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ねこはなく

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四木にとって、折原臨也は有能で有益であると同時に有害で害悪だった。
男の情報は金で買う価値があるが、それ以上に慎重にならざるえない。何時掌を返されるか、まさしく信用はあるが信頼は無い男。それが折原臨也だ。
とは言え、お互いボーダーラインを知っているぐらいの頭は持っているから、多少の実害には目を瞑れる。踏み越えられた時に飛び交うのは果たして銃弾かナイフか、考えるまでもないが。
しかし、とある子供と出会ったことで、四木と折原臨也のボーダーラインの意味が塗り替えられようとしていた。
四木はその子供を想い、うっすらとその唇に笑みを敷く。
普通で平凡で日常を具現化した少年は、けれど誰よりも不可思議で不透明であり透明な人間だった。
まだ十代半ばを脱却したばかり年齢以上にあどけない風貌を持ちながら、その蒼い眸を冴え冴えと煌めかせる少年は、四木にとっても、折原臨也にとっても、いわゆる『お気に入り』の人物だ。
ヤクザに怯えるかと思えば、ボタンひとつで何百人何千人という人間を操ることに躊躇いも見せず。
異なる日常に子供のように目を輝かせたかと思えば、不純物を躊躇いもなく握りつぶす冷酷さを見せる。
(面白い子供)
奇しくも四木と折原臨也は、共通の印象をその子供に抱いていた。そして、その心の行き先までもが同じになるとは思いもしなかっただろう。
先手は、折原臨也だった。
少し前から、子供と折原臨也が共に居る時間が増えていることを四木は当然気付いていた。
そして同時に子供に対して――個の人間に対して――あからさまな執着と情愛を見せる折原臨也を、四木は愉快と感じながら僅かな嫉妬に心奥を灼いた。
あの蒼い眸に映るのが自分であったなら、そんな青臭い妄想を感じる自分を時として嗤いながらも、それでも四木は子供が幸せならばとじりじりと焦がすその炎に蓋をした、――つもりだった。




その眸から零れる涙を見なければ。





「ご要望の情報はこのメモリにありますので、後で確認して下さい」
「ありがとうございます。情報料は後日いつもの口座に振り込んでおきますので」
「よろしくお願いします」
そしてそのままひらりと踵を返す黒いコート。
何時もならそれを見送るだけなのだが、今回は違っていた。

「―――最近、お忙しいようですね」

掛けられた言葉に、訝しげに顰められた眉は一瞬で、情報屋は愛想良く応える。
「売れっ子なもので。まあ必要とされていることは情報屋冥利に付きます」
「今日はまだ仕事が?」
「―――ええ、まあ」
四木は微笑んだまま。折原臨也の笑みも崩れない。

「若者の心を弄ぶのもまた仕事だと?」

静寂。
四木は情報屋の若さを嗤った。

「―――そういえば、この前猫を拾いましてね」

脈略の無い話題に臨也の眉が僅かに上がる。
「ああ、猫と言っても一応飼い猫なんですけど、どうやら飼い主がちょっとした粗相をしたようで愛想を尽かして出てきたのを保護したんですよ」
『猫』を思い浮かべるだけで四木の笑みは温もりがあるものに変化をする。
折原臨也の笑みはまだ崩れない。
「子猫ですか?」
「ええ、まだ子供です」
大きな眸も、細い手足も、折れそうな首も、温もりに餓えている処も、全てが庇護欲をそそる未完成の子供だ。
「では可愛い盛りですね。けど、そんなに可愛い飼い猫なら、今頃飼い主が必死に探してるんじゃないんですか?ああそれとも、俺に飼い主探しの依頼でも?」
四木は「そうかもしれませんね」と答え、最後の問いには首を振る。
「猫が帰りたがらないので、そのままにしているんですよ。――余程、飼い主に嫌な思いでもさせられたんでしょうねぇ」

恋しい、恋しいと泣いた猫。
(―――四木さん)
けれど、今はもう泣かない猫。

(ありがとうございます)

掌に擦り寄ったあの頬の熱を、四木はもう手放すつもりはなかった。


例え、まだその心に折原臨也が巣食っていても。


「このまま私が飼ってしまおうかと、思っているところです」


四木の眸に映る男はもう笑っていなかった。
歪んだ愛を持つ飼い主の心など知らずに、今頃猫は居心地の良いぬるま湯に浸かり瞼を閉じていることを、漸く気付いたのだろうか。

「―――その『猫』の名を聞いても?」

掠れた声が押し殺しているのは、どんな色の激情だろうか。
四木は男を嗤い、猫を想い微笑う。


「その人に愛されたいならば、その人だけを愛せばいい。――それだけのことを、貴方は知らなかったようですね」


愛し方を間違えた愚かな男。
猫はもう、お前を想って泣くことは無い。

作品名:ねこはなく 作家名:いの