まつりゆかた
出会ったとき、男子集団はお面やアニメの絵がプリントされたわたあめ袋やオモチャのヌンチャクや、それぞれ好きなアイテムを装備していた。
男の子は楽だ。
最初の一人が女子グループを発見して声を上げても、人垣の向こうには前線の緊張感にまったく気づかず屋台で買ったばかりのたこ焼きを頬張って派手に吐き出した子までいる。
「あつっ…タコあっちー!火傷した!氷くれー!」
騒ぎながらかき氷のカップを持った日比野くんのところまで割り込んできて、状況を察して黙って引っ込んでいった。
「マジで浴衣着てきてる!」
一人が冷やかし口調で叫ぶと爆竹の導火線に火をつけたみたいに男子集団のあちこちから小馬鹿にした声が上がった。
「似合わねー!」
「化粧までして、ババアみてー」
「男子ヒドイ!」
「うるせー、ブース!」
この間教室で起きた紺野さんと日比野くんを中心とする喧嘩が再発したみたいな騒ぎになった。
泣き出す女の子もいて、言い争いの中心はここがお祭り会場というのも忘れているようだった。
焦りながらも、案外近くに駆がいるのを見つけ視線を送る。
駆は隣にいた少年と顔を見合わせ、控えめに言った。
「下駄が歩きにくそう」
駆は嘘が上手くない。
悪口が本心じゃないのは駆だけじゃない。
知っている。
男の子たちが本当に浴衣姿の女の子たちを可愛くないだなんて思ってないこと。
「女子がみんなで浴衣着てくるってマジ?」なんて言った日比野くんは嫌そうじゃなかった。
口の端っこがちょっと上がっていたのを知っている。
声がほんの少しうわずっていた。
男の子も面倒くさい。
素直に「可愛い」って言えないのだ。
怒鳴る言葉は全部裏返しで、本当はドキドキしているくせに。
(浴衣、着てこなくてよかった)
きっと来年も着ない。再来年も着ない。
女の子の格好をしたら男の子と一緒にサッカーが出来ないから。
姿見の中に朝顔が咲く。
留守番中の家にはエアコンの音しかしない。
くるりと後ろを向くと、今度は白い腰に赤い金魚が尾びれを揺らす。
ふわふわの帯は兵児帯といって、簡単だからと母に結い方まで教わった。
一人でやったら母に手本を見せてもらったときのようにはならなかったが、それなりの格好にはなった。
勿論ジュースのシミなんてない。きれいに畳まれてずっとわたしの部屋に置かれていた。
浴衣姿で台所で麦茶を飲み、散らかっていた新聞とチラシをまとめて定位置に置いた。
もう少し家の中をうろうろしてやることがなくなると居間の隅っこで膝を抱えて座り込んだ。
「あーあ。」
その姿で外に出る気にはなれなかった。
第一、今日はもうお祭りでも何でもない。
浴衣姿で外を歩いている人なんていない。
一人きりで何をしているんだろう。
折角の浴衣姿でも祭りの夜の女の子たちみたいに浮かれたりできなかった。
もう脱ごう。いつもどおりの格好をしよう。
そう思ってゆっくり立った時、
ピンポ――――ン
呼び鈴が鳴った。
着替えて出ようと帯に指をかけると、せっかちな来客の二度目のピンポンが響いて仕方なく浴衣のまま玄関に出た。
「あ」
駆と傑さんだった。
駆は口と目を丸くして、傑さんも少し驚いている。
ドアを開ける前にドアスコープで相手を確認すればよかった。
後悔と恥ずかしさで今すぐにもドアを閉じて鍵を掛けたかった。
でも、現実にはそんなことできない。
「へへ…似合わないよね」
何か言われる前に自分で言ってしまおうと思って口にしたら一気に惨めになって鼻の奥がツンときた。
でも、傑さんは平気の顔で首を振った。
「そんなことな、似合ってる」
傑さんは正直だ。わたしたちと一歳しか違わないけれど、同い年の子と比べてもずっと大人だった。
正面からそう言われて頬が熱くなる。
そして、ほんの少し芽生えた期待で駆を見た。
駆はあっさり褒め言葉を口にした兄を見て、わたしと目が合うとパッと目を伏せ、そして。
そして、
「………へ、変だよ!」
叩きつけるように叫ぶ。
「おい、駆!」
傑さんが怒るのも無視して回れ右をして走り去った。
(やっぱりね)
来年は浴衣なんか着ない。再来年も。その先も。
その翌年、親の都合で夏祭りを迎えずにアメリカに渡った。
たんすの奥深くにしまい込んだ浴衣はお母さんづてに美都ちゃんに譲ってしまった。
日本に戻る予定は立っておらず、まだ小学生のわたしにとっては永遠の別れのように思われた。
もうみんなと一緒にサッカーはできないかもしれない。
どのみち中学に上がれば一緒のチームでプレイできないのはわかっていた。
もう、男の子の格好をする理由がない。
中等部サッカー部のマネージャーみんなで浴衣を着ようという話になり、すぐに小学校の頃のことを思い出した。
あの頃駆と同じぐらいだった髪は随分伸びて、水色の衿の上でまとめ髪にしてある。
「奈々ちゃんイイ!うなじエロイ!」
順番に下心を隠しもしない褒め言葉を配ってビンタを返されている中塚くんを無視して駆の前に立った。
不安で落ち着かない指先で水色の布をちょいちょい引っ張ると斜めに花が描かれた袖が揺れた。
「どうかな…」
駆の視線が落ちる。あの時みたいだ。
一瞬、仲間たちの浮かれた声が遠ざかる。
「………げ、下駄、転ばない?」
指差しされた足元は帯と同じ茄子紺の鼻緒の下駄。
少しだけ鼻緒擦れしているけれど、パッと見には分からない。
そろりと顔を上げた駆の頬が真っ赤でおかしかった。
「じゃあ転ばないよう側で手を貸してね」
「え、ええええ!」
集団が歩き始めると駆の方が自分のビーチサンダルを踏んで転び、わたしが手を貸した。
笑い声にかぶさって懐かしい祭り囃子が聞こえる。
暮れてゆく空の下でも煌々と輝く夜店の灯り。
光の谷間をゆらゆら歩く色とりどりの女の子たち。
その人ごみの中へ、わたしたちは手を繋いで溶けていった。