Iggy pop fanclub
かつて自分が想いを馳せ、最後の最後に届かなかった彼のことなど。
その面影も、もはや遠く。
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「おい、公孫勝。そこをどけ」
顔を向けると、林冲が扉にもたれてこちらを睨んでいた。随分と、疲弊している。
「断る」
林冲の寝台の上で仰向けに寝転がり、胸の上の本に目を戻す。
林冲が恨めしげにこちらを睨んで来る。良い気分だ。
林冲は重い躰を引きずる様にして、公孫勝の上にどさりと倒れこんで来た。
「うぐっ」
重さのあまり、思わず声が出てしまった。しかし林冲は気にも留めず、公孫勝の躰に腕を回してくる。乱れて開いた襟元に、林冲の顔が突っ込まれた。赤ん坊がするように、林冲は公孫勝の鎖骨をしゃぶり始める。腕に力が入らない。公孫勝はただ林冲の頭に腕を回すことしかできなかった。
暫くすると、林冲の動きが止まった。公孫勝の鎖骨を口に咥えたまま眠っている。窓から差し込む光は、もうすっかり赤みを帯びている。
林冲の日焼けした髪が、赤光に映える。なんだか、殺風景なこの部屋が色付いて見えた。
林冲は子供のような顔をしてこんこんと眠っている。まるで図体ばかりでかい子供のようだ。その顔を見つめているとなんだかむず痒いような、切ないような気持ちになる。
林冲の髪を指で解き梳いて、子供をあやすように背中を軽く叩く。少し前に、開封での任務のために覚えた歌を、何となく口ずさむ。開封で歌われている、子守唄だ。
「音痴」
ぐふっ、と吹き出しながら林冲が笑う。
「笑うな」
「お前にも、苦手なものがあったんだな」
くっくっ、と林冲は肩を震わせて言う。
「この歌は嫌いだ。歌いにくい変な歌だ」
「そう言うなよ、歌ってやるから」
林冲が公孫勝を抱きしめて、低い声で歌い始める。深く響く、林冲の声で酔いそうになる。額を押し付けた胸板から、頭に直接響くようで。
「汚い」
思わず呟く。
「こんな声で歌うなら、音痴でも気にならないじゃないか」
「良い声だろう?」
得意げに、林冲が鼻を鳴らす。
「調子に乗るな、音痴」
林冲の胸板に顔をうずめて、憎まれ口を叩く。林冲はそれでも喉の奥で低く笑う。
「愛してるよ」
耳元に吹き込まれて、思わず身を竦ませる。
「気持ち悪いことを言うな、馬鹿が。鳥肌が立つ」
耳元や首筋を擦りながら林冲を睨む。
「悪い」
林冲はにやにやしている。
「寝台を占領してたことへの、仕返しだ」
何時の間にか上下が入れ替わった林冲が、公孫勝の頬を摘まむ。
「赤いぞ」
「うるさい」
林冲に背を向ける。
「悪かったって。機嫌直せ」
「知るか」
胸が痛い。公孫勝の気も知らないで、林冲は公孫勝の背中を抱き締めながら耳に様々な言葉を吹き込んで来る。
低い震動が、公孫勝の耳から脳を揺さぶってくる。
「お前の取り柄が、一つ増えたくらいで、良い気になるな」
公孫勝は、目を閉じた。この歌は嫌いだが、悪くない子守唄だと思った。
そう。
そんなことがあった。
なぜ今頃、思い出すのか。
最早あの面影すら、月日に掠れ遠く忘れかけていたのに。
「公孫勝、泣いているのか」
楊令が、尋ねてくる。
「なぜ、そう思う」
「泣いているように見えた」
「ならば、それは気のせいだ。私の涙など、とうの昔に枯れ果てた」
楊令は、何も言わない。目を逸らし、街並みに目を落とす。
「懐かしい歌だ」
あの時聞いた、子守唄。
「この歌は、嫌いだ」
街並みは賑やかだ。その中で、小さな子供を背負って歌う女が一人見える。
「歌いにくい、変な歌だ」
この子守唄は、もうこの世には必要ないだろう。
あんなに素敵に歌える男は、もういないのだから。
長らく思い出しもしなかったとある面影が、閉じた瞼の裏に浮かんで消えた。
作品名:Iggy pop fanclub 作家名:龍吉@プロフご一読下さい