アンナのいろいろ
---2,コントロルド・そして今-
色々な人間がいる。わたしは世界を怨みながらも、日々の中にちょっとした喜び(しかし気休めに過ぎなかった)を見つけることもあった。わたしは自然が嫌いだ。人間が大嫌いなら動物や自然に癒されればいい、自然は人を凌駕して、絶対に美しいのだから。そういう理論は事実として認められたけど、わたしはどうしても、もっと具体的にわたしを救って欲しかったのだ。世界というのは人間だけに作られる物ではない、生きる上で、救いというのは、世界と自己のまったく向き合ったときに初めてあらわれる。わたしはコンスタントに毎日辛かったが、とくに辛い日というのもある。そんな日にこの世の物とは思えない凄まじい夕焼けを見たことがあった。わたしは打ちのめされて泣いたけど、次の日から辛くない日々が始まる、というようなことはなかった。次の日も結局辛かった。あの日のつらさより、夕日のあざらかさのほうが胸に残っているけれど、わたしはそれ自身に意味を付与出来ない。自分で意味を見いだせない。だってわたしを変えてくれないから。わたしはわたし自身からの解放、本当の解放以外にまったく興味がない。だからあの日の夕焼けも、ただ憎らしいだけである。
ある日、買い物帰りに足が疲れて、わたしはバス停のベンチで休んでいた。バス停には、立って並んでいる大学生風の男が一人いただけだった。男は何もせず、ぼおっと立っていた。思考が流れてくる。
人間は、目の前のことよりも、いつもおのおのの最も大事なことにいつもとらわれている。思い出、空想、想像、未来、どこにもない世界、誰か、自分、音、景色。楽しかったこと、辛いこと。99の幸福を1つの不幸ははるかに凌駕する。だからわたしはこの世界の全部が大嫌いだけど、人間たち自体は、別にいつも最悪なわけではないのを知っている。美しい、と他人であるわたしに感じさせてくれるような思いをたづさえた人間は、たくさんたくさんいる。けれど、わたしがそれを信じられないのは、あまりにもつまらない他のことで、それらの意味が霧散してしまうからだ。あまりにも、それらに付き合っているのはばかばかしい。そしてそれに左右される自分もばかばかしい物の一つだ。
その男は、物語に埋没していた。何かの小説を思い出しているらしい。そういう人間もたくさんいる。冬の東北は厳しいが、それよりもっと寒い国の話らしい。つつましく、美しい話だとわかる。男は来たバスにのりこんで行ってしまった。そのとき、わたしはその物語を愛していた自分に気づく。そして勿論、その物語を運んできた男を無闇に嫌うことも出来なかった。
わたしは帰りたくない。どこにも行きたくないし、時間も過ぎてほしくない。
時間が過ぎれば、わたしはあの物語もあの男も、ただ憎んでしまう。いつもより、全てをすこし許せるのに、むしろ愛すことすら今は出来ているのに。ここに居続ければ、また帰り道を歩んでしまえば、きっと全てが霧散する。波はただ押し寄せる。それはわたしにコントロールできる物ではない。
逃げたかった。けれど、わたしはかりそめにすら逃げることが出来ない。
どんな可能性も、わたしにはなかった。
耐えきれなくなったら、死ぬ。それだけだった。
わたしは生き残ることは出来ない。死ぬことも出来ない。ただ、吹きさらされて、削り取られてなくなるのみ。
存在自体が愚かすぎて、人間として生きる上で持ち得る誇りや倫理、法律、生命体としての法則も、自分の物に出来なかった。
わたしは何も達成せず、全てがままならないまま死ぬ。
生まれる前から持ち続けている物、持っていたけど一度手放してしまった物、持っていなかったけれど手に入れた物。
たとえもとが同じ物であったとしても、時によって全ては形を変えて、私たちの前に現われる。
葉。あんたがわたしをまっとうにした。
自分がまっとうだと、認められたのは初めてだ。一瞬一瞬、それが手に取るようにわかる。
でも、結局全て、あれからの世界は、わたしにとっては仮初めでしか、
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---1-
葉、わたしは怖い。わたしを救ってくれるのは葉しかいない。
葉、何があっても、あんたさえいれば大丈夫。だけどあんたがいなくなれば、わたしは戻らなくちゃいけない、世界で一番恐ろしい場所へ。そして今度こそ、永久にそこに閉じこめられてしまう。
一人で生きていくという現実をわたしは知っている。受け入れてもいる。
でも、受け入れることと、事実そこにあるということは違う。
葉、あんなとこにいられない、死んでしまうと思っても、わたしはただ居続けるだけなの。
葉、あんたの存在すら意味が無くなってしまう。
わたしがいなくなったとき、葉の存在意義も消えてしまうというのは、とても頼りなくて辛いことなの。
人間のために用意された物なんて無い。
わたしたちは、どんなに苦しくても、すべて甘んじて受け入れるしかない。
大きな物に押しつぶされても、わたしたちは死ぬことすらないまま、永遠に、そのままなだけだわ。
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3
わたしの処世術は“集中すること”だ。それに取って代わる生き方を身につけるべきだとは思うけど、出来そうにない。だからこうやって集中している。
何かに集中していないとわたしは終ると思う。一瞬でも、何かに気づいてしまえば、もう全て崩れてしまう。崩れるのは過去、現在、未来。わたしはいつも怖ろしい。
ど うすれば楽になるの?わたしはどうしてこうなっているの?どうして生まれたの?どうして葉が必要なの?それは正しいことなの?生きるのが怖いの?そのため に葉がいるの?葉のために生きているの?どうしてこんなに怖いの?何がそんなに怖いの?どうして何かをしていないと自分を保てないの?保つ?何? …
普通に生きることを人間としての尊厳とは思わないけれど、何かわたしは著しくこじれているという自覚がいつも消えない。身体の外に、中にべったりと張り付いている。
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