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【中身見本】Innocent World

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1章


突然ポケットに突っ込んでいた携帯が鳴り、その着信音にハリーは顔をしかめる。

ポケットからの呼び出し音は、ある一人の相手のみに設定している専用の着信音で、出来たら一生聞きたくもない音だった。
(……このまま気付かなかったフリで、切れるまで放っておこうか)とも思ったのだが、やはり無視したのがバレたら、その後が面倒だ。
―――そう、そっちのほうが後々ものすごく面倒なことになる。

ハリーは頭を振りハァー…とため息をつきつつ、通話ボタンを押し携帯を耳にあてた。
「遅いぞ、まったく。鳴らしたら、さっさと出ろよ!」
最初の一言目からいきなりこれで、(やっぱり出ないほうがよかった)と顔をしかめる。
それでも気を取り直しゴホンと咳払いをして、結構自分としては愛想のいい声で返事をした。

「……ああ、ごめん。今仕事が忙しくてね。月末はいろいろと仕事が詰まっているんだ」
「へぇーっ、そうなのか……。ところで時間が出来たから、今から行くから。君のアパートへ」
相手の都合も聞くことはなく、一方的に物事を決められそうになり、ハリーは慌てた声を上げる。
「ええっ!!別に来なくていいよ、マルフォイ!」

一瞬の沈黙のあと、すぐさま独特の少し低くて意地の悪い声が返ってきた。
「……今―――、何か変なことを言わなかったか、ハリー?」
(やばい、口が滑った!)

ハリーは必死でそれを打ち消そうとする。
「――そうじゃなくて……、そういう意味じゃないんだ。今、来てもアパートには誰もいないよ。まだ残業で僕は会社に居残っているからね。片付けなきゃならない仕事がいっぱいあって、今日は真夜中までかかりそうなんだ」
「―――いないのか?せっかく行ってやるのに」
(ちっとも君のことなんか呼んでないから!)
と心の中で舌打ちしつつ、心とは裏腹にハリーはよどみなくスラスラと謝りの言葉を口にした。

「本当に僕も残念だよ……」
しんみりとした声で相手に同調する、こういう芝居がかった演技など、叔母夫婦の前でずっと子どもの頃から頭を下げて舌を出していたから、今更ハリーにはなんでもないことだ。
「――僕は会社なんだ。残念だけど、しょうがないよね。本当に残念で仕方ないけどまた今度、こっちの世界にやって来るときにでも声をかけてくれよ。―――じゃあ!」
用件のみ告げてさっさとそのまま電話を切ろうとしたら、閉じようとした携帯から変な言葉が聞こえてきた。

「ああ、分かったよ。アパートは諦めるよ。その代わり、君の会社に行くことにする。今から!」
そのままフェードアウトしていく声にハリーは驚き、慌てて携帯を再び開いた。
「ええーっ!!ちょっと待ってくれ、マルフォイ!今、なんて言った?会社にやってくるなんて、ふざけたことを言ったんじゃないだろうな?ちょっと、待ってよ…」
受話器に向かって必死でしゃべりかけても、通話が途切れたツーツーという機械音がするだけだ。

「ああ、―――もう!くそっ!」
舌打ちしつつボタンを操作して着信履歴を見ても、やはりドラコからの電話は圏外だ。
なのになぜ自分の携帯に魔法界にいるマルフォイから直に電話がかかってくるのか、どんな種類の魔法を使っているのか、さっぱり理解できない。
新種の魔法だろうか?
―――いや魔法の種類なんか、この際どうでもいい。

それよりもずっと頭が痛いのは、毎回こうしてかかってくる、ドラコからの電話の内容そのものだ。
ハリーにしたら「ドラコからの電話の意味」なんかちっとも分かりたくもないし、知りたくもない!
「―――なんでやってくるんだよ……」
唸るような声を出しつつ、ハリーはフロアーを落ち着きなく歩き回る。

来て欲しいとも思ったことがないし、一度だって自分から相手に声をかけたことすらない。
それなのにいつもドラコはハリーの住んでいるアパートに、ふらりとやってくる。
まるで自分の別荘のひとつでもあるかのように、「飲み物は何があるんだ?」と勝手に冷蔵庫は覗くし、ジャケットやコートは脱ぎ捨てたまま、椅子やテーブルに置きっぱなしで片付けようとはしない。
「おなかが空いたから何かないか」だの、靴を脱いで「さっさとルームシューズを出してくれ」だの、本当に言いたい放題、やりたい放題で、ハリーをハウスエルフ同然のように命令して、平然とこき使っている。

なにもそこまで相手に合わせてやらなくてもいいとは思ってはいるが、いかせん相手が悪かった。
ドラコはあのマルフォイ家の御曹司だ。
このマグル界で自分が生活できるようにいろいろと取り計らってくれたのが彼のいるマルフォイ家だった。ある意味、彼は恩人でもある。
絶対に無碍にはできない。
そこが頭の痛いところだし、余計始末に終えなかった。

(ああ…むかしはよかったよ。派手な喧嘩や言い争い、嫌味も言いまくったし、時には相手を立派ななめくじにだって変えてやったさ。本当に心おきなく、なんだって出来た。それが今じゃあ、こんなに相手にへつらって…)
「はぁああー」と、ハリーは情けない声でため息をつく。

ここの数日の立て込んでいた仕事で、ずっとパソコンに張り付いていたから、両肩が痛かった。
その上に、これからやってくる厄介な相手のことを思うと、疲労もピークに近い。
オフィスには自分以外に誰もおらず、シンと静まり返っていた。
ハリーは締めていたネクタイを緩めると、
「まったく、やってられないよ」
と短く愚痴をこぼす。

気分を変えようと首を横に振り、サーバーのコーヒーをカップに注ぐ。
歩いて窓際へ寄り、オフィスから見える夜景に視線を向けた。
そこにはきれいなネオンの海が眼下に広がっている。
色とりどりに輝きとても美しかったが、もうハリーにはそれは見慣れた風景のひとつになってしまった。

魔法界からこのマグルの世界に戻ってきて、もう数ヶ月は過ぎたはずだ。
なんとかこういう普通の平坦な生活にも慣れた。

今となってはあの「魔法界」そのものが異質で、異常な世界だった。
ハリーにとっては……。

もう少ししたら、ずっとてこずらせていた作成中の月末報告書も完成して、やっかいな仕事もそれですべて終るはずだった。
そのあとはどこかの店で少し食べて、軽く飲んでから帰宅する予定だったのに……。

せっかくの、ささやかでも楽しい週末の予定が、マルフォイの来訪という予想もしていなかった出来事のせいで、みんなふいになってしまった。

(ツイてない)
ハリーは深くため息をついた。
ぼんやりと壁の時計を見ると、針は深夜に近い時間を示していた。

作品名:【中身見本】Innocent World 作家名:sabure