好きでごめんね。
鼻先をふわりとかすめたのは、いつもと違う香り。
臨也が忙しくて最近会えずにいた恋人を突然訪ねていくと、
わざと不貞腐れたような表情で静雄は迎えてくれた。
相変わらず素直になれない彼を臨也は大変可愛いと思う。
しかし、先を行く彼から香るのは、覚えのない香りだった。
シャンプーや整髪料ではない、どちらかと言えば香水の類。
静雄はそういうものをあまり好まない。
だから、そういうたぐいのモノを彼がすすんでつけるとは思えなかった。
どういうこと? と臨也は思う。
そんな香りが移るほど近くに、誰がいたの?
移り香が香るほど近くに、誰かがいた。それも長い時間。
それは臨也にとって面白いことではなかった。
仕事とはいえ、自分が会えない寂しさに耐えている間、静雄は誰と会っていたのか。
面白くない、面白くない。
いつだってそうだ。
静雄は自分から絶対に会いに来てくれないし。
会えなくて寂しいとか聞いたこともない。
自分がいなくても他の誰かと楽しく過ごしているのだろう。移り香が香るほどには!
何か腹立つな。
臨也はなんだかイライラしてきた。嫌なことは考えだすと止まらない。
けれど結局、行きつくところは同じなのだ。
自分ばっかり、好きすぎる。それに尽きる。
自分はこんなに好きなのに、と臨也は思うのだ。
静雄は本当に好きでいてくれるのか。
シズちゃんは冷たい。
俺のこと、やっぱり好きじゃないのかな。
俺はこんなに好きなのに!
イライラが極地に達したのか、臨也は行動に出た。
前を歩く静雄に後ろから抱きつく。
身長差があるので半ばしがみつくような形になるが、それは仕方ない。
代わりに首筋に顔をうずめる。やっぱり香る。
ふわりと香るそれは、どこか覚えのある匂いだった。
自分の知り合いでこんな香水をつけていた人間はいたかな。
臨也は瞬時に脳内で検索する。
それをしながら静雄に聞いた。
「ねえ、シズちゃん。これ、誰の香り?」
「!!」
「シズちゃん香水付けないよねえ? じゃあ、いったい誰のなの」
静雄は答えない。
動揺していることが抱きしめた身体から伝わる。
臨也はその反応も気に食わない。頭くるなあ。
誰だよ、俺のモノにこんな匂いつけたやつは!
臨也が何か言おうと口を開いた時、気づいた。
静雄が耳まで赤くなっていることに。
え? と臨也が思う間もなく、静雄は力なく座り込む。
臨也の拘束を逃れてしゃがみこんだ床で、静雄は膝に顔を隠して呟いた。
「・・・・・・え、の」
「シズちゃん?」
「お、おまえの、香、水・・・・・・」
そういえば以前アトマイザーを置いて行ってしまったことがあったっけ。
そんなことをふと臨也は思い出す。
静雄は頭のてっぺんから湯気が出そうなほど赤くなっている。
え? え、どういうこと?
臨也は混乱する。
静雄から香水の匂い→以前忘れたアトマイザー→静雄がそれをつけた・・・?
つまり臨也が嗅いだ覚えのある香りは、自分の香水だったわけで。
同じ香水でもその人間の体臭や体熱によって印象は変わる。
それにつけている本人には意外と香らないものなのだ。
だから少しくらい気づかなくても仕方ないかもしれない。
それよりも。
「ねえ、どうして俺の香水つけたの? シズちゃん」
静雄は答えない。
うずくまったまま顔も上げない。
臨也は隣に座りこんで、その耳に囁いた。
「俺に会えなくて寂しいって、少しは思ってくれてたってこと?」
「・・・・・・」
静雄がピクリと反応する。
けれどやっぱり顔は上げない。
一生の不覚とか思ってるんだろうな。
臨也はクスリと笑う。
「俺も寂しかった」
「・・・・・・」
「だから、顔を見せてよシズちゃん」
ゆっくりと顔を上げた静雄は耳まで赤い。
そんな静雄に臨也は優しく笑って、「ごめんね」と囁いてキスをした。
大人げないことを考えちゃうくらい、キミを好きでごめんね。