Can’t stop thinking.
「ふん…ふふん♪…ふふー…ん♪」
カタカタというタイピングの音と、カチリというマウスをクリックする音。
その合間に聞こえてきたのは、波江の(不本意ながら)現在の雇い主の喉から漏れる、楽しげな愉しげな鼻歌だった。メロディにさえなっていない、途切れ途切れの、喉の震える音。
音楽や有線のラジオといった洒落たモノはここには流れてはおらず、テレビも当然ついてはいない。外の喧騒も、室内外に施された防音設備により、一切聞こえない環境である。
その為、それまで聞こえていた音といえば、空調やパソコンと周辺機器の起動している音と、この場にいる二人の人間の動作音だけだった。
ただっ広いオフィスとはいえ、そこまで静かであれば、ボソリと呟いた独り言でさえ大きく聞こえるものだ。…言わずもがな、鼻歌なんてものは本人がどれだけ気を付けていようが、響くものは響く。
自身に与えられたパソコンの画面から視線を外して。波江は、汚物でも見るかのような蔑んだ視線で、雇い主である(外見と能力だけは超絶なまでの一級品、それ以外はクズ以下の)男を一瞥した後、静かに吐き捨てた。
「……いきなり何よ、鼻歌だなんて。気持ち悪い…」
「―――え~、なんだって?雇い主に向かってそれは無いんじゃない?…クビにしちゃうよ?」
不穏な言葉とは裏腹に、心底機嫌の良さそうな声音で、男はそう言う。
この男がこんな声を出す時は、決まってどこかでろくでもない騒動が起こる時だ。助手である波江は、(男の行動を理解は出来ないが、)ちゃんと知っていた。こういう時のこの男は、危険極まりないという事を。
不愉快そうに眉間に皺を寄せ、目を顰める。
「ねー波江、そろそろ学校も終わる時間だねぇ。」
「…だから何。」
「来良学園も…、ね?」
「………アンタ、私の愛しい誠二に何かしたら殺すわよ。」
「ハハッ!おー怖!」
「私の、愛しい、誠二に!…何かしたら本気で殺すわよ。」
「大事な事だから二回言っちゃったぁ?…まぁ安心しなよ。君の弟には興味無いから。」
「…そう。なら好きにすれば。」
「うん、勿論好きにするよ~?」
どこの誰とも知れない今回の被害者に心の中で黙祷を捧げ、波江は我関せずと言った風に仕事を再開した。
自分の弟にさえ被害が及ばなければ、それは彼女にとって、取るに足らない、どうでもいい事象なのだ。
「あ~…そろそろ、君に逢いにいかなくちゃ。―――ねぇ?」
だから、常に軽薄な態度の男が、普段とは一切違った表情を見せていようとも。
パソコンの画面に映し出されている監視カメラの映像をうっとり眺めて、慈しむようにそれをなぞっていたとしても。
その声が、その顔が、蕩けてしまいそうなほどに甘ったるかろうと。その脳内で、どのような企みがなされていようと。
「もうすぐ行くから待っててね。…竜ヶ峰 帝人くん?」
たとえ弟の友人であり、自分の仇敵でもある少年がターゲットになっているのだとしても。
波江にとっては、どうでも良い事なのである。
(死んだり大怪我したりさえしなければ、誠二には何も伝わらないでしょうし…ね。)
Can’t stop thinking.
(僕の脳味噌は君に支配されたまま。)
【英文と訳文で5題】
I hate you ! (http://weirdout.kill.jp/hate/)様よりお借りしました。
作品名:Can’t stop thinking. 作家名:四谷 由里加