toccata
エピローグ
「はい、おっけーです!これで終了です!お疲れ様でした〜!」
「お疲れ様でした!」「お疲れ様でしたっ!」
レコーディングスタジオに終了の言葉が響く。
その言葉を聞いて春歌はホッとしていた。
ブースから二人が出てくる。
神宮寺レンと聖川真斗だった。
お疲れ様でした、と春歌は声をかける。
「お疲れ様、どうだった?俺達の歌」
レンはウインクをしながら感想を求める。
「とても良かったです!本当に…凄く優しい気持ちになれました。今日、とても良い気持ちで眠れると思います」
「それは良かった。子守唄だからな、そうでなくては困る。最初はこいつの暑苦しさに頭が痛い思いがしたが…」
「何言ってるんだよ、聖川。お前のは堅苦しくてたまらんね。説教されてまで寝たくないし」
「なんだと?貴様もう一度言ってみろ。私は説教しているつもりはない。夜遅いと肌に良くないと思ったりする事はあるが」
「だから、それが説教なんだって…無自覚って怖いねぇ」
「…貴様…」
春歌は、もう止めて下さい!と間に入った。
二人は少女の方を見てからお互い見合い、溜め息をつく。
あの時もそうだった。
このデュエット曲を創り上げるまでの一週間。
本当に衝突ばかりだった。
自分が体調を崩さなければ二人に迷惑をかける事もなかったと言うのに…と春歌は反省もしている。
春歌は結局体調不良により、締め切りの最終日迄ベッドの上にいた。
その間、彼女が書いていたものを土台にし、二人で曲作りをしていたのだ。
「今回の曲は、彼女だけの作曲じゃなくて三人での共作にさせて欲しい」
神宮寺レンは、春歌が倒れた日に日向龍也にそう願い出た。
社長にかけ合ってくれたところ、「それは面白い危機の脱し方デース」と了承してくれたのだ。
こんな簡単な風に入ってはくれなかっただろう事は、三人も理解している。
日向が根気強くかけあってくれたのだ。
感謝してもしきれない、と三人は思う。
了承を得てから、レンと聖川は二人での製作に入った。
衝突する事はあったが、部屋には春歌がいる。
強く言い合うと言う事は必然的になくなっていた。
だが、部屋にあった筆談の後の紙をかなり辛辣なやり取りが合ったのは事実だが。
テーマを子守唄に決めた理由は、製作で行き詰った時に、春歌の様子を見に行く…と言う事を口実にして少女に逢いに行った事の影響が大きかった。
点滴を受けた後は熱は確かに引いていたが、顔色や表情は普段とは全く違う。
やはり具合は良くなさそうだった。
そんな少女を見て、少しでも良くなるようにと、眠りが心地よいものになるようにと。
二人はそんな事を同時に思っていたのだった。
レンが手を握る。
それを見た聖川が負けずと逆の手を握る。
二人の姿を微笑みを浮かべる、互いの愛おしい人。
レンが春歌が好きな事も。
聖川が春歌を好きな事も。
お互い知っていた。
春歌自身は…レン曰く
「知らない、気が付かない。その鈍感さが良い」
全く気が付いていないようだった。
やきもきする事はあっても、彼女の創る音楽は二人にとって世界の中で最も大切なものの一つだ。
スタッフに見送られて三人はスタジオを後にした。
「何だか、一年くらい経過した気分です」
春歌は苦笑しながら二人の少し前を歩く。
足取りは軽やかだ。
その後ろ姿を、レンと聖川は眩しいと瞳を細くして見ている。
「やっぱり音楽って、一人じゃ出来ませんね。こうして出逢えて、本当に嬉しいです」
レンの歌声、時々してくれるサックス演奏。
聖川の歌声、時々してくれるピアノ演奏。
相互の持つ言葉の構成の仕方、物語の創り方。
そうして、春歌による音の紡ぎ。
何一つ欠けてはいけない。
今はまだ、三人である必要がある。
未熟者同士が傷をなめ合っている様だが、それで強くなるならば今はまだこのままである必要がある。
その事に気が付いてはいるが、レンはもう少し先が欲しかった。
熱にうなされている時に奪った唇の感触。
アレを独占したいと、その唇を開き発せられる名前は自分の名前だけが良いと。
聖川は先が欲しかった。
もっと音を重ねたい、自分の音と彼女の音を。
一つになって世界に広がりたい。
熱でうなされていた時に握った手の細さを、その弱さを支えたいと。
「レコーディング終了記念に、どこかで美味しいものでも食べに行こう。勿論俺のおごりで」
レンは春歌に声をかける。
春歌は振り返って、
「じゃぁ、私美味しいケーキ屋さん知ってます!ここ甘さ控えめで美味しいんですって!神宮寺さんでも大丈夫ですよ!」
と爽やかな笑顔で答えた。
仕草一つ一つが可愛らしい。
聖川は、その姿に頬を赤く染めてしまい視線をそらした。
その隙を見逃さず、レンは一歩先に出る。
「じゃぁ、早く行こうレディ。夜遅くなると、甘さ控えめでも今後のダイエットが大変になるよ」
言葉を聴いて、春歌はしゅんとした表情になった。
「こらお前!七海を困らせてどうする!大丈夫だ、今でもお前は十分綺麗だ」
聖川も空いてしまった距離を必死に埋める為に、歩を大きく進める。
「それフォローになってないからな」
「何を!元々お前が…」
「あーもーお二人とも、仲良くなさってくださいー!」
喧嘩するほど仲がいい、とは良く言うもので。
それは限度がある、と少女は思う。
だが、それがお互いを高め合うものならば、許されうる時間の中で大いに行うべきだとも思う。
まだまだ続くこの、先が見えない三角関係を、空は静かに微笑ましい光景だと眺め続けていた。