如月の頃
こちらにいるときは主として主の居るところに隠形し、六合ほどに寡黙で、口を開けば誰より辛辣だ。
人から好かれる性質であるとは、自分でも思わないし、好かれようと努力したこともなかった。
そんな性質だから彰子と出会う機会もほとんどない彼は、小さな彼女から差し出された干した果物に唖然とした。
神将は気温を痛切に感じはしないが、やはり住みやすい季節が来ればどこか気持ちがほっとする。
彼女が差し出したそれは、暖かくなりだしたこの季節であれば市で簡単に手に入る素朴なものだった。
「お一ついかがですか?」
出来なくはない。受け取ることは。人にも分かるよう顕現すれば、物も食べられる。
しかし、今や騰蛇以上に人に親しまれにくいと自負のある青龍は、この藤の姫の行動に思考が付いていかなかった。
「何のつもりだ。」
「疲れているみたいだから。」
十二神将は疲れない。勿論消耗すれば疲れるが、人より体力があり回復力のある彼等に、人が目に見える疲れがあるはずもない。
彼にとっては純粋な疑問で顰められた眉は、年若い女児には些か恐ろし気だ。
ここに彼の主が居たなら、こめかみの辺りを掻いて嘆息し巧く折り合いをつけてくれるだろうが、彼は今ここには居ない。
人の身よりも随分と高い背で小さな女の子を見下ろしながら、青龍は困ってしまった。
「迷惑だったかしら?」
元の家柄を慮ってのこともある。彼女自身がもつ雰囲気が、けして青龍に嫌悪の気持ちを抱かせなかったのもある。さらに主にきつく当たらないようにと強く言い含められていた青龍だから、彼女を無碍に扱うつもりなどなかったのだ。
しかし、残念ながら十二神将は性情に正直だった。
「いや…」
「そう?ならいいんだけど。」
不安げに青龍を見上げた小さな彼女に向けるには、あまりにもそっけない物言いだっただろう。
酷く落ち込んだ様子で踵を返す彼女を青龍は無表情に見た。だから子供は嫌いだ。とそう思いながら。
裳着を終えたとは言え人の中でも幼い彼女を見送りながら、青龍はその気配を感じ取りまた眉間の皺を深くする。ふすまの陰から飛び出す白い陰。
小さな犬か大きな猫のような大きさで、首回りに青龍の青い物と同じような匂玉が一巡する。
夕焼けの瞳を細めて笑った騰蛇が、ひょいと彰子の肩に乗った。楽し気に、白く長い尾が揺れる。
「……」
青龍は反射的にしかと隠形したが、彼とは目が合った。
例の嫌悪に充ち、且つ行き場のない悲痛な目をした白い獣を青龍は冷たい蒼で睨んだ。
若菜が死んだあと、まだ赤ん坊だった吉昌を始め、まだ年端も行かぬ晴明の子供達を育てたのは十二神将だ。
もちろん父親である彼等の主も四苦八苦だけはしたが、蔵所陰陽師にも下がっていなかった彼は忙しく、そしてこれに関しては人並み以下に全くの役立たずだった。 天后、天一、白虎たちのほうがそれはそれは役に立ったのだ。
天空や青龍、騰蛇がなにをしていたかと言えば得に後者二人は、無闇に子供に近付かないことに全力を尽くしていた。
とにかく二人とも子供が嫌いだった。子供は二人の姿を見て泣く。泣かなかったとしても天后に向ける笑顔が向けられることはない。
皆が総出でおむつ換えをしているときも、二人が一緒にいることは天地が引っくり返ってもなかったが、二人は揃ってその場にはいなかった。
その彼が近付いた子供は末の孫で、今はそれに付いてきた女児に笑っている。
そういえば最近は、小さな方の風将すら騰蛇との距離がせばまっているではないか。
「何だ寂しいのか。」
主が気配を殺して近づいてきたのは穏形した青龍をからかうためか、驚かすためか分からない。
どちらにしてもあまり変わりのないことだ。
「何が。」
青龍は主にさえ氷のような目を向ける。
「宵藍、仲良くしろというのは余りにもだがなぁ…」
どうしたものかとわざとらしく嘘ぶく老人に、青龍は冴々と言葉を送った。 瓢々笑う彼に、どう見ても心配の様子はない。
「余り歩き回ると老体に堪える。」
「余り怒ってばかりいると、眉間の皺がとれなくなるぞ。」
心を持った十二神将は、人と同じように時と共にゆっくり変化する。 だから晴明は余り心配していないのだ。紅蓮がそうであったのと同じように、だ。
末の孫まで出てきて廊下でいつもの漫才を繰り広げる様子を遠巻きに、晴明は扇で口許を隠し笑った。
「まったく紅蓮まで一緒になりおって。藤花殿がお風邪でも召されたらどうする気だ。」
いいつつ、いつも通り懐から紙をだし折り紙を始める当たり彼は昌浩をおちょくるコツを知っている。
「……騰蛇は子供が平気になったのか?」
"寂しい"と、彼が口に出すことはけしてないのだろう。その感情に気づくまでにいかほどの時間がかかるのかも分からない。
ぽつりと問いを投げ掛けた青龍は今も氷のようだったが、含まれたわずかな翳りに、主は目を細めた。
桜の季節、如月の満月の日のはなし。