冬の旅
ジェームズはセブルスを何としても取り戻したく、そのためにはどのような手段を取るにしても誰にも手出しをさせたくなかったし、リリーは心に凍っていつも身体を冷やす後悔の塊を今こそ溶かし始めたく、誰が何と言おうとこのチャンスを逃したくない。
開け放した扉から冷たい風が吹き込んでくる。日差しは春の到来が近いことを予感させていたがまだ遠い。高原では雪も溶けていないだろう。
二人は無言で見つめあった。蒼と緑の瞳はどちらも後には引けないと語っており、互いにそれがわかっていた。
そのとき、『ジェームズ、どなたかいらしたの?』と家の奥からドレアの尋ねる声がした。
ジェームズはふっと目を逸らすとドレアの声がした方へ振り向き、「いや、誰も来ていない。もう行くよ」と声を張り上げ、リリーの肩をトンッと押してドアの外へ出た。
ジェームズは黙ったまま歩き始め、リリーもまた黙ったままその後ろに続いた。俯きかげんに歩くジェームズの背中は話しかけられることを拒絶していた。リリーはその背中をぼんやり眺めながら、ジェームズは寂しくて仕方ないのだと唐突に理解した。例えようのない寂しさがすっぽりと身体を覆っているのだ。
荒れに荒れていた一時期を別にすれば、ジェームズの態度は以前とそれほど変わりはなく、時に冗談を言い、時にふざけて、いつも通り誰からも頼りにされていた。だから皆忘れてしまう、ジェームズが傷ついていることを。目に映るジェームズに安心して、それぞれが考えなくてはいけないことまで委ねてしまう。
ジェームズの心にぽっかりと開いた穴はジェームズの何か大切なものを流し続けていて、ただ一人を除いて誰にもふさぐことはできないし、たぶんジェームズは他人に何も望んでいない。リリーは素直に可哀そうだと思った。自分のことは自業自得だがジェームズは突然突き放され、最愛の人は最も許せない相手の元にいるかもしれない。
セブ、シリウスたちはあなたが自ら去ったと考えているけど違うわよね? 無理やり連れ去られたのよね? あなたがジェームズに一番近いところにいるから。
でももしあなたが考えた結果だったとしたら、どうして? ジェームズはあなたのことを第一に考えてきたはずよ。ううん、あなたのことしか考えてなかったと言っても間違いじゃない。
信じたい気持ちと信じたくない気持ちがごちゃごちゃで、いまだにリリーはスネイプがいなくなったのが不可抗力だったのか、そうでなかったかの判断がついていない。
そのまま10分ほど歩いただろうか、ようやくジェームズが声を発したのは遠くにパン屋が見える小道に入ったところだった。
「セブルスのことに関しては僕は心の狭い男になるんだ」
そうね、知ってるわ、とリリーは呟いた。
「だけどどんなに腹が立つことでも過去は過去として誰かを責めたりしない。だから君が何を考えて、何をしたかについて今さら言うこともない。けれども覚えていてくれ、僕はセブルスに何が起こったかを忘れはしない」
ええ、と低い声でリリーは頷いた。当たり前のことだと思った。誰でも愛する人に起こったことを忘れるわけはない。ジェームズだから責められないがそれ以外だったらひどく傷つけられたに違いなかった。そして、それはリリーが受ける相応のことだったかもしれない。それほどのことをしたのだという自覚はある。
ジェームズは足を止め振り返ると、若葉色の瞳をまっすぐに見つめた。
「リリー、僕は君の気持ちがよくわかる。わかるけれども、納得できるかと言われるとそうじゃないんだ。こればかりはもうどうしようもない。頭でわかっていても心が理解しないんだ。僕はみんなが言うほど公平正大じゃないし、私欲もあれば嫉妬もするただの男なんだよ」
リリーは黙ってうなずいた。それ以外に何ができるだろう。言葉で返すにはそれに該当する言葉が見当たらない。謝罪も理解も、口にすればすべてが嘘くさくなる。
「君が想像した通り、僕は今からセブルスに会いに行く。そこにはヴォルデモートもいるだろう。印章がついた手紙を受け取ったんだ。セブルスがあちら側にいるのは間違いない」
悲痛な表情を浮かべたジェームズはそれをごまかすように頭を振った。誰もが口にして、わかっていたけれども信じたくないと言う心の叫びが確かに聞こえた。リリーはいつの間にか息を止めていた。やっぱりセブは自分から姿を消したというの?
「僕はもう本当に全部がどうでもいいんだ。セブルスがいなくちゃ・・・・・・。どうしてこんなことになってしまったんだろうって思うよ、恋とか愛とか鼻で笑っていたような僕がさ、このざまだ。恋愛なんて軽く考えていた。昔は誰かと結婚して、子供がいて、父さんや母さんみたいに普通に暮らしていくんだと思っていた。だけど、セブルスと出会って全部変わってしまった。驚くことに体調にまで影響するんだ。ここのところ、僕はセブルスに会えるという事実だけでハイなのさ。ヴォルデモートがセブルスを利用して僕に何かを仕掛けてくるということがわかっていても会いに行かずにはいられない」
ジェームズはリリーの顔を見つめていたけれども、その蒼い瞳は遠くの何かを探しているようだった。
「極端な話、僕は死んだっていいんだ。今だって僕は死んでいるみたいなものなんだし。シリウスやリーマスは親友で、フランクやフェービアンたちだってかけがえのない友人だけどセブルスの代わりにはならない。わかるかい、僕には余裕がないんだ。いつでも心は足りないものを求めて急いでいる」
だから、と言ってジェームズは大きなため息をついた。
「話が長くなったけど、君を連れて行くことはできる。だけど、何が起こっても君のことを気にかけることはできない。僕の一番はセブルスなんだ。ヴォルデモートが何をしかけてくるかわからないが、最悪君を見殺しにする」
「それでいいわ!」
リリーは叫んだ。心にまばゆいほどの光がさした。自分が粗末に扱われるということはもしかして望んでいたことかもしれない。心に重くのしかかる後悔は誰かに傷つけられたいと願っていたのかもしれない。
あんなことをしたにもかかわらず、誰もリリーを責めなかった。スネイプはそのときすでに寮生たちだけでなく、学校中から嫌悪されていたからだ。おおかたの評価は陰気で神経質といったネガティブなものだったし、極度の人見知りも手伝ってリリー以外と話をする姿は皆無だった。ルシウスの存在が明らかになってからは誰からも敬遠されていた。スネイプの学生時代はジェームズが現れるまで暗く冷たい世界だったと言って間違いない。
知らず、リリーは涙ぐんでいた。ジェームズの言葉が嬉しい反面、ひどく悲しかった。
小さな子供だった頃、どうしてあんなに幸せで心から笑うことができたんだろう。そう考えるとき、いつも思い出にはセブの姿がある。互いが世界のすべてだったあの頃、手をつないで目を見て微笑みあえば、それだけで満たされた。