ある日常
「なぁ、何を怒ってたんだよ」
ふわりと彼の匂いが鼻を掠めるほどに距離が縮まる。
だが、ぎゅっと抱きしめない辺り、まだ話し合いをしたいという
この人なりの意志表示なのかもしれない。
「向こうの記者だって、困ってたじゃねーか」
「…」
だんまりを決め込む。
だって、まだ腹の虫が収まっていない。
今、言葉を発したら最後、とんでもないことばかり言ってしまいそうだった。
彼が声を発するたびに触れられた肩口から振動が伝わる。
「途中まで機嫌よく、インタビューは進んでただろ?
俺は、お前が怒りだす理由が分からねぇんだよ」
そうだ、確かに途中までは。
何かの雑誌に載るらしい2人のインタビューは
記者を交えて和やかに進んでいたのだ。
(でも…)
顔を上げ、視線を目の前の彼を交わらせた。
本当に分からない、といった風の彼の表情に少し心が丸みを帯びる。
この人は怒っていない。
それなのに、自分ばかりが腹を立てているこの状況を少しだけ滑稽だと感じてしまう。
「俺にも言えないようなことか?」
バーナビ―の肩を掴んでいた彼の手が、ゆっくりと下方へと降り、
バーナビに腰にあてられた。
僅かに力を込めて、腰を彼の方へと引き寄せられる。
「……違います」
「それじゃあ、なんだよ」
「貴方のことを、あの記者があまりにも酷く言うから」
言わなければ、ずっと問い詰められ続けるだろう。
そう思ってバーナビーが白状すれば、
はぁ?と彼からは素っ頓狂な声が上がった。
バーナビ―はしっかりと彼の視線を捉えて言った。
「だって、あの記者、虎徹さんが落ちこぼれの全然ダメなヒーローだって
ところばかり強調して話してたじゃないですか!」
「…そうだったっけ…?」
「わざわざ、過去の事件のことを話題にして…!
人命救助をポイントより優先させただけなのに!
犯人を逮捕できなかったからって!」
「おいおい、バニー、落ち着けって…」
今度こそ、両手が背中に回され、ぎゅっと力が込められた。
背中をぽんぽんと、虎徹の掌がリズムよく叩く。
「俺はそんなこと、全然気にしてねーぞ」
――だから。
――だからこそ許せないんです。
(貴方が、あんなに言われても笑って過ごせるほどに)
(ああいうことを言われ続けてきたということが)
けれども、だからこそ。
尚、ヒーローで在り続ける彼は、本当に凄いと思う。
「…バニー?」
「……貴方が気にしてないならいいんです」
言いたいことは山ほどあるけれど、
彼に告げるのは間違っている気がする。
そして彼がなんともない、と自分に言うならば、この場は収まらなければならないはずだ。
彼を困らせるのは本意ではないのだから。
「ただし、あの記者のインタビューは今後、金輪際受けません」
「バニー、相手も仕事だぜ?」
「いいんです、後でロイズさんに言っておきます」
しょうがねぇなあ、とため息をつく。
その振動で、抱き込まれている胸が大きく上下するのを感じ取る。
「ご機嫌は直った、と思っていいのか、バニーちゃん?」
「ご自由にどうぞ」
その言葉を発すれば、くっとバーナビ―の顎が持ち上げられた。
間近で見る瞳は、本当にまっすぐで
何もかも見透かされてしまうかもしれないとさえ思う。
「――僕が」
「ん?」
「ずっと貴方の相棒でいてあげますよ」
誰にも、落ち目のヒーローだなんて言わせません。
そう言えば、彼は微妙な顔をした。
「お前って…」
「なんですか?」
「いいや、俺をそんだけ好きだってことにしてやるよ」
「なんですか、それ!?」
そんな他愛もない遣り取りをしながらも
降ってくるキスには限りなく熱が込められていた。