before the bath
ドア越しに聞こえて、思わずジャンは少し声を漏らして笑う。自分の一挙一動でどうにでも
変化するイヴァンを見ているのは面白くて、飽きそうにない。傍に居られて良かったと思う。
とはいえ、あまり気づかれていないのかもしれないけれど、ジャンもイヴァンには感情を容
易に揺さぶられてばかりだった。これから気がつくのかどうかは分からない。恥ずかしいの
であまりひけらかしたくはないのだけれど、どうだろうな、などと取り留めのないことを考え
ながら、すぐに住めるようにとイヴァンが買い揃えた家具が並ぶリビングの、新品のテーブ
ルの上に買ったままほおり出してあった石鹸を手に取る。これをマーケットで買っている
時は、少しは思考がイヴァンと寄り添っていて、エロいことでもするのかとちらり、と思い
浮かんだが、部屋を新しく自分達の為に用意しているとは思わなかった。風呂がないと
か、トイレがないとかなんて、言い合いの中で意味もなく口に出た、いつもの戯れの中に
消えるだろう言葉だった。本当に嫌だった訳じゃない。少しの不自由ささえも好きだった。
それに、自然と二人で居られれば大抵のことは受け入れられる。事実を言ってはいたが、
それもただそれだけのことだったのに。
「・・・まさか覚えてて、探してたなんてなー・・・」
こんなにいい物件見つけて、商売の方向に結びつけて考えなかったなんてイヴァンらし
くない。いや、少しは揺らいだかもしれない。それくらいでいいんだ、じゃないと突きつけ
られた一途さに充てられてどうにかなりそうだった。テーブルの傍の、これまたぴかぴか
のソファにジャンは腰を沈めて、片手で口元を覆った。顔が少し火照っている。変に退
いて謙虚ぶる気もないけれど、今の胸中の想いを吐露する気にもなれなかった。絶対
上手くできない。羞恥に埋もれて窒息死だ。とりあえず何事もなかったような顔で石鹸
だけ持って戻ろうと思い、熱を醒ます為に石鹸を一旦置いて頬を叩くと、ソファから立ち
上がった。テーブルに背を向けて、イヴァンがぽつんと1人残っている浴室へ向かう。
渋々、といった様子で湯を溜めている背中を見たら、自分の為に部屋を借りたと言った
イヴァンのことがフラッシュバックして、冷めたと思っていた熱が少しぶり返してきて焦る。
思わず視線をぱっと下に向けて、呟く。
「・・・ばーか・・・」
「・・・でも、ありがとな、イヴァン」
本当はすごく嬉しかった、と胸の中だけで言って、ジャンは浴室のドアを開けた。
作品名:before the bath 作家名:豚なすび