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誘惑も罠も運命だ

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人間食わなきゃ死ぬんだ、と主張してぎゃあぎゃあと騒ぐ子どもをホテルに連れ込んだのはなにも下心などがあるというわけではない。単に私が出張中の身で、宿泊先がホテルだったというだけだ。あ、いや……少しくらいは、その私の方の本音を言えば、あったかもしれないのだが。いや、あくまで今日のこの出会いは偶然だった。
ハラヘッタとうるさく主張する子どもは、弟に財布を渡したままトラブルに巻きこまれただかなんだかをして、結果弟とはぐれてしまい、「簡単に言えば迷子かね?」と尋ねたところ「アルの方がオレからはぐれやがったんだー」と主張した。
まあ、そういうことで一昨日から何も食べていないらしいのだ。「ここで大佐に会ったはラッキーだな!とりあえずなんか食わせろ金も貸せ!」と当たり前のように告げられて。銀時計は持っているのだろうから銀行にでも行け、と思ったのだがよく考えてみなくとも一昨日から今日までは日曜祝日と続いていた。預金はあっても現金はなし、か。まったくもって無意味だな。まあ仕方がない。私は鋼のの後見人でもあるのだから保護をするのは当然のことで。食事くらいさせてやるのもわけないことで。まあそういう事情で鋼のを私が目下宿泊中のこの高級ホテルに連れてきたのだ。少々どころか非常に汚れた風体をしていたので、レストランには行かず、部屋でルームサービスを頼むことにした。適当に二人前の食事を頼む。ああついでにワインとジュースも付けてくれたまえ。などといういい加減なオーダーにも関わらず、届いた料理はすべて皆食欲をそそる素晴らしい香りだった。チーズ三種盛り合わせに焼きたてのパン。スモークチキンのサラダにポタージュスープ。バルサミコ酢のヴィネグレット、仔牛肉のウインナシュニッツェル。鮮魚のポアレにピザにパスタ。さすがアメストリス軍部高官御用達ホテルだな、と無駄な感想を抱きつつ私はワインを傾ける。ちなみにこれらの二人分の食事のほとんどは鋼の錬金術師、エドワード・エルリックの胃袋の中に収まった。あまりに見事な食いっぷりを見ているだけで私は満腹感を覚えてしまったのだ。この小さな身体の中によくもまあ収まるものだと言葉にすればせっかく満腹感でご機嫌になったエドワードの機嫌を下降させるのは得策ではない。なので、余計な言葉を発しないようにと私はワインをゆっくりと堪能する。
「食欲は満たされたかね?」
「あー、ごっそさん。腹いっぱい」
「そうかそれはよかった」
あっという間に皿は空だ。ここまで素晴らしい食いっぷりを披露されると呆れるどころか感心する。
「あーのさー、大佐」
「うん?何かね?」
「風呂借りていいか?実はオレ一昨日からシャワーも浴びてねえんだよ」
見ればわかる。だからレストランには向かわずルームサービスを取ったのだ。私は承諾の返事をする。
「構わんよ。ゆっくり浸かってくるがいい」
「おうっ!ケツの穴まできれーにしてやっからさ」
げふっとワインを吐きだしそうになってしまった。いかんいかんきっと彼の言葉に他意はない。その手の意味はないはずだ。そうだ私の行動にも下心など何もない。あくまで一文無しの鋼のに食事と寝場所を提供しただけ。下心などは……鋼のに悟られているわけは、ない、と……思いたい。ああ、いや、心頭滅却!私に他意は、ない!というかその、だ。私も鋼のの言葉にというかその単語に過剰反応しなければいいというだけだ。どこをどう洗おうと、それは単なる入浴に過ぎない。一昨日からシャワーも浴びられなかったというのなら、それはそれは単に、そう、局部付近も清潔にしたかっただけなのだろう!
「まあ、適当に磨きあげたまえよ……」
動揺を押し殺して返事をした。
サンキュー大佐ーとバスルームに向かって行く鋼のを背を見て、ふう……、と一つため息をつく。うむ、やはり私が過剰に反応し過ぎているだけなのだ。鋼のには、こんなことを私が思っているなんて思いもよらないことだろう。
「あ、そーだ。大佐」
ふと思いついたようにバスルームの扉の前で立ち止まり、鋼のは私の方へと向き直った。
「何かね?アルフォンスの行方でも探してほしいというのかね?」
「んにゃ、それはダイジョーブ。アルなら上手くやってるだろうから明後日辺りに万が一の場合の時の待ち合わせ場所に行くからさ。そーじゃなくて」
「うん?」
その場にて、ぽいぽいぽいと鋼のはコートを脱ぎ上着を脱ぎシャツをも脱いだ。
「オレ、食欲も満たされたから今度は別の満たしてほしいなって思ってさー。人間の三大欲求って知ってるだろ?」
ベルトを引き抜き靴下を放り投げた。下着一枚の姿でこちらを向くんじゃない鋼の。
「……睡眠欲かな?食べて風呂に入ったら後は寝るだけというわけか。まあいい、そちらのソファでも使いたまえ」
食欲に睡眠欲。まあ人間の本能に忠実でいいことではないか。まあ何でもいいからこちらを向くな。
「いや、そっちじゃない方。あ、寝るって言えば寝るなんかな?」
「食欲が満たされ、睡眠欲ではないということは残りは……ああ、物欲か!何か欲しいものでも?さすがに文献などは持っておらんぞ?」
「ワザと話逸らしてねえか?寝る、で、睡眠じゃねえっつんなら決まってんだろ。人間の三大欲求はアレとコレとソレだ」
「は?」
アレとは何でコレとは何だ?首をかしげた私に鋼のは、最後の一枚になったその下着を脱ぎ棄てて、ペイっと放り投げてきた。
「身体じゅうどこ舐められてもいーようにピッカピカに磨いてやるから。ちっとだけまってろよー。あ、それ適当にクリーニング頼んでおいてくんねえ?」
ええと?それはつまり?服の山は電話一本でクリーニングは可能だが。今頼めば明日の朝起きたことにはきちんとアイロンを当てられた清潔な衣類が届けられることだろう。が……。
人間の三大欲求は、食欲性欲睡眠欲。いや、それには諸説あって物欲だとか排泄欲だとかもあるらしい。心理学的に分析するのなら、欲というか欲求には基本的欲求と派生的欲求の二つに分かれているはずで。その基本的欲求が生物的欲求と内発的欲求に分かれていて。さらにその生物的欲求が食欲性欲睡眠欲、というだけの話であって、人間の欲には際限がないから三大なんとかなとど、名称を付けても意味はないではないのかと思われるのだがええと、だ。食欲と睡眠欲が除外され、尚且つ寝るというカテゴリーに分類される欲求というのはそれは……。

それ、は……。

耳に聞こえてくシャワーの音。そして調子の外れた鋼のの歌声。


これは誘惑かそれとも罠か。
作品名:誘惑も罠も運命だ 作家名:ノリヲ