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a moment in HEAVEN

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刹那の前を、沙慈が走って行った。裏返った声が、ねえさん、と叫んでいた。淡く輝く光の環、それを頭上に戴いた女性が、沙慈の声に反応する。驚いている彼女の顔は、沙慈によく似ていた。

 だから自分がしてきたことが、赦されるわけではないのだけれど。



「刹那」

 知った声に呼ばれて顔を上げる。立っていたのはルイスだった。
 彼女の頭上に、光る環はない。
「……沙慈と、一緒だったのか」
「うん」
 声からは、かつて彼女が刹那や仲間たちに向けていた憎しみは抜け落ちている。いつか潜入したパーティ会場で偶然出逢ったときを思い起こさせるような、懐かしい知人に向ける声色だった。
 それでも、穏やかに見える瞳のずっとずっと奥に、ルイスは二度と消えない傷をかかえている。
 刹那と目をあわせて、ルイスは微笑んだ。どこか少し、さびしげに。

「ありがと」
「……」
「そんな顔しないで。もし、また、会えたら言っておきたかったの」

 こんなに早くとは思わなかったけど、そう言ってルイスは刹那の隣に腰を下ろした。頬に流れた髪をかきあげる手。手首には義手の継ぎ目が見えるが、その先の指には金色の指輪が嵌まっている。
 ルイスが恋人である沙慈のそばを離れてここにいるのは、沙慈と、彼のたったひとりの姉の、もうこの先(おそらく沙慈が死ぬまで)ないであろうひとときを邪魔してはいけない、と思っているからか。東京で出逢った頃のルイスはそんな少女ではなかった、と刹那は思う。あの頃の彼女なら、こんな局面でもそれが当然のことのように沙慈の隣にいただろう。無邪気に、当たり前の顔をして。自身の感情のままに、泣いたり笑ったり怒ったりしながら。
 あの日の彼女は戻らない。ルイスが戦場を離れても。
「よかったなんて……言っちゃいけないかもしれないけど……でも、よかった」
 恋人とその姉を見つめる視線には、かすかな羨望が混じっている。なくしたものは、ルイスにもある。刹那はそれを知っていた。ここがどういう場所かわからないけれど、もしかしたらほんとうはただの夢なのかもしれないけれど、さっきからここで出逢うのは死者ばかりだ。神がいるかは知らないが、ここが天国と呼ばれる場所ならば、彼女から理不尽に奪われた人達も、きっとどこかに居るのだろう。
 だが、刹那はそう言ってやることができなかった。そんな資格は自分にはない。
 ことばを躊躇して飲み込み、結局何も言えないでいる刹那の心中を透かしたかのように、ルイスは呟く。
「私のことならいいの」
「……だが、君は」
「いいの。私はまだ逢えないから」
 刹那に向いた瞳が、ゆらいだ。ルイスの口元は笑みをかたどっていたが、瞳のゆらぎはこぼれる直前の水面だった。それが、ああ、泣きだしそうだと思った刹那の表情をうつしとったようにそっくりだということを、刹那は知らない。
「今逢ったら、きっと甘えてしまう。それじゃダメなの。まだ、がんばらなくちゃ。生きて、がんばらなくちゃいけないことが、いっぱいある。ママやパパは優しいから、私を叱って……叱るけど、きっと許してくれる。そうしたらそこで、終わってしまう。それじゃダメなんだ。あなたに生かしてもらった意味が、なくなってしまうから」
 無理に明るくした声が震える。ルイスの頬に、とうとうこらえきれずに涙が伝った。
「がんばったねって、言ってもらいたいの。よくやったねって、ちゃんと褒めてもらいたいの……」
 澄んだ青色を取り戻したルイスの瞳から、堰を切ってあふれる涙は、ここが天国だからなのか、羽毛のような軽さで、光のように散っては消えていく。まぶしくて思わず俯いた刹那の、視線の先で抱き合う姉弟の頬にも、同じ光が伝っていた。彼らは、笑っていた。泣きながら、笑っていた。
 言うつもりのない思いと言葉が、刹那の中を浮かんでは消える。いくつもいくつも、それがあまりに多すぎるせいか、それとも彼や彼女が流す、光のような涙を見たせいか。ひとつが、無意識に唇をこぼれる。
「俺を、恨んでいるか」
 死よりも辛い生を強いてしまったことを。
 指輪をつけた義手で涙をぬぐって、ルイスが笑う。

「さっき、ありがとうって、言ったじゃない」


 だから自分がしてきたことが、彼らにしてきたことが、赦されるわけではない。
 けれど、肩を寄せ合う姉弟を離れた場所から見つめながら、刹那はすこしだけ、ほんのすこしだけ、こころを縛る固いワイヤーをゆるめることを許されたような── そんな気がした。
作品名:a moment in HEAVEN 作家名:にこ