その時、傍らに居るのは
酒が入って、へらへら笑いつつ。
「なー、さいじょお~」
「…んー?何だい?」
「俺の事、殺してくんねぇ?」
のたまう馬鹿が、一人。
瞳は酒のせいだろう、潤み、半分閉じかかった、虚ろなもので。
口許は先程の発言が嘘の様に、緩やかな笑みの形を保っている。
相も変わらずの、締まりの無いにへら顔。
…こっちは先刻の発言で、殆ど酔いが醒めたと言うのに。
「…本気か?」
溜息を一つ零し、問う。
一発ぶん殴ってやろうかとも思ったが、たまにはいいだろう。
そう思い直して。
…まだこの子供は、己の弱さを見せられる相手を見付けていないからだ。
「…ん~…お前に任す~…」
…何とも投げ遣りな…と言うか、眠気に負けそうな考え無しで馬鹿丸出しの答えが返ってきた。
「…ケンカ売る気なら買うぞ、オイ」
思わずぼそりと呟いてみたり。
しかし、それに反応する事無く。
「…んむぅ…にゅう…」
いつの間にやら、意味を持たない声と共に夢の中の住人になってしまっていた。
(…襲うぞ、こんガキャ)
無論、そんな心の声が届く事も無かったが。
部屋に帰還。
と言うか、ベッドルームに、だが。
酒飲んでたの、うちだし。
一応この子は未成年だし。
…公務員失格。
まぁ、そこは見ない方向で。
「ん~…」
寝こけている子供をベッドに。
呼吸は正常。
しこたま飲んでいたが、具合いを悪くしたという事は無い様で、少しホッとする。
酒豪の上司に飲みに付き合わされていた為か、随分と鍛えられたらしい。
…が、やはり今日のペースでは…。
…未成年というのはまぁ、やっぱり無視の方向で。
その顔を覗き込みながら、額に掛かった前髪を掻き上げる。
(…顔赤いな。まぁ、あれだけ飲めば当然か・・ガキめ。少しは僕の苦労も知れ、コラ)
そんな悪態をつきながら、鼻を摘んでみた。
「…ふぐぅ…」
眉根を寄せて、声を漏らす。
…少しスッとした。
(…オイ、お手軽でいいな、僕。…てゆーかこの性格はどうなんだ、僕。これじゃ性格の悪いダメな大人だぞ。…ったく…)
ひとしきり自分自身に突っ込みを入れて。
「…これも君のせいなんだからな…」
眠る子供を少しだけ睨みながら、そんな事を言ってみる。
…ルシオラを失った。
真実(ほんとう)の意味でも。
…酒が入って、底に溜まっていたものが、一欠片。
零れ落ちたのだろう言葉。
『俺の事、殺してくんねぇ?』
…痛すぎるぞ、横島クン。
君にも、義務はある。
…生きろ。
本当は解っているだろうから、改めてクソ偉そうに言う気は無いけれど。
…言ってやる気なんか、無いけれど。
君は、幸せになるべきだ。
誰よりも、幸せに────────
(…取り敢えず、傍には居てやるから。…今は、僕で我慢していたまえ)
それだけ、心の中で呟いて。
──手を、握った。
ぬくもりが、伝わる。伝える。
その"生"を。
それでも。
…身体はあたたかいのに。心が死んでしまったら、やっぱり駄目なんだろうか。
そんなつまらない事を考える。
…考えたくもないのに。
「…殺してなんかやらない。…君なんかのそんな頼み、きいてやる気なんか…ない、からね…」
…自分の口から出たそれは、随分と──痛々しく、苦しいものの様な気がした。
何が有ろうと無かろうと、時は流れて日は昇る。
帰っていくその背を眺めながら。
遠く、小さくなっていくその姿を見詰めながら。
知らず握られた拳に、気付く。
次に、もしも。
また、そんな事を言ってきたら。
断る、と。
一言で終わらせてやろうと思う。
殴るのは勘弁してあげよう。代わりに頭でも撫でて、嫌がらせでもしてみようか。
…取り敢えず、自分の弱さを見せられる相手を見付けて、僕なんかに寄っ掛からずにすむ様になるまでは。
愚痴くらいは、聞いてやるから。
──またおいで。
帰路。
「…送ってくれてもいーじゃんよ…」
思わず文句が零れた。
…まぁ、いつもの言い合いとかのせいで結局こうなった訳だけど。
にしても、昨晩の事、殆ど覚えてねーや…。流石に飲みすぎたかぁ…。
…だって、いなくなったんだ。
俺の中から。
いや、吸収されたのか。大して変わんねーけど。
まぁ、転生は…俺が死んだ後に魂分かれて、また来世って事で。
ちゃんと確約は得た。
神魔族達に。
死んで魂だけの状態になれば、分けられる。
元々集まっていた霊破片。それを加えて、一個の魂として転生させられるって。
俺の魂も大丈夫だと。
ただ ── 俺の生きている間に、ルシオラは。
…魂が混じり合い過ぎて、感じる事も出来ないだけで。
消えた訳じゃあないんだけど。
…元々、俺の子供に転生ってのもただの可能性の一つ。
冷静に考えれば、子供として生まれるより、そっちの方が良いのかもしれない。
未だに引き摺っている自分。
産んでくれるひとや、もしかして生まれ変わりなのかもしれないこども。
自信、無かったし。
ちゃんと見付けられるのか。ちゃんと愛せるのか。ちゃんと向き合えるのか。ちゃんと…。
…でも。
そんでも、ルシオラが、いなくなって。
いや、いなくなった訳じゃない。
俺の一部として、どこかに居る。
だけど、感じられなくて。
それが、その事が、こんなにも。
痛くて、悲しくて、辛くて、寂しくて…。
だけど、言えない。
言える筈が無かった。
縋る相手なんか、居ない。
「………………?」
何か、引っ掛かった。
でも、解らない。
「………………………………あ?」
ふと、夢が思い出される。
…あったかい手が、俺の手を握る感触。
誰の手?
………まぁいいや。
握り返して、なんとなく。
…ありがとな。
そう、思った。
…何だコレ?
夢の中で、そう思っていた自分がいて。
ぼやけてて、でもあったかくて、何だか── …
「………………あ?」
涙が落ちた。
何で泣いてんだよ、俺は…。
そんな自分に呆れながら。
なんとなく、振り返ってみる。
(もう見えねーなー…)
随分歩いたんだから、当然だ。
その当然の事に、面白くないと感じて。
宣言を、心の中で一つ。
──またくるぞ。
自分を、殺したくて、でもそんな事をしたら自分を生かしてくれた彼女に顔向け出来なくて。
だから誰かに頼もうとした。
それが、転生して彼女に逢う為なのか。
彼女を吸収した為の罪悪感によるものなのか。
それともそんな自分が殺したい程憎かったのか。
彼女の存在を感じられない事に恐怖したのか。
…それは彼本人も解っていないのだろう。
──ただ。
「それじゃ、またおいで」
「…おう。またくるぞ」
何処かで、誰かと、きちんと声に出して。
そんなやり取りを交わす様になってからは。
…無意識にでもそんな事は言わない様に、考えない様になってきているのだから。
しっかりと生に向き合い、彼女の愛した彼が、彼女の望んだ笑みを見せる様になるまで、そう時間は掛からないだろう。
作品名:その時、傍らに居るのは 作家名:柳野 雫