蝶と夢
とたんに息ができなくなって、逃げるように彼の指先に眼を移した。持ち主とおなじでよく動き、くるくると表情を変える指。あっという間に視界から消えていく。眼で追う。からめたくなって、また息が詰まる。
目を閉じる、声を聞く。柔らかな低い声、オレの名を呼ばないだろうかと、願う。だから彼の方を見ない。卑怯なやり方。(待っている)向けられない声、呼ばれない名前。生まれる理不尽な怒りは逝き場もなく傷む。
涙もなく泣く自分を、彼は知らない。
つかまえたい。宙を踊る栗色の長いしっぽ。つかまえて、胸のなかであやしたら、そこにじっとしてくれるだろうか? 繰り返すシミュレーションはいつもひっかかれて逃げられる幻想に負けて、伸ばしかけた指先をまた握りこむ。── 現実なら、耐えられそうもない。
見つめる。遠くから。
気付く。振り返って手を振る、笑う。いつもと同じ笑顔。苦しくて、なにも言えなくなる。彼の前で笑えたことなんか一度もなかった。
眼の色。彼のなかにある海。(地球を覆う、それ)誰かがそのことについて語るたび、黙らせたくなる。
もうずっと、ちゃんと見ていない。
ふとした合間に、艦(ふね)から、機体から、地球を探している。敵を追う視界に、研ぎ澄ませた意識の端に、青い星をとどめようとする。
理由なら、わかっている。
ひとりでいるのは、黙り込んでいるのは、かかわりたくないからじゃない。
気配を探る。姿が見えなくても、この艦のどこかに。気配、足音、声、息づかい。……存在。確認して、蹲る。
そばにいて。
今以上に近いことなどなかった。きっとこの先も二度と。戦いを終わらせることを望んでいるのに、時折わからなくなる。
手に入れたい。だから、手に入れたくない。失われないものなんか今までひとつもなかった。彼も同じなんだろう。
このまま。
目を醒ますなと、祈る。眠る姿。睫毛。吐息。前髪。
キスをする。
止まる呼吸。蝶が羽をとじるようなひそやかさ。一瞬。秘密ができる。
かすかな体温。くちづけて、眠ったままの彼にようやく、ほんの少しだけ、笑みに似たものを、浮かべることができる。
……夢をみる。
(おやすみ)