水底にて君を想う
一番大事な『モノ』は心の水底へ
深く
深く
深く、沈めろ
己ですらも忘れるほどに
それ以外に守る術を持たないのだから
細波【1】
「そーゆうセンセイはどうなの?」
「あん?」
紫穂の突然の問に賢木はカルテから目を上げた。
ここはバベルの医務室。
ザ・チルドレンの日課ともいえる身体検査が終わった所だ。
薫と葵は見たいテレビがあるとかで、早々に飛び出していった。
皆本も研究室に用事とかで出て行った。
あの様子では、今夜は遅くなるのかもしれない。
結果的に紫穂と賢木の二人っきりになっていた。
「何の話だ?」
賢木は首を傾げた。
「だから、皆本さんのこと透視〈よ〉んだりしないのかってことよ」
「あー、ああ…って、何時の話だよそりゃ」
賢木の口からは呆れた声が漏れた。
紫穂が皆本や薫、葵に対しあまり透視んでいないのを『嫌われてたら怖いからじゃねえのか?』とからかった時のことを言っているらしい。
記憶違いでなければ一年以上前の話だ。
(女ってのは妙な事を覚えてるよな、手をつないだ日とかさ……)
賢木は心の中で溜息をつく。
「何時でもいいでしょ。で、どうなの?」
「いや、聞いてんなら、透視もうとすんなや」
紫穂の手がいつの間にか賢木の腕に触れている。
「だって、センセイって嘘つきじゃない。特に女性には」
「おいおい、女の子にウソをつくのは優しさよ?」
おどけた口調でそう言いながら、賢木は椅子の背に体重をかける。
紫穂の手はまだ触っているが、実際に透視もうとしている訳ではない。
超度6の賢木から透視もうとすれば、紫穂でも本気を出さなくてはいけない。
リミッターのかかった、今の状態では口に乗せるほんの少し前の言葉が分かる程度だ。
これは、いわば脅し。
いざとなったら力づくでも透視んでやる、という。
「べっつに、男の透視んでも面白くなんともねえからなあ」
「そういう事、言ってるんじゃないわよ」
紫穂はジロリと睨む。
「へいへい。ま、言われてみりゃ俺もあまり透視まねえな。つっても、皆本は分かりやすいからなあ」
んな、無駄な事しないぜ、と口に上らなかった言葉が続いた。
「そりゃ、皆本さんはそうかも知れないけど……じゃあ、他の友達は?」
何気なく口に出た言葉に、賢木の表情が一瞬、固まる。
紫穂は思わず手を離し、困ったように視線を外すと。
「……ゴメンなさい」
小さく呟いた。
「謝るこっちゃないだろ」
賢木は、立ち上がると、紫穂の頭に手を置いた。
「気にすんな」
見上げる紫穂に賢木は何時もの顔で笑ってみせる。
「センセイ」
「おっと、皆本を手伝ってくるか。じゃ、早めに帰れよ」
そう言い残し、医務室から出て行く。
閉まる扉を見ながら紫穂は手を握りしめた。
「私の……馬鹿」
触れた手から聞こえた。
(そんな奴、いない)
暗く冷たい心の声。
いつの間にか紫穂は『友達』がいるのが当たり前になっていた。
薫、葵だけではない。
学校に行けるようになってからごく自然に『友達』が出来た。
(でも、私だって……)
薫と葵がいなければ、『友達』なんて、きっと一人もいなかった。
皆本がいなければ学校にも行けなかった。
人の心に触れてしまうサイコメトラー。
超度が高ければ高いほど、人と付き合うのは難しくなっていく。
分かっていたのに、忘れていた。
(センセイは、ずっと一人だったの……?)
