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マホガニーの誘惑

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三国が教室に戻ると、南沢は自分の席に突っ伏して寝ていた。
三国は露骨に大きくひとつ嘆息して、南沢の席に近づく。
(気持ち良さそうに寝やがって)
開いた窓から初夏の爽やかな風が流れこんできて、白いカーテンと南沢の髪を撫でた。
ふわりと、緩やかに揺れる南沢の髪を見て、(綺麗だな)と三国は素直に思った。自身の癖毛とはまったく違う、柔らかそうな髪。
ふいにその髪に触れたくなって、思わず三国は手を伸ばした。が、理性が打ち勝ってその手を静かに降ろした。
(なにしようとしてんだ、俺は……)
「なんだ。触らないのか?」
眠っているはずの南沢の声が響き、三国は心底驚いた。南沢のマホガニー色の瞳が面白そうなものを見るように輝いていた。
(狸寝入りしてやがったな、こいつ……)
「特別大サービスだぞ、俺の髪に触れるなんて」
「……髪にゴミがついてたから、取ろうとしただけだ」
嘯いてみたが、南沢にはまったく通じず、にやにやと挑発するような笑みを浮かべられただけだった。
「てか、起きてんだったら係りの仕事しろよな。お前が寝てると思ったから、俺が代わりに皆の英語ノート集めたんだからな」
放課後のホームルーム後、英語教科係りである南沢はクラスメイトのノートを集めて、英語教師に届ける仕事があった。しかし、南沢の口から謝辞の言葉はなかった。
「お前なら、きっと代わりにやってくれるって思ったんだよ」
予想通りだな。とても嬉しそうに、目を細めて南沢は笑う。
(こういうやつだよ、こいつは……)
三国は頭をうなだれて、またひとつ嘆息した。
その時、目線の下、足下にある南沢の靴紐が解けていることに気づいた。
「靴紐、解けてるぞ」
「あ、本当だ。三国、結んで」
南沢はそれが当然のことであるように、三国に命令した。
なぜ俺がそんなことをしなきゃいけないんだ。
三国はそう声を大にして張り上げそうになったが、椅子に座る南沢からマホガニーの瞳で見上げられ、言葉が喉の奥に引っ込んでしまった。
三国は三度出そうになったため息を飲み込むと、ひざまずき、南沢の解けた靴紐を丁寧に結び直した。
(本当に甘いな、俺も……)
結ばれた靴紐を見て、満足そうに南沢は微笑む。その微笑みに、不覚にも(可愛い)と思ってしまった三国は、それを振り払おうと大きく
頭を振った。(これは悪魔の笑みだ……!)
「……ほら、そろそろ練習行くぞ」
「はいはい。三国、俺の鞄取って」
南沢は自分の席の脇に掛かっている鞄を指した。三国には文句のひとつも言う気力はもうなく、黙って鞄を南沢に差し出す。
「さんきゅ」
南沢が鞄を受け取ったのを見届けて、教室を出ようとしかけた三国の足を南沢は引き止めた。
「なんだよ?」

「三国、キスしてよ」

突然の申し出に、三国は一瞬だけ頭が真っ白になった。そしてすぐ、意識を取り戻した。
「なに言ってんだよ。ここ、教室だぞ」
「誰もいないからいいじゃん」
確かに、いまこの教室には三国と南沢の二人しかいない。しかし、それだけでは三国の理性は振り切れなかった。
「誰か入ってきたらどうすんだよ」
「大丈夫だって」
なにが大丈夫なのか、南沢の確信が三国には皆目理解できなかった。
「誰かに見られるかもしれないだろ」
南沢はすこしだけ考えて、名案が浮かんだとばかりに手を打った。
「見えなければいいんだな?」
南沢は席を立つと窓際に向かい、揺れる白いカーテンを引き寄せた。それにくるまって顔をのぞかせ、目だけで三国を誘った。
マホガニーの瞳が、身長の都合で上目遣いにこちらを見やる。ひどく誘惑的な色だった。獲物を自分の巣まで引き込んでおきながらそれ以上手出しすることはなく、マホガニーを煌々と輝かせ、相手の出方をただゆるゆると待つ。
(逃げられない)
三国は南沢のマホガニーに完全に惹きつけられ、その瞳から目を離すことができなかった。
(ズルイやつ)
南沢のこの瞳に、三国はとにかく弱かった。南沢もそれをよく理解しているようで、ここぞとばかりに活用してくる。
そんな南沢に振り回される自分を、心のどこかで悪くはないと思っている自分も大概なのかもしれないと、三国は思った。
(本当に馬鹿だな、俺も)
三国はカーテンからのぞく南沢の柔らかな髪を一撫でして、白いカーテンに手を伸ばした。
作品名:マホガニーの誘惑 作家名:マチ子