リゼルグ二十歳
思い出が人生を豊かにすることはないと思う。少なくとも僕にはあてはまらない。
人生とは経験だ。ただ過ごす時間のみが全てだ。現在は過去になり、未来も過去になる。僕たちは過去のみを持って生きている。過去のみが現在の自分を形作る。現在は未来を見つめることのみにあてられる。見える未来。過去になる未来。
ただ生きることが命に課せられた使命だと、いつごろからそう思いだしたのか覚えていない。けれど家族が死んで、旅をして麻倉葉たちに会う前だった。麻倉葉たちと旅をしているとき、そうトラックの荷台で、彼らと談笑しながら思ったのだ、これも僕の人生だと。いつか思い出になると。
そして、僕はあの旅が、人との出会いが、家族が生きていた頃の思い出と等価の思い出になってくれるよう祈っていた。というか、そうなってもらわないと困るので、どうせなるようになる、全て思い出になる、思い出はなべて同じ価値をもつ、絶対に、と頭を振った。嫌な予感を信じないように。
パッチ村では、あまりにも濃密な出来事があまりにも短期間に起こった。両親を殺した敵への憎しみが増して、自分の感情が暴走して、何がなんだか自分には関係ないようなことにも巻き込まれて、気持ちが溶解した。そのときには全てが終っていた。僕がその当時己をかけていた全てに、ケリがついた。だから僕は、あらたに始めていかなければならなかった。全てを。
僕にはイデーがなくなり、ただアイデンティティだけが残った。僕はもう、自分に興味なんて持てなかった。何も達成すべきことがなく、たどり着く場所もない。僕は自分を卑下するわけではないが、そういうことでなく、自分の存在に意味はないと思った。僕がいるから、何?それが僕にとって、何かもたらすとは思えなかった。自分にはもう、何も起こらないだろう。これから先、死ぬまで、そして死んでなお。
家族で過ごした日々が忘れられない。
家族に生きていて欲しいとは思わない。ただ、あの日々が忘れられない。あの日々の景色が、何よりも、どんなものよりも僕にリアリティを持って目の前にいつもある。
朝 目が覚めると、今まで見ていた夢よりも先に、ああ、家族はいないんだということを復習する。面白い夢を見たなと考えつつ、朝食を作ってくれるママがいないのだと思う。実はパパのほうが料理は上手い。けれどパパは朝も昼も夜もニュースを見ていて忙しいから、めったに作らない。パパは、料理を作るときいつも僕に手伝わせた。僕が暇じゃないと言うと怒った。ママを全然手伝わないんだから、と。ママを大切にしないとパパは怒る。料理を僕たちが作ることは、ママを大切にすることだった。
旅が終って、僕はそれからの人生に全く期待(というよりも興味)を抱けなかったけれど、以前のようにホテルに住んでルームサービスをとる生活をやめてみた。小さなアパートに住んだ。家電は備え付けであった洗濯機と冷蔵庫でとりあえず満足していおいて、とりあえずホームセンターに行った。
トイレットペーパーとタオルと食器類と石鹸・洗剤類と掃除機を買おうと思っていた。日用品は、旅行カバンに詰めた物でまかなえる。
料理道具のコーナーへカートを運んでいった。そこで、僕は自分の家(今の自宅はアパートだけど、僕は自分の家はあの家だけだと思っている)にあったナベを見つけた。
初め、それが、ママがいつもシチューを作ってくれたあのナベだと気付けなかった。うちのナベは、底が焦げたり色が少し変色したりしていたから。
け れど、棚に置かれたナベは、僕の家で使っていた物と同じ物だった。デザインも、大きさも。僕は覚えている、枝の所に、そう、メーカーの名前が彫られていた、僕は自分でナベを持つとき、そのメーカー名の部分に親指の先をピッタリあわせて持つようにしていた、特に意味はないけれど…。
僕はトイレットペーパーと洗剤が入ったカートを置いたまま、店を出た。どんな思いでどんな速さで歩いたか、全く覚えていない。あれからどうしても嫌で、あのホームセンターには行っていない。これからも行く気はない。
僕の、シャーマンファイト。ハオを倒すという誰もが納得する目的を掲げた逃避行。両親が殺されたから、という誰もが納得する理由を持った憎しみ、そしてその憎しみすら逃げ口。
両親の不在を埋められない。逃げてみても向き合ってみても戦ってみても思い出を作ってみても変わらない。両親の不在という現実も、それを片時も忘れられない僕自身も。
20年生きて、今僕がその人生でたどり着いた先、それは、ただ両親の不在だった。
ここから、きっと未来は始まる。いつだって人間には希望がある。僕はいつか、両親をただ愛して、そして新たに夢や、目標や、守りたい物、誇り、家族を見つけられるだろう、人間とはそんな物だ。
そう思って生きてきた。けれどそう思って生きてきて、そうなった日は、なかった。
ハオは本当に、ただ迷惑な奴だと思う。あいつのくだらない炎は、燃えカスを残した。
両親が、僕の家が燃えたのなら、もっと燃えろ。
僕はアパートの机にもたれる。目をつぶらなくとも、目の前が僕の家になる、あの日、家の中。両親が倒れている。僕の家が燃えている。四方が火の海だ。どんどん火が燃え移っていく、まだ燃えていないところへ。
僕は火に命令する。「両親を火に包め。」「どうせあの日に死んでしまったんだ。想像の中だけで両親を救って、今更僕の心を慰める気はないね。だけど、あの日 をそっくりそのままくりかえす気はないぞ、違う結末へ導くんだ。両親が燃えて、家も燃えても、全てを失ったわけじゃない、お願いだ、焼き尽くしてくれ、本 当に、本当に何も残らず…」
火は僕の身体をくすぐって、しかし僕は熱いと感じない。僕に火は移らない。両親はもう燃え尽きて、形を保てなくなった家が崩れ落ちる。僕の炎は燃えかすすら燃やし尽くす。僕はそれが終るまでじっと見てる。だって僕は、この目で見たいのだ。全てが燃やし尽くされるところを。
何も残らず燃えたら、きっと世界は何もかわらずさっきの延長の時を刻み始める。あの日と現在を、きっと綺麗に縫い合わせることが出来る。天衣無縫。
炎だけが、いびつな縫い目を、それこそ合わされた布ごとその存在する世界ごと、まるで初めからなかったかのように、葬ってくれるのだ。
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