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保健室の鮫

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今日の四時間目は体育だった。遊馬は自分の身長よりも遥かに高い跳び箱に正面から挑んで、敗れた。要するに地面に落下した。落ちた場所はマットから外れた床だった。
すりむいた左膝から血が出ているのをみた鉄男に保健室に行くように言われた。遊馬は「大したことないのに」と言いつつも保健室に向かったのだった。


「せんせーい、ケガしたから絆創膏くださーい」

遊馬が保健室のドアを開けても答える者はいなかった。保健医はどこかに出かけてしまったようだ。

先生がいないのになんで鍵が空いているのだろうと不思議に思ったが、奥にあるベッドうちの一台にカーテンが引いてあることに気がつく。きっとあそこで寝ている生徒が出るときのことを考えて開けてあるのだ。

保健医がいなくても絆創膏が置いてある場所はわかる。
遊馬は引き出しから消毒液と大きめの絆創膏を取り出した。

「うわー血が垂れてら」

擦り向いた傷口から流れた赤い筋が膝から足首まで伸びている。
自分の傷を見ているとじんじん痛みを感じてきた。

ティッシュで血を拭き取り、スプレーで傷口を消毒する。上から絆創膏を貼って手当は終わった。ゴミを捨ててクラスに帰ろうとする。

「……」

遊馬は何かに引かれるように後ろを振り返った。目線の先にはカーテンが閉められたベッド。中は見えない。先ほどから自分によるもの以外の音が全く聞こえない。

あそこで寝ているのは誰なのか。

隠されているものは、つい覗いてみたくなる。
好奇心旺盛な少年の性だ。
コソコソと近づいて、少しだけカーテンを開ける。その隙間から中を覗く。

毛布の膨らみから中に人がいることは確かだ。枕の方に目を向ける。

青い髪が目に入ってドキッとした。
そこに寝ていたのはよく知っている男だった。
「シャーク?」

遊馬はカーテンを捲って中に入る。もちろん、外からは見えないように閉めておく。
しゃがんでシャークの顔をまじまじと観察する。
カーテンを引いているとは言えど、照明がついた保健室は明るい。目を閉じているシャークの顔がはっきり見えた。

シャークはどちらかと言えばいつも取っ付きにくいきつめの表情をしている。
しかし、今の寝顔は極限に気を抜いた状態である。
心なしかいつもより表情が幼いように見えた。

その寝顔を見ているとなんだか触れたくなってくる。見ているだけでは満足できない。

「……」

ギシッとベッドを軋ませて上に乗り、マウントポジションをとった。
シャークはそれでも起きない。穏やかな寝息が遊馬の中の何かを刺激する。
シャークに体重をかけないように両膝をシーツにつけて、手でバランスをとる。
顔を近づけて思い切って頬にキスをする。滑らかな感触に気持ちが昂って、額に目蓋に鼻に、唇を落とす。

シャークの形のいい唇にそっと触れたときに、遊馬は昨日のことを思い出した。彼がここにいる理由が思い当たる。


シャークの長い睫毛が震えた。
シャークがゆっくり薄目を開ける。深海のように青い瞳に遊馬が映った。瞬間、その眼がカッと開く。

「――なんでお前が、いるんだよ」

明らかに不愉快であることが伝わってくる低い声。
起き抜けに自分の上に人がいたら驚くだろうし、不機嫌にもなるかもしれない。
「シャーク……オレのせいで寝込んでたんだろ?」

遊馬が沈んだ声を出す。

「は?」

「オレが無理させたからここで寝てたんだろ?シャーク、腰が曲がったじーちゃんみたいに、足腰ガクガクになってたじゃん」

昨日、遊馬は自分の欲望のままにシャークを掻き抱いた。遊馬の若い精根が尽き果てるまで好き勝手にした結果、シャークの体は大変なことになった。 遊馬は満足できたが、シャークはベッドから出ようとして転倒するような事態になった。
床に強かに顔をぶつけたあとに立ち上がったシャークの表情が忘れられない。
遊馬よりも身体能力を上回るシャークがそんなことになったのは遊馬にとってもショックだった。

「シャーク…ごめん。オレが調子に乗ったせいだよな……ごめんな。オレのせいで授業も受けられないんだよな」

「違う!勝手に同情してんじゃねぇ!」

シャークが顔を真っ赤にして否定する。

「俺はただサボりたいからここで寝てただけだ。お前のことは関係ない」

「でも」

「お前と俺じゃ鍛え方が違うんだよ。お前のかっとビンビングに耐えられないほどヤワな体してねぇぞ」

「かっとビンビングってなんだよ」

「……」

ごほん、とシャークが咳払いをする。

「お前の短小なザコチンでいつまでも寝込んでるほど俺は弱くねぇ」

「なっ…むぐ!?」

怒って反論しようとした遊馬の口を手で塞ぐ。

「保健室で騒ぐなよ」

遊馬はそれでも何かを言おうと塞がれた口でわめいた。
しばらくシャークが口をおさえていると遊馬が大人しくなった。

「ったく、人の睡眠の邪魔しやがって……どけろ」

遊馬がベッドを下りると、シャークはその反対側に下り立った。

「……教室に戻るのか?」
「行かねえ。帰る」

「帰る」というのは帰宅するという意味だろう。
勢いよくカーテンが開けられる。シャークが外に出ようとしている。

シャークの後ろ姿。
このまま見送りたくない。
「お、オレも帰る!」

遊馬はそんな言葉を咄嗟に口にしていた。
出ようとしていたシャークの足が止まる。

「そういうのが一番イラッとくるぜ」

シャークが振り返る。
言葉に反してその顔には苛立ちが見られなかった。

「お前は授業受けて帰れ。つまんねぇこと気にしてんじゃねぇ」

シャークの青い瞳が遊馬を真正面からとらえる。

「今までみたいに全力でかかってこいよ。今さら気ィ使うな」

そう言い残して、シャークは保健室を出た。

遊馬はもうシャークを追おうとは考えなかった。

作品名:保健室の鮫 作家名:パセリ