わたしはまじょ
わたしはまじょ 誰も知らないけれどね
わたしのおうちは、青の番地の一番はじっこ。
芝生のしげったお庭のある、真黒な壁の大きなおうちに
パパとママとで住んでいるの。
昔は子犬が一匹いたのだけれど、
わたしの6つのお誕生日に逃げてしまってそれきりよ。
青の番地は坂道だらけ。
でこぼこ丘の真ん中あたり、何にもないのが一番の自慢。
お買い物に行くには車で1時間、
丘を下った先の街まで行かないとなーんにもない。
ミルクボーイは毎朝来るけれど、ベジトママは気分屋。
ブッチャーなんていないわ。
丘のてっぺんまで行くと、お馬とお牛とにわとりのいる
頭のいやーなおじ様がやっている牧場があるけれど、
わたしはそこがとっても嫌いなのよ。
頭のいやーなおじ様は、わたしのこともお牛やにわとりと同じように
ローストにするお肉と一緒って言ったのだもの。
だからわたしはあそこが一等嫌いなの。
肩から掛けた白い鞄がくたくた揺れる度、
わたしはどうして学校はあんなに遠いの、って思うのよ。
急いだって三十分はかかるし、
ホライズンのクルクルは一時間以上かかっているのよ。
朝になったら学校が勝手にみんなのおうちの前に来ればいいんだわ。
そうしたら誰も遅刻しないし、みんなにこにこよ。
『イワンのばか!』の看板をくるっと曲がると、
真黒なわたしのおうちが見える。
もうすぐ春のハロウィンだから、オレンジのペンキが壁にぶちまけられて
お庭の芝生はもうぐちゃぐちゃ、わたしのキックボードもオレンジ色よ。
これをやった犯人は、恋人とログネラに行くんですって。
海で散々サーフして、落ちて鮫に食べられちゃえばいいんだわ。
ふん、わたしはオロロージョが嫌いよ。
でもエクレメスは好きよ。綺麗だし、大人しいわ。
それにわたしにレース編みのワンピースを織ってくれたのよ。
真っ白で素敵だわ、とっておきの時にしか着ないって決めてるの。
だからエクレメスは鮫に食べられちゃいけないわ。
オロロージョと一緒に海に溺れても、
きりっと格好良いマー・マンに助けられて、新しい恋をするべきなんだわ。
最近ぼろが出始めたパパお手製の門を開いて、
お庭を軽く一周する。
それからポストに挟まっているタイムスを引き抜くのが
わたしの学校帰りの日課よ。
玄関を開けて靴棚に差して、わたしのお仕事は終了。
「ママ、帰ったわ」
「ああ、ルルスス…遅かったな、寄り道したな」
ママの声よ。
いつも機嫌が悪そうだけれど、そういうわけじゃないわ。
だってわたしが帰ってくるとちゃんと玄関まで迎えに来てくれるし、
だいたい機嫌が悪かったらお返事の一つもしないのよ。
今日のママはネオネイビーと白のしましまのシャッツに
ラインのすきっとした黒いパンツ。
重たそうなピンクの髪の毛は全部纏めて上の方でばさばさ。
相変わらず口からはみ出している煙草が駄目な感じよ。
パパが見当たらないけれど、お買い物に出掛けているのかしら。
「シグ先生がお掃除しなさいってうるさいのよ」
「サボったのか?」
「サボってないわ。あの人たち、わたしを目の敵にしてるのよ」
「…お前は将来どうなるのか見えるな」
ママの口からもわんと白い煙が漏れる。笑ったのよ。
だってシグ先生ってば、いやーな人よ。
わたしが苦手なのを知っていて、星学の授業のときはわたしを指すし、
わたしの花壇のお花がうまく咲かなかったときなんて
それを皆に見せ付けてこう言ったのよ。
「みんなはちゃんとおせわをしましょうね」
皆も皆だわ。あんな上半身が三つもある女の言うことを
真に受けて真剣に耳を傾けるなんて、どうにかしちゃってるわ。
鞄を玄関に置いてリビングに誘われると、
テーブルの上にケーキが置いてあったの。
大きいけれど、見るからにバターたっぷりのクリームが
分厚く塗りたくられて、アイシングと星型のシュガーキットが
びっくりするほど乗っかっている。
極めつけに斜めに刺さったチョコレートスティック。
わたしは思わず立ち止まってまじまじと観察したわ。
ケーキは大好きだけれど、それはフルーツケーキの話であって、
こんな中身はスポンジだけのようなケーキは嫌よ。
もっと、気泡のいっぱい入ったメレンゲスポンジに
キウイとピーチとマスカットが乗っているやつが好きなのよ。
「これ、なあに」
ママをちらっと見上げると、肩をすくめて「さぁね」のポーズ。
「ヴァネッサがパティシエになりたくなったんだとさ」
意外な名前にまた驚いたわ。
ヴァネッサって、あのヴァネッサ?
聞き返すとママは適当な相槌を打って
0と1のびっしり並んだタイムスの株欄に赤線を引き始めた。
ヴァネッサはパパの知り合いのおじ様よ。
いつも急にやってきて変なものを置いて帰る
悪癖がある人なのだけれど、今日のこれは特別酷いわ。
こんな子供が作ったケーキ、誰も食べないもの。
きっとヴァネッサの家族はもっと酷い目にあっているに違いないわ。
「なぁ、このケーキ、食わないだろう?」
ママがタイムスから少し顔を上げて、
ぶさいくなケーキを赤のコックルペンで胡乱に指した。
いつの間にか眼鏡をかけていたママの眼は
レンズの反射で何を見ているのか解らなかったけれど、
わたしの方をじっと見ている感じではなかったわ。
勿論。わたしは軽く二回頷いて、チョコレートスティックだけ
三本全て抜いて齧った。
明らかに出来合いのチョコレートはちょうどよく甘くて、
ただくっついてきたバタークリームは少し生臭かったわ。
ママはわたしの答えにくるくると笑って、
「あいつが帰ってきたら顔にぶつけてやろう」
傑作!ママはペンを指先で回して楽しそうに笑う。
きっとママは絶対に実行するわ。
そしてパパを泣かせてしまうのよ。
そうしたらわたしがパパを慰めてあげるわ。
どんなに美味しくないバタークリームをかぶっていても
どんなに甘すぎるアイシングを髪に絡めても
どんなに奇抜なシュガーキットを頬にくっつけていても
そして服の中にぐしゃぐしゃのケーキが入ってしまっていても
パパはとっても素敵よ!ってキスしてあげるのよ。
魔法にかかったみたいにパパは笑うわ。
それからわたしの頭を撫でて、ありがとう、おれのかわいいてんし。
でもそんなことをしたらママはすぐに拗ねてしまうから、
わたしはママにもキスをするわ。
ママも小鳥の羽が開くみたいに笑顔になるに違いないわ。
わたしは知っているのよ。
わたしの小さな唇で誰かの頬にすっと触れると、
その人に魔法がかかること。
そしてキスの魔法は皆を幸せにすることを。
わたしの名前はルルスス=ゼファー。
世界でたった一人、キスの魔法を使える女の子。
誰も知らないけれど、このおうちはわたしの魔法で守られているのよ。