愛の言葉
白蘭はそちらを見る。
煉瓦色の髪と東洋人らしい肌は、花のような赤で彩られている。
こんなコントラストも嫌いじゃないなぁと冷たいくらいの平静さで考えた。地味好きの彼には派手な色は似合わないと思っていたが、こんな彩りなら悪くない、と。
白蘭はふと、自分の唇が笑みの形に歪んでいることに気づく。
濃い緑色の目が、必死な様子で白蘭を捉えた。
その眸に確かな憎しみを見出して、少しだけぞくりとした。勿論、楽しくてだ。それ以外に反応のしようがあるだろうか?
「後悔してる?って聞こうと思ってたんだけど。……その様子だとまだ闘り足りない、って感じだね」
わざとにっこりと笑った。
そこでやっと、正一は顔をこちらに向けた。
赤色が零れる。
唇から隠しようもなく伝うその色は、美しかった。白蘭にとっては飽きるほど見た色なのに、今まで見た誰のものとも違っていた。
裏切られたのは初めてではない。けれど、正一がここまでぼろぼろになるのを見るのは、この世界だけでなく全ての白蘭にとって初めてだった。
ここまで執拗で強硬に刃向かってきたのは、「彼」が最初だ。何年にもわたる情報操作、レジスタンス活動、そして正一本人も力を蓄えていた。得意の頭脳を活かした何重もの戦略で、王手をかけてきた。おかげでこちらも牙を向けてお返しをすることになった。
その結果が、これだ。
「……白蘭、サン」
「まださん付けで呼んでくれるんだ?ほんと甘いなぁ」
すぐに死に至るほどの傷ではない。けれどこのまま放置するなら同じことである。致命傷を与えなかったのは、温情でも躊躇からでもない。
少し話をしたかったから、あえてそう狙った。
入江正一から憎まれるのは、限りなく快感に近いものがあった。彼の嘘で固められた目を見るたび、それを叩き潰すのはどんな気持ちなんだろうと考えていた。
ああそれに。
もともと全て、この友人から始まったのだ。
そういった心境からかもしれない。彼から流れる血が、厭に美しく見えるのも。
こほ、と咳が混じる。
呼吸が浅くなっている。
「正チャンはさ、どうして僕を止めようなんて思ったのかな」
白蘭が目的のためには手段を選ばないタイプなら、正一はその逆だ。最後のところで優先するものが互いに違いすぎる。
けれどその実、正一は打算的な男だ。少なくとも白蘭にはそう見えた。臆病で良心的で、その癖自分の好奇心に負ける根っからの研究者だ。だからこそ一時とはいえ、白蘭に与したのだろう。そんなアンバランスさは、嫌いではなかった。
彼が苦鳴から耳を塞ぎ、研究に没頭するのも。無表情を装って悪事を行うのを見るのも。
そうか、と白蘭はやっと気付く。僕はずっと、この男を傷つけたかったのか。
正一がさらに咳き込み、血が飛散する。
「……貴方を」
すくいたかった、と唇が動いた。
正義。まさかそんなもののためだけに動くほど、つまらない人間だとも思っていなかった。
けれど、同情や勘違いならもっと悪い。
緑の目には、もう憎しみなんて浮かんでいなかった。それを白蘭は、不思議な思いで眺める。
これから先、どこかの世界で白蘭が何度も聞くことになる台詞を、彼は虫の息で口にした。
「貴方は……間違ってる」
「残念だけど、」
白蘭は自分でも完璧だと分かっている微笑で応えた。
「僕は変わるつもりはない」
正一はゆっくりと瞬いた。口元が震える。
彼は泣こうとしたのかもしれない。あるいは、最後に笑おうとしたのだろうか。
その答えを知ることは、白蘭にも出来そうになかった。
そうして、世界は静かになった。
鮮やかな色。自分が変わらなければ、きっとまたどこかで見られるだろう。
白蘭は、もう何も聴いていないはずの彼の耳に唇を寄せて囁く。
だから。
また裏切ってくれるのを、楽しみにしてるよ。