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カーテンの向こう

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病院の匂いに昼食の残り香が混ざっている。
 ピカピカの床とどっちを向いても白い壁。
 よく晴れた日で、窓からは輝くような緑が見える。
 しかし、蛍光灯に照らされている廊下は薄暗い。

 駆と左右に並ぶ似たような扉の一つの前で立ち止まった。
「日比野光一…ここね」
 母が部屋番号と表の名札を確認してノックした。
 女性の声で軽い返事があって、すぐに扉が開く。
「ああ、駆くんとお母さん。いらっしゃい。」
 愛想よく出迎えてくれたのは日比野の母だった。
 駆の母よりも骨太で背も高く、快活な人だ。
 丁寧に頭を下げる二人にも「やだ、そんなに畏まらないで!」と大げさに手を振った。
 それでも、駆は何度だって謝りたかった。いくら頭を下げても胸に重くかかる靄は晴れない。

 日比野が怪我をしたのは二日前のことだ。
 練習中、ゴールを狙った駆のキックが日比野の膝を壊してしまった。
 本来あり得ない方向に曲がった人の足を初めて見た。
 呻きながら転げる日比野の側に崩れ落ち、しかし、どうしていいかわからず謝り続けた。
 大人が担架を持って日比野を連れて行くまで。ずっと。

 個室の入り口から覗くとベッドの手前にカーテンが引かれているのが見える。
 すぐそこに日比野の姿がなかったことに、駆は密かにホッとした。
 そのくせ母親同士が一通りの挨拶を終えるまで、カーテンの影に目を凝らしていた。
 やや盛り上がったベッドの影。窓から吹き込む風で波のように揺れていたカーテンが不規則に揺れたのも見逃さなかった。
 壁にくっつくように途切れたカーテンの端から何かがはみ出している。
 定規だった。昨日も授業で使った覚えがある。
 それがぎこちなく横へ動き、カーテンを少しだけめくった。
(あ、)
 色素の薄い頭が、不安そうな顔が覗く。
 バッチリ目が合った。一瞬のうちに定規は引っ込み、同時に日比野の姿も見えなくなる。
 対する駆もまた動揺して肩をビクつかせた。
 そんな子供たちのやり取りを見ていたかのようなタイミングで日比野の母が奥へ振り返る。
「光一、駆くん来たわよ!」
 一瞬だけ見えた日比野の顔が想像していたよりもずっと普通だったので、普通に受け入れられるような気がしていた。
 駆の頭には泣きながら膝を押さえる日比野の姿が濃く焼き付いていて、一生許してもらえないような気持ちでいた。
 治療のおかげか痛み止めが効いているのか、日比野が普段と同じ顔色でそこにいるのを見るまでは。
 でも、
「帰れ!」
 カーテンの奥から鋭い声が飛ぶ。
 駆は土産袋の柄をギュッと握りしめた。
「ちょっと、何言うの光一!」
「帰れったら帰れ!母ちゃんも入れんな!」
「なんでよ。いきなり失礼でしょ!」
「いいんです、お母さん。日比野くんが会ってくれる時にまたお見舞いに来させてもらいますから。」
 駆の母が割り込む。
「今日はお土産だけ置いていきますから、よろしかったら後で召し上がって下さい。」
 土産袋を持った息子の肩を叩いて促すが、返事がない。
「…駆?」
 二人の母親の視線が集まる中、駆は無言のまま土産袋を差し出した。
 それを日比野の母が受け取ると、弾かれたように走り出した。
 薄暗い廊下を真っ直ぐ。背中にぶつかる母の声も無視した。


***


 プディングをグチャグチャにかき回す手を叩かれた。
 駆の置いていった包みの中身はプディングが二つとケーキが二つ。
 ケーキは駆の好きな種類で、プディングは以前にも駆の家で食べて美味いと言ったやつだ。駆と互いに一口ずつ味見したのでケーキの味も知っている。
「何であんなこと言ったの?」
 母はケーキをプラスチックのフォークで一口大に刻みながら尋ねた。
「一昨日の夜も、駆くんが帰ってからすぐ起きて、駆は?駆の様子は?ってうるさかったクセして…。」
「そんなに訊いてねえよ!」
 入院初日の夜に、駆とその両親が謝罪に来た。
 その時も、日比野は布団を被って来客が去るまで狸寝入りをしていた。
 合わせる顔がない、というのは、本来ならば加害者である駆のセリフだろう。
 しかし、日比野はどんな顔をして駆と会えばいいかわからなかった。
「駆くんのこと、そんなに怒ってるの?」
「怒ってねえよ。あんなの事故じゃん。」
「よくわかってんじゃないの。」
 ケーキの最後の一切れをのんびり咀嚼して飲み込む母の横で、日比野はまだ半分も食べていなかった。
 自分でやったとはいえ、かき混ぜられてドロドロのプディングはあまり美味しそうに見えない。
「じゃあ、なんであんな態度とったのって訊いてるの。」
 日比野は答えないまま、スプーンを口に運んだ。
 見た目が悪くなっても味は変わらない。駆も美味いと言っていた。
 先に食べ終わるのが悔しくて、二人で競うようにちびちび食べたのを思い出す。
 さっき一目だけ見た駆は笑ってなどいなかった。
 当たり前だ。怪我の直後にも泣きながら「ごめん」を繰り返していた。
 会ったらまた謝られるのだろうか。そんなのまっぴらだ。
 それでも、ベッドの上でカッコ悪く固定されたままでは強がってみせることもできない。
 この足が治ったら、自力でベッドを降りて歩き回れるようになったら、すぐにでも「気にするなよバカ」と言ってやるのに。

 プディングのカップが空になるまで息子と一緒に黙り込んでいた母が、いつになく遠慮がちに口を開いた。
「あのね、光一。」
 やけに気遣わしげな様子に小首を傾げる。
「その、膝のことなんだけどね。さっき母さんだけ呼ばれてたでしょう。それで、先生が…」
 重く、打ち明けられる。

 二日で見飽きた白い部屋にぬるい風が吹き込んでいた。
 どこかで子どもが泣いている声がする。
 ベッド脇の棚にはサッカーボールが置かれていて、強い風が吹いた拍子にベッドの下へ転がり落ちた。
 ピカピカの床で弾むボールを追いかけられない。
 日比野は布団の上できつく拳を握った。
作品名:カーテンの向こう 作家名:3丁目