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おまえは獣にはなれない

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彼の着物に手をかけたところで、あざわらう声が耳にとどいた。幻聴かもしれない。かぶさってあいつの、女のかたちの髪や手とかむかしよりのびた全身も見える。これは幻覚だ。そろそろじぶんでもおかしいとおもうような、空白が、あるいは闇がながれだしていた。
「あのこは、勝ちのむこうにあるものを知ってるからな」
いつまで経っても愛せない顔なのに、と吐くようにかんじる。あいつを、杏を、あのこだなんて呼ぶのにまたこころが裏返るきもちがした。
「盤上でたたかうすがたが似てんだって」
どう思う、おまえ?
嫌な笑いかたで問いかけてくるのを無視して、崩しかけた着物を慣れない手つきで整えていった。そんなことをひとつも気にしないそぶりで曰佐はぺらぺら喋りつづける。俺が返事をしないのをわかって。
「おまえと杏ちゃんはいっしょにはなれないよ」
そんなの願ってはいなかった。だって杏とおんなじになるってことは、曰佐ともおなじになるってことなのだ。何年もずっと、何年間も俺はただ、こどものようにこいつのことが憎い、ほんとうにそれだけなのだ。ほかに理由なんてなかった。
将棋も、現実も、頭のなかでも、負けたくはない。純粋な目標なんかじゃなくて、不純で満ちている。それでも勝つことはきれいなんだと、いまでもおもってる。
てきとうに整えただけの着物はだれが見ても汚いとおもうような着方で、呆れたような手つきで曰佐は上書きするように着物を着直した。
ほんとはぬがしてほしかったって、おもってるくせに。俺をいちばんわかってるのはおまえじゃないけれど、おまえをいちばんわかってるのは俺なんだ、このせかいでも将棋でも。
「こんなことまでさせといてさ、タカって」
またねこのように笑った。着物を整えなおして、俺のまえに立つ。曰佐が口をゆっくりと開いていく。どこをどうみてもきれいだと思う、その着衣すがたを、俺は。
「やっぱりおまえは、」
作品名:おまえは獣にはなれない 作家名:まな