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ぼくは勉強が出来ない

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 その日は珍しく、帰り道鬼道が隣にいた。普段しこたま練習に励んだ後帰る時は夜も遅く、迎えの者が音もなく鬼道を連れ去るのが常だったが、テスト期間中である今は例外らしい。テスト期間中は練習無し、サッカー部の数々のイレギュラー待遇を考えるとこんなところばかり律儀に遵守させられるのが少し不思議ではある。

「源田、テスト対策はどうだ、ちゃんとやっているか?」
「……やっては、いる」

 折角の連れだった帰り道、源田としてはもう少し楽しい話でもしたいところだった。しかしこう見えて意外と部員達に対して目を配っている鬼道からすれば、レギュラー定着メンバーの中で最も成績が振るわない源田のテスト対策は目下の懸案事項であったらしい。

「解らないところは聞きに来いと言ったはずだが」
「……解らないところが解らないんだ」

 ふざけている訳ではない。源田は出来る限り現状を正直に鬼道に伝えようとしている。解らない、と勉強することを投げている訳でもないのだ。ただ、教科書を開き参考書を開き、練習問題を片端から解いていこうとしても、源田のノートは白いまま時間だけが過ぎてゆく。ここのところ源田はテスト範囲とひたすら格闘し、勝ち目のない勝負を繰り返していた。
 呆れられるだろうか。
 見捨てられるだろうか。
 サッカーという競技の中では、ゴールキーパーとしての自分に寄せてくれる鬼道の信頼を折々に感じ取ることが出来る。その気持ちを裏切ったことも、裏切ることもないと自負し、そしてそれを損なわない為に何をすればいいのかも見えている。
 しかし、所謂学生の本分とされる学業の方ではてんで駄目だった。成績だけは無駄に良い佐久間、不思議と要領よくそれなりの順位をキープしている辺見、中学一年生にして教育実習生を泣くまで論破したという伝説を持つ五条、取り立てて良いと言える程ではないがサッカー部員として問題はない程度を保つ大野、咲山、寺門、万丈らと比べ源田の成績は惨憺たるもので、追試等に練習時間を削られることもしばしばだ。教師陣もこの結果が怠慢故ではないと理解はしてくれているようだが、歴然と結果が出ているものに何も処置をしない訳にもいかないと見える。
 サッカーから離れても、鬼道の手を煩わせないようになりたい。
 源田が今必死に勉強をしようとする、最も大きな原因はそのことだった。自分ひとりのことであればテスト勉強など片手間だろう鬼道に自分の惨状を見られ、挙げ句呆れられるくらいなら一人で片をつけたかった。

「源田、下を向くな」

 視線がどんどん落ち込み、ついには折り目正しい制服の裾から覗く鬼道の靴ばかりを眺めていた源田に、呆れているというには何らかの色が滲む声がかけられる。
 どんなときでも鬼道の指示は絶対だ。条件反射のように顔を跳ね上げた源田は、極間近にひとの吐息を感じて目を見張る。本来背丈に差のある鬼道が柔らかくだがしっかりと肩に両手をかけているせいで、猫背のまま押さえつけられているような状態になった源田は為す術もなく目の前のつり上がる薄い唇を眺める。

「厄介事の元になりそうだからこんなことはお前にしか言わないが」

 肩にかけた手をさらに伸ばし、ほとんど抱きつくような格好のまま耳元で囁く。

「俺は案外馬鹿な子程可愛いという被虐趣味が理解できるほうなんだ」
 言うなり勢いよく源田を突き放した鬼道は、流れるような所作で携帯電話を取り出し「今日は帰らないと父に伝えてくれ。学生寮に泊まる用事が出来た」などと話している。

「鬼道!それじゃあ……」
「入室許可申請は五時までだったな。急ぐぞ」

 そう言う鬼道の唇には未だ薄い笑みが残っている。一人でやろうと考えていた初志は貫徹できないが、鬼道が何処か楽しそうなら頼っても良いのだろうか。困惑の中の源田に伸ばされる手はゴールキーパーたる自分のそれより随分華奢な、だが鬼道有人の手だ。

「行くぞ、源田」

 試合を始める時と変わらない鬼道の声に源田はもはや困惑を飲み込むことにし「ああ、ありがとう、鬼道」と答えた。
 感謝と安堵、信頼。そういった気持ちが込められればいいと、源田は殊更丁寧に鬼道に礼を言ったつもりだった。
 いつかは手を煩わせないようになる。それは当然の努力目標だとしても、今は、まだ。
作品名:ぼくは勉強が出来ない 作家名:タロウ