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彼というひと

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動揺しちゃって。

 盗み見た彼の横顔に、ヒルデはこぼれる笑みを隠せなかった。
 ヒルデがそれに気付く事が出来たのは、以前にデュオに聞かされたことがあったからだ。『ヒイロ・ユイの表情の読み方について』── マニュアル通りだ、さすがよく見ている。

 それを教えた当の本人は、今、馴染みのパーツ屋と商談を成立させたところだった。満面の笑みと、長い三つ編みをひるがえして店主に抱きつく姿を見れば、うまくいったことが離れた場所からでもわかる。
 店主の方も慣れたもので、遊びをねだる大きな犬をあやすようにして、飛びつくデュオを好きにじゃれつかせている。
 この街にデュオを訪れたヒイロと、たまたま彼を案内したヒルデが並んで遭遇したのは、そんな場面だった。
 ちらり。
 ヒルデはもう一度、隣の男の様子を窺う。つくづくデュオのマニュアルは正確だ── あーあ、びっくりしちゃって。
「よくあることよ。あいつ、お得意様だから」
 フォローのつもりでかけた言葉は、役に立たなかった。
 むしろ逆に、ヒイロの心中を掻き乱してしまったようだ。
 本音を言えば半分は意地悪のつもりもあったのだが、「……そうか」と一見無表情に、けれどちいさく呟いて僅かにうなだれるヒイロを目のあたりにすると、罪悪感を覚えた。
 ……何にへこんじゃってるんだろう。
 興味はあったがそこまで無神経ではないつもり。ヒイロの── デュオのマニュアルによれば落ち込んでいる、らしい── 横顔に、ヒルデは応援とも叱咤ともつかない眼をあてた。
「びっくりするようなことじゃないわ。ああいうヤツじゃない、もともと」
「わかっている」
 嘘。
 ショックなんでしょう。自分の知らない彼がいたことが。たぶん、ヒイロの方のマニュアルには、あの行動はなかったに違いない。
「そうよね」
 知らなかったからショックなんでしょう。
 でもね、あなたも悪いんだよ、ヒイロ・ユイ。
 彼は自分のことばかり考えているとでも思ってたんじゃないの?
 いつまでも。

 デュオは店主と話し込んでいて、こちらに気付く様子はない。商談はもう終えていて、笑みの混ざった声は既に雑談だろう。店主も、邪険にするでもなくそれに応じている。
 ヒルデは知っている。あの若いくせに妙に頑固なところのある店主は、最初にその懐っこさと笑顔にほだされて以来デュオを気に入っていて、渋い顔のふりでいつも何かと便宜をはかってくれるのだ。
 そんな店主を筆頭に、デュオは、この街の多くの人間に好かれ可愛がられている。
 孫のように、息子のように、弟のように。
 そこまで教えてやるべきか、迷う。ヒイロは談笑するデュオの姿をじっと見つめていた。ヒルデには初めて見る、なんとも形容し難い表情。ええと、あれは、デュオの言ってたマニュアルによれば確か──
「ねえ、デュオへの用って急いでる?」
「……いや」
「あいつまだかかりそうだし、私とでよければお茶でもどう?」
「……だが」
 唐突なヒルデの提案に、ヒイロは虚を突かれたようだ。蒼い眼がふたつ無防備に開かれ、きつい視線がなくなるだけでその怜悧な容貌はずいぶんと幼くなった。へえ、そんなかわいい顔もするんだ── 指摘の代わりに答えないヒイロの手をとる。
「さっきから隣でずーっと寂しそうな顔してるんだもん、ほっとけないったら」
 眸がゆらぐ。あ、動揺した。コツを掴むと案外わかりやすい。
 無口で無愛想な印象に反して、本当は感情的なのかもしれない。
 ヒイロ・ユイというひとは。
 歩き出したヒルデに、ヒイロは戸惑いながらもおとなしくついてくる。素直なのが、おかしかった。
 デュオが彼をかまいたがるのもわかる気がする。
「ちょっとシャクだけどね」
「……何の、話だ」
 くすりと笑ってヒイロの手を引き、ヒルデはお気に入りの店へ向かう。いつもの飲茶の所だから、デュオもすぐわかるだろう。
 きいてみたいこと、言ってやりたいことがいろいろある。その中でまた、印象をくつがえす彼の意外な表情を見ることができそうだ。期待に緩む頬を隠さずに、ヒルデはヒイロを振り返る。
 ── 美味しいお茶が飲めそうだった。
「後で教えてあげる!」

 同じ人間を好きな者どうしで。
作品名:彼というひと 作家名:にこ