蛍祭
蛍が舞う。
壮観、と言えば良いのか、幻想的、と表現するべきか。
夜闇に浮かぶ淡い光が、演舞の様に美を描く。
優しい光が、心を満たしていく様な、切なさを呼び起こす様な。
一時期は複雑すぎる想いに翻弄され、忌避さえしていたそれを、今はこんなにも穏やかに眺められる。
それは皆のおかげだ。
自分を見守り、支えてくれた人達の。
────そして、愛しい蛍の。
「パパー!!」
可愛らしい浴衣を着た少女が、嬉しそうに男を呼ぶ。
手にした巾着袋が、少女の元気な動きに揺れた。
呼ばれた男は、とても優しい微笑を少女に返し、手を振って。
「……蛍。あんまりはしゃいで転ぶなよ?」
「だいじょーぶ!!だって、ほたるのことを、このほたるさん達が守ってくれてるから!!」
「……そうか」
蛍と呼ばれた少女の周りを、蛍達が飛び回る。
前世での少女の姿を知るかの様に。
幸せな今の姿を祝福するかの様に。
辺りが夕闇に包まれた頃に、草陰から光の点滅が見えた。
やがて薄い黄緑色の線があちらこちらで弧を描き始め、今この眼前の光景へと繋がった。
蛍光の残滓を瞼の裏に留め、眼を閉じる。
鼻腔を擽るのは澄んだ水と、大地と草木の匂い。
耳に響くのは静かな水音と、虫の鳴き声。
命、生命の営みを感じさせる心地よい音が、ゆったりと流れる時間の中に溶け込む。
そんな現世と隔絶された様な時間の中で。
(……きれいな水の近くにしか、生息しない、繊細な、……か)
彼が想うのは、やはりいつかの蛍の化身。
……ゲンジボタルの一生は、約一年だと。未練か戯れか、少し調べた時に知った。
しかも成虫の期間は僅か一週間。
その短い間に、全てを残し、全てを後に託して終わるのだ。
(……あいつは残せたんだろーか?)
眼を開けて。
映るのは蛍の柔らかな光だ。
宵闇を舞う儚い命。
神秘的で、哀しい程に綺麗な乱舞。
「パ~パ!!」
「おうっ!?どうした、蛍?」
唐突に腕に飛び付いてきた愛娘を見やれば、可愛らしく頬を膨らませ、ご機嫌斜めにこちらを見上げている姿が目に入る。
その様子に瞬き一つ。
「もー!!パパ、ちゃんとほたるのこと見ててよー!!」
そして、そんなストレートな娘の言葉にぱちくりと。
しかし、次には柔らかく微笑んで。
「……周りの蛍さん達が守ってくれるんじゃないのか?」
「そうだけど~……。でも、やっぱりパパが一番なの!!」
大事な娘からの嬉しい言葉に、頬が緩むのは仕方の無い事だ。
「……そうか」
眼が細められ、弧を描く。
頭を撫でれば膨れていた事など忘れた様に笑みを浮かべ、嬉しそうに擦り寄ってきた。
心の中が愛しさで満たされる。
温もり。安心感。幸福感。
どちらともに零れる笑み。
答を得た気がしていた。
かつての蛍はこの胸に。
そうして娘は今此処に。
自分は何もなくしていない。
自分達は何も、なくしてなどいない。
(……あぁ。幸せだな、俺は)
あの、華やかで一瞬だった、終わった後の寂しさまで祭りと酷似していた、綺麗で哀しくて儚かった祭りも終わり、時は過ぎて。
幸せな、楽しい祭りへと姿を変え、また祭りは始まった。
恋と呼んだあの祭りは。
愛と呼ぶこの祭りへと。
繋がりそして、続いている。
蛍を見たいと言ったのは、娘だった。
テレビで見た蛍に興味を持ったらしい。
多少動揺はしたものの、妻子を連れてこの場に来て、結果は己の幸せを再確認だ。
(……どこまで救われてりゃ気が済むんだろーな、俺は……)
そう自嘲し、苦笑するその中にも、幸福の色は消えず。
控えめに灯されたまばらな灯篭の光を遠くに、蛍達の淡く美しい光を近くに。
ただ柔らかく、とても幸せそうに、微笑った。
蛍が舞う。
その光の中、蛍もまた、踊る様に駆け、走る。
「えへへっ、パパー!!あっちでかき氷売ってたんだよー!!ねーねー、買ってー?」
蛍の光を阻害する事も無く、ここからでは音も風に乗って微かに漏れ聞こえる程度の賑やかな屋台の群れは、無数の提灯が吊り下げられた少し離れた神社にあった。
遠くに見える灯篭の、そのまた先だ。
「おいおい、蛍はもういいのか?」
「ほたるさん達は、あまぁいお水の方へ行くんだって!!だから、ほたるもー!!ねー?」
可愛らしく甘えてくるこの娘に、自分が勝てる筈も無く。
「はいはい」
柔らかく笑みを浮かべながら、小さな頭をそっと撫でる。
嬉しそうに、幸せそうに微笑む娘に、こちらの笑みも深まって。
苦笑しながらもこちらを見守る優しい視線に、申し訳無く思いながら、感謝しながら。
「……ママも呼んで、三人で、な?」
「うん!!」
幸せなこの祭りを。
今度は長く、永く。
己の消えるその時でさえ。
蛍の幸せに、笑っていられます様に。
無数の蛍の光に浮かぶ娘の笑顔を目に焼き付けながら。
そう願う。