馬鹿の言い分
技術開発局で局長を務めている涅マユリがそこに着いた時はすでに、その研究員は虫の息だった。何人かの死神と、虚のせいで出来た血だまりの中に、それはひくひくと体を痙攣させながら横たわっていた。それを見てマユリはただの肉体であったならもう少しましであっただろうと少し残念に思ったが、ともかく虫の息とはいえ研究員は生きて、マユリをそうだと認識していた。
マユリがその研究員と別れたのは三時間ほど前のことになる。新しいサンプルの到着が遅れていて、手が離せない仕事をしていたから現場に彼を送り出したのだ。この有様がそのサンプルの何かなのか、それとも全く別の何かなのか、状況を知らないマユリには知り得なかった。
近づいてみると、研究員はよく動く黒い眼をこちらに向けてそれから揚々と細めた。ぽっかりと腹のあたりに風穴があいて、傷口は赤くただれている。焼かれたような跡もあり、男を通り抜けたものはそれなりの熱をもったものだと言うことが知れた。
熱いのかと尋ねてみれば、血の塊を一度吐き出していいえ、と彼は答えた。焦点の合わなくなってきた目はぼんやりとマユリの上を滑り、力なく瞼を落とす。研究員はそれでも至福とばかりに笑っていた。口元から伝う血の色が赤く、このままほおっておけばきっと助けの来る前に死んでしまうのだろう。マユリがそこで考えたのは、そこに自分という助けが入る余地があるのかどうかだった。惜しい気はする。間違いなくそう思っている自分はいたが、さてはて、事実はどうだろうか。恐ろしいかと尋ねてもはいとは答えない可愛げのない研究員のことを、惰性でなく惜しいと思うのは?そんなことに思考を巡らせていると、研究員は不意に声を立ててわらった。
「最後に見れたののがあんたの顔とか、俺もつくづくついてない」
ついてないというわりにその顔は嬉しそうだった。まさかあんたが来てくれるとは思わなかったと頭の沸いたことをついでに続ける。マユリがここに来たのは余りにもサンプルが来るのが遅かったからであって、何も心配したからとかいう理由ではない。第一ネムが現世の方に行ってなかったらここへ来たのはマユリではなかった。到着が誰より早かったのだってただの偶然に他ならない。馬鹿かネ、君はといえば、馬鹿ですよと研究員は答える。黒い瞳がゆらりとうごめきながらマユリを見る。そこには違う意味も含まれているようではあったが、それはマユリの知るべきことではなかった。
「哀れな男だネ。」
マユリはそんな男を形容して言った。懐から出した注射器の針を弾き、空気を抜く。ともかく何があったかこの研究員に聞かねば分からないし、もしかしたら新しい何かの発見につながるかもしれない、そして、幼いころから何かと目をかけてやったこの腕だけはある男を失うのはやはりなんだか癪であった故の動作だった。そうやって治療するために屈んだマユリの指を何故だか男が掴む。よもや治療されるのが嫌なのかと勘繰っては見るが実は違うらしい。力と温度の抜けた手がそっとマユリの手を伝い、思ってたより暖かいんですねと呆けた顔で男は言った。その言葉にマユリはなぜだか無性に腹が立って、その頬を力の限り殴り飛ばした。
どうせ、この男は死んだりしない。