隠していても分かる
訓練所への回廊を歩んでいた足を止め、フッチは空を仰ぐ。遠く山間に虹が見えた。表情を緩め大きく息を吸い込み、そうして雨上がりの空気を身体中で満喫したあと、再び歩を進めた。
角を曲がった途端、足元に僅かに破片の感触があった。不審に思い周囲に目を凝らすと、台座に本来あるべき花器がない。近付き、裏側を見やる。
果たしてそこには、花器であっただろう残骸が無造作に放り込まれていた。自然、口元が引き攣る。
心当たりの人物を思い描いたところで気配を感じ鋭く振り返ると、先の角に朱い竜冠がちらりと見えた。フッチは薄い笑みを貼り付かせ、動向を見守る。しばらくすると、おずおずと小さな少女が顔を見せ、フッチの視線に気付くと慌てて逃げ出そうとし──転んだ。
「シャ〜ロ〜ン〜?」
フッチは額に手を当て深くため息を吐き、低く少女の名を呼んだ。途端少女は肩を震わせ勢い良く立ち上がり、恐る恐る振り返る。フッチは薄い笑みはそのままに、怪我の有無を視認する。派手に転んだ割には、膝を赤くする程度で済んだようだった。少しの安堵に息を吐き、腕を組み背後の破片を指差す。
「シャロン、あれはなんだい」
「ボクじゃないもん!!」
間髪入れずシャロンは叫んだ。しかしその目はきょどきょどとしきりに彷徨っている。
「シャロン。怒らないから正直に言いなさい」
「もう怒ってんじゃん!」
フッチは幾度目かのため息を吐いた。
頬を膨らませくちびるを尖らせる少女の前に近付き跪く。その両手をやんわりと包んで、やさしく問うた。
「シャロン?」
やさしく見つめられ少女の眸は惑うたもの、きゅうとくちびるを噛んで否定する。
「……ボクじゃな……いひゃいいひゃい!」
「ん?」
フッチは顔を引き攣らせながら、シャロンの両頬を柔く抓む。
「『ごめんなさい』は?」
「ご、ごめんなひゃいいい」
観念したシャロンが素直に謝罪すると、フッチは抓んでいた指を離し、労わるように頬を撫ぜた。大きなその手の上に、少女の小さな手が重なる。そうして今にも零れんばかりに眸を潤ませ、ひくりとしゃくり上げた。
「──なんてことがあったね」
覚えているかい、と腕を組んで口元を引き攣らせたフッチの前には、正座をさせられたシャロンが居た。不満げにくちびるを尖らせそっぽを向いている。
「あれから何年経ったと思っているんだい。どうして君はそう成長しないんだ!」
「……ボクのせいじゃないもん」
花器の残骸を前に、懲りずに否定する少女の頬を過去をなぞるように抓り、フッチは顔を近付けた。
「君の隠し事なんて何でもお見通しなんだよ」
「フンだ! ボクの気持ちには全ッ然気付かない鈍感竜バカ男のクセにぃ!」
一字一句ごとに抓られる頬を押さえ、シャロンは勢い良く立ち上がり叫ぶ。
そうしてしかめ面で舌を出し、捨て台詞を残して脱兎の如く駆け去って行った。
フッチはしばらくの間、少女が開け放したままの扉を無言で見やっていたが、やがて深くため息を吐いてこめかみに手を当て呟いた。
「まったく、判ってないのはどっちだよ……」
再びため息を一つ。
そうして城主へ謝罪すべく、部屋を後にするのだった。