死に花
ぽんと肩を叩かれ、振り返る眉間に皺が寄る。
「いいかげんそれは止めろ!」
「のちょげの息子のほうがイイのか?」
「……摂津…いい加減にしないと俺でも怒るぞ」
いつもどおりの派手な着物から白粉の残り香を匂わせてへらりと笑ってみせる。摂津正雪、ここではわずかに先輩だが、年は同じだ。いつもへらりとしていて余り気は合わない。
「お前ェが正雪ってよべってもきかねえからだろ」
「‘摂津’に悪意はないが‘息子’には悪意がある!」
「よかったじゃねえか、冴えない息子にイイ個性が出て」
「うちにはまだちっさい弟も居るんだ。変な陰口を叩かないでもらおう」
がっしりと肩に腕をかけられ、ずるずると庭の影に引きずり込まれる。
「何なんだ止めろ…!」
「息子はさァ、結婚とかしねえの?」
「な……っ父が死んだばかりでそんな浮ついた話があるか!」
やたらに近くで話して来るから、甘い香りにぐらぐらとした。
「じゃあ、オレ」
恥ずかしさに耐え兼ねて鞘で摂津の額を打つ。
「そういう冗談を言うな!」
「って……違うって。妹!オレの妹、嫁にもらわねえか?」
額を押さえたもう片手を振り、摂津が訴えた言葉が脳に染み入る。
「……っ」
いつもいつも摂津が宣う悪い冗談が悪いに決まっている。ただ、妙な勘違いをしたと気付 いた瞬間に顔がどうしようもなく熱くなる。摂津は目を丸くして宇田川をマジマジと見つめた。そして、吹き出す。
「っ……!いい具合に洗脳されてきたな!オレは嫁じゃなくて愛人でいいから」
「何がいいんだ!だいたいお前の妹はもうすぐ結婚するんじゃないのか」
摂津はいい加減な男だが、たった一人の妹にはやたら愛情を注いでいる。結婚のはなしも 聞きたくないのに垂れ流された。
「なんだけど、兄貴としては相手に納得できなくてね」
「誰だ」
「講武館の松山って男だ」
「講武館?良縁じゃないか」
「オレの妹だぜ?」
宇田川は首をかしぐ。
「お前ェの妹なら当然と?」
「オレに似て一発で粛正されちまうようなかわいい妹だ」
「……なるほど?」
「だから結婚してくれ」
熱っぽい告白に、宇田川は頭を掻いた。
「……可哀相だが…」
「妹にならお前ェを渡してもいいかって悲壮な覚悟なのにか」
「俺の腕に母親と兄弟の生活がかかってるんだ。悪いがそんな駆け落ちみたいなことはできない」
てにをはがおかしいのは無視をした。きっと言い間違えだ。
「……まあ、そだよなあ…」
「だがもし、万が一のときには、嫁に貰い受けるのはさておき一緒に縁切り寺まで行ってやろう」
「そっちのほうがアブねえだろ」
武士の体面にうるさい講武館の武士が、嫁に逃げられたなど耐えられないだろう。宇田川は苦笑する。
「大事な友人のためだ、致し方ない」
しかたない、と肩を竦めた宇田川な、摂津は豆鉄砲を食らったような顔をした。
「友人?」
「迷惑か?」
「……恋人じゃないのか」
取り繕うようにニヤリとした摂津から、また質の悪い冗談が漏れる。
「大切な友人だ」
目標の家の前に見慣れた人影をみつけ、摂津は大きな声でその名を呼ぶ。
「宇田川……!」
「やっと来たか」
苦笑してみせた宇田川に、摂津は肩を落とす。
「こんなところで!家族水入らずはいいのかよ」
「なに一晩ある」
へらりと笑うこの男は明日にはあの世行きだ。
「一つ聞きたいことがあった」
「……なんだよ」
「妹君は元気か」
摂津はまた思わず目を丸くし、一瞬悩んだあと頷いた。
「結婚してみればさほど無茶をする男じゃなかった。とんだ取り越し苦労と笑われてるとこだ」
首を傾げておどけたものの、妙にするどいこの男なら、簡単に気付くだろうと思う。顔が引きつった瞬間、家の中から泣き声が響いた。
「……小さな、弟?」
小さい小さいと言っても、元服をすませたところではなかったか。
「この泣き様は、酷い」
わんわんと火の見櫓の鐘のように泣きわめく声に、摂津は眉を寄せた。
「優しい子なんだ。目の前に捨て猫が10匹いたら10匹持ってかえるような子だからな」
「……じゃあ、早く戻ったほうがいいだろ」
笑う宇田川の背後で、サイレンは鳴り響いている。
「ああ、そうだな」
「ん、じゃあ…そのうち冥土でな」
踵を返す。このまま話していたところで宇田川が泣き言をいうのは考えにくい。家族からこのままとりあげておくのも可哀相だ。
「正雪!」
初めて呼ばれた名とは思えないほどすんなりと呼ばれた名前。
「弟を、助けてやってくれ!」
走った分だけ戻って、胸倉を掴みあげた。
「お前ェが生きてなきゃ意味ねえだろ、このハゲ!」
宇田川は泣き出しそうな顔で笑った。