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掌の花

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花がさいたよ。


 規則正しく並んだ文字のその部分だけが、浮き上がっているように見えた。ことばを綴る様子を想像すれば、口元がほころんだ。
 それから次に思い浮かんだのはマリナ・イスマイールのことだった。優美な黒髪、青い瞳、うたう声。今は故国の再建のため奔走しているであろう女性。花を育てられる人間。
 彼女は自身を無力と言うだろうが、刹那にとってマリナは、刹那には不可能なまったく別の方法で命を育み、未来を切り開いてゆける人間の象徴だった。
 そうしてもう一度、彼のことを考える。端末に並ぶ文字を見つめた。花がさいたよ、と。その文字こそがまるでたった今咲いた花のように、刹那の目を惹きつける。
 彼の手が血に汚れていることを、知っている。過去も、そのまた過去も、彼の生の道程はまっくろな血が蛇行して跡になっている。彼は、アレルヤは。消えないそれを背負って生きていく。
 刹那はアレルヤに、自分と近いものを感じていた。同じマイスターであることを差し引いても、自分とアレルヤは同種だ、と無意識に近親の情を抱いていた。いつからか、ずっと。


 地球にいるアレルヤからのメールは、定期報告などと呼ぶような堅苦しいものではなく、親しい人間にあてる手紙や日記、もっと言えば呟きに近かった。
 いや、はじめからそのつもりではあった。
「連絡するよ」
 トレミーを降りる際、そう言ったアレルヤに刹那は、ならば言葉がほしいと望んだ。声をきかせてくれなくてもいい、姿を見せてくれなくてもいい、ただ、ことばで日々を伝えてほしいと。
 そんなふうに望んで始まったやりとりだった。
 たとえば暗号を使っても、もっと簡単にコンタクトをとる方法はある。しかしそれには触れずにに刹那の希望を受けいれたアレルヤは、咄嗟の思いつきの底にあった下心にどれくらい気がついていただろう。見透かしているのかは知らないが、アレルヤのメールはいつも長かった。自分のことを簡潔に伝えるのがあまり上手でない人間なのだと、刹那はメールを読むようになって初めて知った。つらつらと、とりとめのない文章の羅列。どんなに他愛もない内容でも刹那にはそれが嬉しかった。少なくとも綴られた文字の分だけは、アレルヤは自分のことを考えている。
 反対に刹那のメールはいつも、それこそ報告書のようなそっけない文章ばかりになった。わざとではないのだが、努力してみても刹那にはアレルヤのようなメールをつくることはできなかった。すまないという気持ちはあるが、そのせいでアレルヤからのメールが短くなるようなことは今のところ、ない。


 ── 地球のどこか。少しばかり長く滞在しているその場所で。若さと体力を見込まれたのか、アレルヤは今人々と共に荒地を耕す仕事を手伝っている。
 人々の心のよりどころであった小さな教会は戦火をうけて半壊した。少女が大切にしていた花壇も被害にあい、少女のからだもまた、戦火に壊れてしまった。
 牧師様のお手伝いができないことより、オルガンが弾けないことより、花壇の世話ができないのが悲しい。
 そう言って泣く少女に代わり、アレルヤは花壇の面倒を見始めた。
 とはいえ、花なんか育てたこともない。種の蒔き方はおろか、それまでほんものの植物の種子を見たこともなかったアレルヤは、少女や地元の人々に訊ね、知識の偏りを温かく笑われながら、時間をかけて少しずつ、少しずつ、花壇をなおしていった。
 そこにはじめて、花が咲いたのだという。

 ちいさな、ちいさな、花だけど。強い雨にでも打たれたらあっという間にひしゃげてしまいそうな、たよりない花だけれど。
 それでも咲いたんだ。
 ぼくが育てても、咲くんだね。


 目を閉じた。深く息を吸って、吐き出しながらまぶたを開いた。花がさいたよ。その文字がやっぱり真っ先に目に飛び込んできて、刹那は息を吐いたばかりの唇をぎゅっと結ぶ。
 よかったな。
 アレルヤが目の前にいたのなら、そう言ってやりたいと思った。これが文字だけの通信だったことに、刹那は複雑な安堵をおぼえる。実際口にしたなら声が震えてしまっただろうと、試してみなくてもわかっていた。
 アレルヤはこれからもっと様々な花の名前を知る。そうしておぼえた名前の花を咲かせては、またメールで報告してくれる。光るような、咲くようなことばで、花がさいたよと。それはおどろくほどに容易で自然な想像だった。ここを去った後のアレルヤの姿も声も知らないのに、まるですぐそこにいるアレルヤの姿を目で見ているように、鮮明な。
 血と硝煙と死のにおいを絶え間なくまとわせていた彼の手は幻の中で、やわらかい土に汚れていた。
 

 メールを、ことばを望んだのは。
 姿を見たり、声を聞いたりしたら、きっとたえられなくなるからだ。
 いてほしい、と望んでしまいたくなるからだ。
 彼の手が血に汚れていることを、知っている。過去も、そのまた過去も、彼の生の道程はまっくろな血が蛇行して跡になっている。彼は消えないそれを背負って生きていく。
 ── おまえはおれと同じだろう、と。駄々のような感情を、卑怯なことばに変えたつらなりで鎖をつくって、アレルヤを雁字搦めにしたくなる。すぐそばにひきとめるために。
 そうしたくて、けれど、そうしたくなくて。
 だからことばだけを望んだ。
 てのひらの上の小さな端末の中に、刹那のほしいものはもう収まっている。それはあまりにもささやかで、けれど、すべてだった。ほんのかすかに胸が痛む。これ以上が必要か? そう自分に問いかけて、言い聞かせて、呑みこんで、肯いた。
 ……判断は間違っていないと思う。
 

 花がさいたよ。


 音声も画像も添付されないメールからは、アレルヤの咲かせたという花がどんなものか想像できなかった。いや、したくてもできない。花のことなんかわからない。故郷に咲く花の名前さえ、刹那は知らなかった。
作品名:掌の花 作家名:にこ