報復と抱擁
俺は(本当にめったにないことなのだが)帰り道にある神社仏閣の前でところかまわず手を合わせてみた。彼と俺の腕力がいつか真逆にいれかわり、俺が平穏にくらしていけますように、と願った。勿論俺はそんなことですべての願いがかなうなんて思っていない。ただ、こうすることで世の中の俺に対する風が優しくふいてきたらいいなぁなどと思ったのだ。ほんの少しでいい。生傷が癒えるまでは次の傷を作らないでいられる程度でも。
俺はその晩夢をみた。静雄が前から歩いてくる。新宿の大きな通りで、人もたくさん歩いているというのに、俺も静雄も同じくらい素早く相手をとらえる。彼はなぐるために、俺は逃げるために。
俺は彼に近づくといった。
「わざわざ新宿まででむいて俺をなぐりたいの。」
静雄はすでにサングラスのしたに怒りをたぎらせていた。俺は思った。いつだってこうだ。俺を見つけると殴らずにはいられない。俺が何をしたわけでもないのに。はけ口だとでも思っているのか?サンドバックだとでも思っているのか。ああ、いらついてしかたがない。こいつをいかしておけない。なぐってしまいたい。なぐってもなぐっても、きっと傷がつかないこいつの体に傷を残してやりたい。
そのときの俺は少しばかり気がおかしくて、気付いたらなぐっていました、とありえない状況に目をむいていた。俺は素手で、それも静雄の胸のあたりを近距離からなぐっていた。
だが、それよりもおどろいたのは、静雄がいとも簡単に後ろに、ひょろっと、
倒れてしまったことだ。
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数日同じ夢をみた。妙なリアリティがある夢で、日を重ねるごとに一発ずつ、回数を増して彼をなぐった。今までなぐられた部位を正確に思い出し、彼を、彼の体を壊滅してやろうというかのごとくなぐった。静雄はうっと声をあげるがそれだけでやり返そうとしない。俺はそれがまた癪で余計に力をこめた。憎しみだったり、いらだちだったり、そういうことをいっぱいにこめていた。いつも頭でくるくる考えるややこしい計算とか、せこい計略とか、おとしいれてやろうと思う悪意とかそんなもののためでなく、ひたすらに、傷つける目的のために彼をなぐっていた。
そんなある日の午後、池袋の町に仕事にいった。簡単な仕事なのですぐにおえて新宿に戻ってしまおうと思うと案の定静雄とでくわした。よお、と静雄が言うので、俺は一瞬身構えた。今は夢の中だろうか、現実だろうか。俺は今逃げるべきか逃げるべきかを判断するために。
「最近、妙な夢を見てよ、ノミ蟲、お前の夢だ。」
静雄はすぐそばまで来た。そういった夢、という言葉がでたとき臨也にはもう逃げる準備ができていたが、静雄のほうが一瞬はやく俺の首根っこをつかんだ。
逃げようともがく俺の体を軽くもちあげて下からのぞきこむと、つぶやくような声量で言葉を発する。
「お前、痛かったのか、俺をにくんでるのか。」
俺は信じられなかった。彼の言葉に、何をいまさら、と軽く唇をかんだ。憎んでいなければお前なんかにかまっていない。
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夢の中で、静雄をのしてしまった。横になって、顔は泥と砂利と、血にまみれて、雨のふったばかりの地面にねそべっていた。彼の横にたって、静かにみおろしている自分の目はおどろくほど冷たくて驚く。まるで違う場所から俯瞰してるみたいだ。
静雄の上に乗って弱く胸の、心臓のあたりをこづいた。静雄の手はよわよわしく、俺に届いた。夢が、現実だったらいいのに、と俺は思った。むしろこれは現実で、俺が現実だと信じていたのは俺のみていた夢なのかもしれない、それがいい、それでいい、と。
静雄は口を開いた。消えるようにつぶやかれた声がとどくより前に、俺はなんだかとてもむなしくなってしまった。本当に、このまま、夢をみつづけることがただしいのか、この夢は本当に望んだものになってるだろうか。
「やっぱさ、たのしいかもしれないとおもったけど、つまんないなぁ。」
彼の手は宙をさまよい、俺の背に伸び、軽く引き寄せた。腕力はないはずなのに、彼の手はやっぱり大きく感じられた。
「気がすんだのか。」
「飽きちゃった。」
だからもう、いいや。