Hands
「眠いなら今の内に眠った方がいい」
父親の声で、熱斗はその欠伸を再び、今度は大口を開けて息を吸った。
何時間待っても敵が襲ってくる気配は無い。今回も無駄な徒労に終わるのだろうか。隣で椅子に座って腕を組んだままの炎山を見る。だが彼は熱斗と違ってそのピンと張った姿勢を崩す様子は無かった。
「炎山くんも、今のうちに休むといい」
熱斗の目線に気付いた祐一郎が炎山にも声をかける。
「いえ、俺は……じゃあ、そうします」
一度断りかけたのを考え直したのは明白だった。熱斗よりも体力のある炎山でも、ここ数日は仕事とオフィシャルの両立でさすがに疲れていたらしい。
「じゃあ行こうぜ」
同じ場所に行くのだから、当然の様に熱斗は炎山にそう声を掛けた。だが立ち上がった彼は横目で少し下にある熱斗の顔を睨むように見ただけで、答える様子もなく先を歩き出した。おそらくは冷静な炎山のことだから自分の体力を考えての判断だろうが、熱斗の存在を煩く思ったに違いない。熱斗は軽く息を吐いて父親の顔を見上げる。祐一郎はそんな熱斗に軽い笑みを返した。
「あ、待てよ炎山!」
構わずに部屋を出る炎山を慌てて追い掛ける。自動ドアの軽い音が2人分続くと、あとに廊下を駆けていく足音が響いた。
「あの二人が組んでくればいいんだけどな」
熱斗を見送った祐一郎はふと、そう呟いた。
簡易的に作られた仮眠室は、寝心地が良いとは決して思えない狭い2段のパイプベッドがドアを開けた両脇にあるだけで、初めて入る熱斗は少々肩を落とした。これでも最先端の技術を集結させた科学省なのに、と熱斗がボヤいている間に、炎山はさっさと左手にあったベッドの下段に潜り込むように入ってしまう。慌てて熱斗はその向かいに入って、薄暗い中を手探りで毛布を探した。昨今の飛行機内で出される毛布だって、ここまで粗末ではないと思ってしまうような、少々埃っぽい毛布に包まって横になる。それから寝返りを打って、暗い中にぼんやりと浮かび上がった炎山を見つめた。
「なあ炎山」
呼びかけても彼は返事どころか、反応すら見せなかった。彼のことだから、また無視されているのだろうか。
「おーい、炎山ってば」
今度は少し声を大きくする。やはり沈黙が続いた。
「えんざーん。寝ちまったのか?」
熱斗が毛布に包まったまま裸足で炎山のベッドの脇にしゃがんだ。
「なあ炎ざ…」
「うるさい!」
手を延ばしかけたところでようやく炎山の目が開いた。彼にしては、熱斗の煩さに耐えた方だろう。炎山の目が睨む。けれどもそんなことより反応してくれた方が何だか嬉しくて、熱斗は思わず顔に出してしまった。
「なあなあ、そっち入っていいか?」
「はあ?」
すぐに不機嫌な炎山の声が返ってくる。
今度こそ無視しようと決めたのか、炎山は返答しないまま寝返りを打って熱斗に背を向けた。
だが、執拗に毛布を引っ張る熱斗の手を払うことは忘れなかった。
「勝手にしろ」
結局炎山は背いたままそう言って、待ってましたと言わんばかりに熱斗はそこに潜り込んだ。
ただでさえ狭いように思えるベッドは子ども2人でもきつかった。それでも熱斗は満足気に仰向けのまま目だけを炎山の方に向ける。眠ってしまったようには思えなかった。
「なあなあ、炎山ってさ」
「黙って寝ろ」
せっかくのチャンスとばかりに話し掛けた熱斗の声は遮られて、熱斗は頬を膨らませた。
「…炎山、こんな風に誰かと一緒に寝たことないだろ」
その返答は無かった。熱斗は勝手に肯定だと受け取る。
「知ってるか?炎山。こういう時ってさ」
言うが早いか、毛布の中でごそごそと熱斗は腕を延ばした。
やはり眠っていなかった炎山が何事かと熱斗の方を見た。
「こんな風に手ぇ繋ぐもんだぜ」
半ば強引に、毛布の中を手探りして炎山の手を握る。思ったよりも冷たいことに驚く。炎山の手がそれを振り解こうとした。けれども熱斗は逆に強く握り返す。熱斗の方に向いた炎山が睨むのも気にせずに。
「こういうのって、大事だろ?」
特に炎山のようなヤツには、というのは付け加えないでおいた。
暗いせいでその顔は見えなかったが、炎山はなにも言わずにただ少しだけ音を立てて息を吐いただけだった。
だがそんな雰囲気を打ち破るように施設内にけたたましい警報と放送が聞こえて、炎山は勢い良く起き上がった。それまで炎山が包まっていた毛布が熱斗の上に落ちる。
「ちょっと待っ…うわっ!」
毛布に思わず足を取られて出遅れる。
炎山の開けたドアから廊下の明かりが入り込んで、その眩しさに熱斗は目を細めた。
「何してる!」
急ぐ炎山の姿は照明のせいで真っ黒に見えた。熱斗は慌てた気持ちも重なって、無意識に手を延ばした。
そのまま床に落ちるかと思った手は予想した方向とは直角の方に引っ張り上げられた。
「さっさと行くぞ」
「え、あ、ああ!」
炎山が自分の手を離す。そのまま目を合わせることなく先に駆け出した彼を追い掛ける。
その顔にはどうにも抑え切れない笑みが浮かんでいた。
出会ったばかりの頃。
互いの間には少し距離があって。
それが歯がゆかったり、ちょうどよかったり。
だがその距離を埋めるように繋がれた手は、一瞬だったが温かくて、熱斗はまたふとした拍子に思い出して口元をだらしなく緩めるのだった。
珍しくエロ要素の無い話となりました。なんとなく初めに戻ってみたくなって思いついた話です。ほとんど手の動作で語られているような気もしますが。でも炎山はあんまりしゃべらないし、熱斗はしばらく一人でボールをバシバシ一方的に投げてるんだろうなと思います。2人の関係はこれからなのです。これから。