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ちとくら

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カラン、という下駄の音に、白石蔵ノ介はサーブ練習をしていた手を止めて振り返る。
そこに立っていたのは、やはり思っていた通りの人物――千歳千里で。

「部活の時間はとっくに終わってんで」
「んー、すまんね」

悪びれもせずに、にへらと気の抜けた笑みを見せる千歳に、白石はわざとらしくため息をつくと、先ほどとまったく変わらない動作でサーブ練習を続けた。

☆☆☆

一月前には淡いピンクの花びらを満開にさせていた桜に、青々と目にも鮮やかな葉が生い茂る頃。千歳は学校の裏山で眠っていた。
ここには程よい高さの木が植えられており、また今の季節は木陰でうたた寝をするのにちょうどよい気温ということもあって、昼食を食べ終えた千歳はこの場所でうとうととまどろみ、そのうちに本格的に寝入ってしまっていた。
そのまま午後の授業どころか部活までも飛ばしてしまった千歳は、夕暮れの少し肌寒い気温にくしゃみをして目を覚ます。
きょろきょろと見回せば、辺りは一面オレンジ色に染められており、千歳は少々長く寝過ぎた自分に少しだけ自己嫌悪する。
今日はちゃんと部活に出よう、と思っていたのに。
千歳は四天宝寺中のテニス部に所属しているが、毎回きちんと部活に参加している訳ではない。
そりゃあテニスは楽しい。しんどい目にもあったけれど、それでも未だにテニスを続けているのはテニスが楽しいからに他ならない。
しかし、生来放浪癖のある千歳にとって、毎日決められた時間に決められたことをするというのはなかなか難しい行為だった。
それを理解してくれたのか、はたまたそんな千歳のことを諦めたのか、最初のうちはわざわざ自分を探してまで部活に出ろと言っていた白石も、最近では口うるさく言うことはほとんどなくなった。
だが今日の午前中、たまたま廊下で白石と顔を合わせたときのこと。「今日はちゃんと練習来いや」と言われたのが久しぶりだったためか、珍しく今回はちゃんと部活に出ようという気になったというのに。
結局いつもと何も変わらない自分に千歳はため息をつくと、まだ一人だけ残っているだろう彼のところに足を向けた。

☆☆☆

そのまま洗練された無駄のないフォームでサーブを繰り返す白石を見つめていた千歳に、白石が口を開く。

「つまらんテニスやな…とでも思っとるんやろ」

心の裡を見透かされたかのようなその台詞に、そんなことはと首を振るも、「顔に出やすいで自分」と念を押されるかのように言葉を続けられた千歳は、困ったように笑うしかできなかった。
白石のテニスをつまらないなどとは決して思っていない。
ただ、ひたすらに基本に忠実な白石を見ているうちに、こんな仮面をつけたようなお手本通りの教科書テニスじゃなくて、もっとこの男の本性が透けて見えるような――白石自身がしたいと思うテニスをすれば、彼はさらに面白くなるだろうにと思っただけで。
しかし、自嘲めいた笑みを浮かべる白石にそれを告げることはどうしてだか憚られた。むしろ、部活中に仲間たちに見せるのとはまったく違った、年齢に不相応な笑みを見せる白石に、その本質を見せられたような気がして千歳は一瞬息をするのを忘れる。
今まで見ていた白石は、きっと作り物ではないけれど、しかしそれが本当の彼の全てというわけでもなかったのだ。そんな彼のごく一部分を見ただけで彼のテニスの全てを見たような気になって、あげく仮面をつけたようななどと評してしまった自分自身の狭量さに千歳は少しばつの悪い気持ちになる。

「すまんね」

不意に口をついた謝罪に、白石はふ、と息だけで笑うと空にボールを放りあげ、またもや教科書通りの綺麗なフォームでラケットを振り抜く。正確に打たれたボールはサービスエリアに吸い込まれそのままフェンスへと跳ね上がると、そのままバウンドを繰り返して転がっていった。

「ほんまはな」

籠から最後の一球を取り出し、白石はぐ、とそれを握りしめる。

「俺にも何か秀でたもんが…スピードかパワーか、はたまた野性の感性か、そういう何か秀でたもんがあってそれを極めていけたらきっとええんやろけど」

そのままトスアップされたボールは一分の乱れもなく綺麗に振り抜かれ、やはり先ほどと同じところでバウンドする。

「俺にはなんにもないからなあ」
「そげなことは…」
「せやから」

リストバンドで汗をぬぐいながら、白石はなんでもないことのように笑う。

「俺は基本を極めんねん。俺が…四天宝寺が勝つためには、これが一番完璧な方法やから」

そんな風に笑う白石が眩しく感じられて、千歳は目を細めて見遣る。
もちろん自分もテニスをしているときは勝ちたいと思っているし、そのために努力しているかと聞かれればYesと胸を張って答えられるけれど、彼の勝ちへのこだわりは自分のそれとはまた一線を画したものであることに気づかされる。
ここまで自分を律して勝利だけを獲りにいくその姿は、今まで勝手に抱いていた白石像を壊すには充分すぎるほどだった。
それと同時に、

(なんね、これは…)

自分の中に今まで得たことのないような、説明しがたい感情が生まれたのを感じ、千歳は戸惑う。
そのまま何も言えずに立ちすくむ千歳に、「気ぃ向いたらでええから、明日はちゃんと練習来るんやで」と声をかけた白石は、散らばったボールを片付け始めた。
高鳴る胸とそこに新しく芽生えたモノの名前に気づいた千歳は、そんな白石の背中をただ呆然と見つめることしかできなかった。
作品名:ちとくら 作家名:よしむら