ダリア
カーテンの隙間から射す光の眩しさでロイの意識は覚醒した。様々な修羅場を潜り抜けてきた彼の寝起きは実に良い。軽く目を擦り、ライトブルーの毛布を己から剥ぎ取った。スリッパは確か玄関近くに脱ぎ捨てたままだ。昨日は訓練の視察が長引いて、帰宅してそのままベッドに潜り込んだのを覚えている。シャワーぐらい浴びておけばよかったな、と後悔しながらフローリングに足をつけた。ひんやりと冷たい感覚が心地良い。ロイは欠伸をしながら立ち上がり、クローゼットに向かう。
手早くシャワーを済ませ着替えを終えると、用意しておいたトースターから小麦の焼けた香ばしい匂いが漂い、ロイの鼻腔を擽った。自分の腹を焦らすようにリビングのカーテンをさっと引く。小春日和、実に良い朝だ。リビングと繋がっているキッチンでコーヒーを淹れて皿にトーストをのせる。味はどうしようか?バターとハム、レタスなら確か冷やしてあったな、と思案しているロイの少し向こうで窓がコンコンと鳴った。
「鍵は開けてあるぞ!」
張り上げた声は窓の外にも聞こえたのか、開かれた窓から小柄な人影が侵入してきた。子猫のように身軽な動作で窓枠を飛び越え、日光をきらきらと反射させる金髪の持ち主は、ロイを見上げてにこりと笑う。
「よっ、大佐!」
「おはよう、鋼の。トーストならあるが、サンドイッチでも食べるかね?」
「食う!サンキュー、大佐。今日はまだ何も食べてなくてさ。あ、コーヒーは砂糖よろしく」
相変わらず牛乳は飲めないのだな、と苦笑するロイは、エドワードが発言する前には既にカップを用意している。手慣れたものだ。エドワードがイーストシティに滞在している間はずっとこの調子で、しかしそれを負担に感じない自分も自分だな、とロイは思う。リラックスした様子で席に座るエドワードをカウンター越しに覗き見ながら具材をナイフで切ってゆく。シャキシャキと小気味好い音でレタスを切るその手にもまた、偶にエドワードの視線が注がれている。お互いを見ながらも決して視線は交わらない。他の相手だと緊張しかねないその空気も、彼とだと何故だか心地良い。
「ほら、出来たぞ」
「うわっ、うまそー!」
エドワードがまだ暖かい食パンを持つと、指が生地に沈み、中のレタスとハムがゆるやかに変形した。溶けたバターの香りが食欲を誘う。隣に置かれたカップはブラックコーヒーではない、しかしただ牛乳を入れただけにも見えない色合いをしていてエドワードは小首を傾げた。
「大佐、これは?」
「珍しいだろう?甘党の君が好きだろうと思ってね。まあ飲んでみたまえ」
サンドイッチを置き、恐る恐るカップを持ち、中の液体を口にする。途端に咥内をコーヒー特有のほろ苦さとカカオの甘みが支配した。牛乳も僅かながら混ざっているようだが、臭みは全く感じさせない。むしろまろやかな口当たりが苦さと甘さを中和していて、繊細なバランスを維持している。
「……うまい……」
「それはよかった!近くのカフェが新しいメニューを始めてね。真似をしてみたのだが」
「大佐って意外に料理上手だよな。ここに来るまでは絶対下手だと思ってた」
「軍に入ってからはずっと自炊だからな。それに、息抜きにもなる」
エドワードは感心しながらカップを傾け続ける。空いた左手でサンドイッチを掴みかじると、満面の笑みを浮かべた。余程気に入ったらしい。食べることに夢中になった彼を、ロイは微笑みながら眺めた。
「ごちそうさま!」
あっという間にエドワードは食事を終え、机に突っ伏した。彼なりの、満腹のサインだ。実に幸せそうな表情にロイはくすりと笑った。作った甲斐があるというものだ。目を細め頬を緩めていたエドワードは、不意に何かを思い出したかのようにコートの内側を探った。探し物が見つかったのか口をにやけさせ、立ち上がる。
「たーいさ。ほい!」
エドワードが満開の向日葵のように燦々と輝く笑顔で差し出したのは一輪の花だった。何重にも重なる花弁は赤く、そして美しい。ロイの贈り慣れた花だった。
「ダリアかね」
「あ、やっぱ知ってる?」
「勿論、君よりは花を贈る習慣があるからな。花言葉は」
ロイはエドワードの差し出した花を恭しく受け取り、目の前に翳して、笑った。
「・・・・・・感謝」
エドワードは向けられた笑みから目を逸らした。床に視線を落とす彼の照れた様子はロイの笑みを深めるばかりだが、本人がその事に気付くことはないだろう。いくら最年少国家錬金術師と言えども、まだ子供だ。可愛いところもあるじゃないか。笑みを消そうとしてもそういうことばかり考えてしまい、結局、ロイは空いた左手で自分の口元を隠した。
「……目の前で言うなよ、バーカ」
ロイはついに抑えられず笑いが零れてしまった。可愛い。面白い。嬉しい。そういった感情が綯い交ぜになった笑みだ。エドワードはそれを見て怒るが、照れ隠しなことなどロイにはとっくにお見通しだった。