美しい仮面
悪、だなんて大層な呼び名を付けられているけれど、実際はそんなに危ない人なんかじゃない。
…寧ろ、
「あ、悪ゴメスさん!」
「お…おう、お前か。良く来たな」
僕は、月に何度か地獄に遊びに行く(本当はそんなに簡単なことじゃあないのだけれど、あの一件の暫くあとで閻魔様に特別に許可を頂いたのだ)。くらいくらい穴から続く長い梯子を降りて、熱く渇いた単色の地面を歩いて。
彼はいつも血の池地獄に浸かりつつ、初めはひどく無愛想に僕を迎えてくれるのだ。
「すみません。前の時からちょっと間隔空いちゃって、」
「いい、今ここにいるだろ、その…ゴメス、は」
「…有難う御座います。ゴメス、さん」
まだ、どこかぎこちない空気。
…補足しておく。僕等はあくまでも友人だ、少なくとも、まだ今は。
更に補足するならば、名前を呼び合う様な関係になったのは数ヶ月前の事だが、友人関係はそれなりに長い。
そして、初めて天国で出会った時から、僕は彼が好きだった。
「今日はどうですか?湯加減の方は」
平静を装って問い掛ける。此処には天気なんて無いから、その代わりの使い古された話題提起だ。
「…相変わらず鉄くせえ、な。まあ温かァねえがよ、」
永く煮えた液体に浸かる事によって本来ならば存在し得ぬ筈の体温が上がり、額から流れ落ちる一筋の汗を拭いつつゆったりと口が開かれる。悪態を吐くような口調とは裏腹に日頃から睨むような表情をしている釣り目は落ち着かない様子でちらちらと僕と地面とをさ迷った。
「そうなんだ。僕も一度入ってみたいです」
ふわり、と笑みを浮かべて返事を返す。
正直なところこうして傍にいるのに触れられないだなんて卑怯だ、と思う。
彼の軽く上気し厚く筋肉の張った日焼けした肉体に彼の透明な分泌液が筋を作り、それがどろりとした数多の赤黒い液体の中に溶け出して消えてゆく。美しいその光景に触れる事は異質である僕には叶わないのだ。
「お前は駄目だ」
「ええ、無理ですね」
だって、僕等の居場所は天と地だ。本来ならば相容れてはならないのだから、
「汚れちゃいけねえんだ、お前は」
…神聖視される程、僕は綺麗な心なんて持っちゃいないのに。
今だってそこからあなたを引きずり出して全てを奪ってしまいたくてしょうがない。他人の汚らわしい血潮なんかじゃなく、僕の薄汚い欲望だけであなたを汚してしまいたいのに。
「僕は、」
けれど。
ふと泣きそうに歪むその意地っ張りな目元を見てしまえば、僕はそれを抑える他無くなってしまう。
「…はい」
そうして僕は彼の元を去り、虚像の自分に復讐される。