政宗はいつになく口数が少ない。初めて目の当たりにした戦場、己の力量。思うところがある故だろう。小十郎も、敢えてそれらに口を出すことはしなかった。
 小十郎が小さな岩に腰を掛けたのを見てから、政宗は草履を脱ぎ散らかし袴の裾をたくし上げて、足を水に浸す。そのまま水辺りに座って、足で水を跳ね上げる。水面が乱れ、飛沫が散る。童のようなその行動を諌めるべきなのだろうが、どことなく楽しそうな政宗の様子に躊躇われる。
 随分と大きくなったな、と小十郎は幼い頃の政宗の姿を思い浮かべて微かに笑う。心を閉ざし虚ろな目で小十郎を見上げる幼子は、もういない。元服を迎えた時の緊張した面持ちも、初陣を控えた少し不安げな瞳も、全て見守ってきた。彼の人の成長を間近で見守ってきたことを誇りに思う。
 「小十郎?どうした?」
 黙ったまま見つめる小十郎を不思議に思ったのだろう。政宗が遠慮がちに尋ねる。何でもありませんと笑うと、そうかと答えて再び水面に目を戻した。
 暫しの水遊びは、政宗の心も潤したようだ。お前も入ったらどうだと誘われるが、それには苦笑いで答える。不服そうな様子だが、次の瞬間には悪戯を思いついた子供のようににやりと笑う。嫌な予感がしたので構えていると、案の定、手に掬った水をこちらに向かって放ってきた。すんでのところでかわして小言を言えば、堪えた風もなくけらけらと笑う。その笑顔に、どきりとする。
 ここのところ、政宗はとみに大人びた。一つ年少の従兄弟に比べて小さいと気にしていた身長もようやく伸びを見せ、顔つきも大人の見せるそれに近づいてきた。政宗の成長に喜びを感じる一方で、小十郎は言い様のない寂しさも覚えていた。じきに、小十郎の手を必要としない日を迎えるだろう。そんな感傷に浸る自分が、小十郎は恐ろしかった。いつの間にか、気付かぬうちに、それほどまでに執心しているとは。誰よりも政宗の健やかな成長を願ってきた筈なのに、成長を見守ることの喜びも実感していた筈なのに。天翔けよと願う心の片隅には、黒い塊が滓のように鬱積していく。
 ぺし、と軽く頬を叩かれて、小十郎はようやく意識を現実に戻す。心配そうに政宗が覗きこんでいた。
 「大丈夫か?随分怖い顔をしてるが…」
 「申し訳ありません、少し…疲れているようで」
 下手な言い訳だ。だが政宗は案外素直に信じたようで、ならばもう帰ろうと言う。小十郎が頷くと、政宗は放り出していた草履を履こうとする。その足が水遊びで濡れているのを見咎めて、小十郎は立ち上がって、政宗を先程まで自分が腰を掛けていた岩に座らせる。濡れた足を拭いてやろうと屈むと、政宗は顔をしかめる。
 「おい、ガキじゃねぇんだから、やめろ」
 「大人はあのように水遊びに興じたりしませんよ」
 反論できないようで、政宗は黙りこむ。懐紙を取り出して、そっと水滴を拭う。黙ったままの政宗の顔をちらりと窺うと、気恥ずかしそうな表情で俯いている。小十郎の方を見ないように顔を逸らしているが、そのせいで赤くなった耳がはっきりと見える。随分と愛らしい反応をするものだ。童から大人への過渡期が見せるその表情。それが、今の小十郎には苦しくてたまらない。
 「もう大丈夫ですね。行きましょう」
 冷静を装って立ち上がり、馬を放しに向かう。政宗も慌ててその後についてくるが、そちらを見ることはしない。木に括りつけていた手綱をほどいていると、ようやく政宗が追いつく。
 「小十郎、今日は悪かったな。わざわざ時間取らせちまって」
 「いえ、いいのですよ。小十郎も、久々にあなたと出掛けられて楽しかった」
 「…そうか」
 勘の鋭いこの少年は、きっと小十郎の心にある黒いものに気付いている。だが、政宗は何も言わない。気付かないふりをする。政宗も恐らく、小十郎を離したくはないのだろう。そう思うと心が少し軽くなる。同時に、そんなことに安堵を覚える自分が嫌になる。
 ふと、先程までいた川の方へと目をやる。そこにいた時は気が付かなかったが、二人のいた場所のすぐ近くに、澱みを見つけた。そこだけ少し深くなっているのだろう。清新な水面に影を落とすその澱みは暗く、底を見透かすことはできない。俺と同じだな、と自嘲して、小十郎は帰路へと馬を向けた。


  筑波嶺の 嶺より落つる みなの川  恋ぞつもりて 淵となりぬる

作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