紫穂はそう心の中で問いかけた。
廊下を歩きながら賢木は頭を乱暴に掻く。
「たく、馬鹿か俺は」
ポツリ、と呟く。
聞かせなくてもいい声を聞かせてしまった自分に腹が立つ。
賢木はもう一度、馬鹿かと呟いた。
あんな質問に動揺するほど青くはなかったはずなのだが。
(なんだかんだいっても、あいつらとの付き合いも長いからな。気が緩んだか)
特に同じチームになってからは、行動を共にすることも増えた。
同じサイコメトラーの紫穂にはついつい、嫌味が出る。
本心でいえば羨ましいからだし、と、同時に心配だからでもある。
人の心を透視る力は、時には同じ超能力者からでも嫌われる。
誰でも自分の心は聖域だ。
そこに踏み込めば、傷つくのは自分ばかりだ。
紫穂と違って、賢木の周りには同じ超度の能力者もいなかったし、サイコメトラーの手を取ろうなんて酔狂な奴もいなかった。
(友達……ね)
いるわけがない。
賢木は息を吐き出した。
と、
「賢木」
突然掛けられた声に賢木は慌てて振り返る。
「皆本」
そこには、片手に資料を抱えた皆本が立っていた。
「どうしたんだ、変な顔して?」
皆本は目を何度か瞬かせると、手を賢木へと伸ばす。
「熱でもあるとか?」
当たり前のように、賢木の額に触れる。
フッと温かいものが流れ込んでくる。
その表情そのままに裏も表も無く皆本は賢木を心配してくれているのだろう。
「……お前、手が冷たいぞ」
賢木は皆本の手を外す。
「えっ、そうかな?」
皆本は言われた自分の手を見て、首を傾げる。
(手の冷たい奴は心が優しいってのはホントだな)
賢木は思わず微笑む。
「て、いうか、俺は医者だぜ。熱があるなしなんざ、すぐ分かるっての」
「まあ、そうか」
熱が無いのを確認してか、皆本が何時もの人懐っこい笑顔を浮かべる。
「それよりその資料、どうすんだ?」
「ああ、ちょっと気になることがあってね。これから調べ直そうと思って」
「今からかぁ?お前な、オーバーワークも大概にしとけよ。指揮官がぶっ倒れたんじゃ話しにならないぜ」
就業時間は1時間ほど前に終わっている。
もっともバベルの仕事は一般のサラリーマンとは違うが。
それでも事件のない時は定時出勤、定時退社が普通だ。
「はは、気をつけるよ。それより、今日はデートだって言ってなかったっけ?」
「あっっ!!」
賢木は硬直する。
「急げば間に合うんじゃないか?」
皆本は時計を見る。
女性と見れば口説くくせに、どうしてこう肝心なところで抜けているのか。
こないだもブッキングしたとか言っていたのに。
心の中で皆本は首を捻る。
「あ~、一週間かけて口説いたんだけどな」
「だから、急げって…」
皆本の台詞は途中で止まった。
賢木が皆本の手から資料を取り上げたからだ。
「賢木?」
「二人でやればちったー早いだろ」
「そりゃ、いやでも」
「今更行っても、平手打ち一発で終わりだからな」
そう言いながら歩き出す賢木を皆本が慌てて追いかける。
「人との約束は守らないと」
真剣な顔の皆本に思わず噴出しそうになる賢木。
「男と女の駆け引きは正直だけじゃ、やってけないぜ。ま、お前には無理か」
「あのな、そういうことじゃなくて……」
「ちゃんと、電話しておくって」
言い募ろうとする皆本に、賢木はそう告げる。
その横顔が一瞬だけ、寂しそうにみえた。
「……まったく、必ず謝れよ」
皆本は、賢木の肩をポンと叩く。
「ああ」
賢木は短く応えて、笑った。
女に慰めてもらうのも悪くない。
でも今日は当たり前に触れてくる、お前の傍にいたい。
(ほんと、青臭いな)
並んで歩きながら皆本の横顔をチラリと見る。
深く
深く
深く、沈めろ
己ですらも忘れるほどに
それ以外に守る術を持たないのだから
細波【1】
「そーゆうセンセイはどうなの?」
「あん?」
紫穂の突然の問に賢木はカルテから目を上げた。
ここはバベルの医務室。
ザ・チルドレンの日課ともいえる身体検査が終わった所だ。
薫と葵は見たいテレビがあるとかで、早々に飛び出していった。
皆本も研究室に用事とかで出て行った。
あの様子では、今夜は遅くなるのかもしれない。
結果的に紫穂と賢木の二人っきりになっていた。
「何の話だ?」
賢木は首を傾げた。
「だから、皆本さんのこと透視〈よ〉んだりしないのかってことよ」
「あー、ああ…って、何時の話だよそりゃ」
賢木の口からは呆れた声が漏れた。
紫穂が皆本や薫、葵に対しあまり透視んでいないのを『嫌われてたら怖いからじゃねえのか?』とからかった時のことを言っているらしい。
記憶違いでなければ一年以上前の話だ。
(女ってのは妙な事を覚えてるよな、手をつないだ日とかさ……)
賢木は心の中で溜息をつく。
「何時でもいいでしょ。で、どうなの?」
「いや、聞いてんなら、透視もうとすんなや」
紫穂の手がいつの間にか賢木の腕に触れている。
「だって、センセイって嘘つきじゃない。特に女性には」
「おいおい、女の子にウソをつくのは優しさよ?」
おどけた口調でそう言いながら、賢木は椅子の背に体重をかける。
紫穂の手はまだ触っているが、実際に透視もうとしている訳ではない。
超度6の賢木から透視もうとすれば、紫穂でも本気を出さなくてはいけない。
リミッターのかかった、今の状態では口に乗せるほんの少し前の言葉が分かる程度だ。
これは、いわば脅し。
いざとなったら力づくでも透視んでやる、という。
「べっつに、男の透視んでも面白くなんともねえからなあ」
「そういう事、言ってるんじゃないわよ」
紫穂はジロリと睨む。
「へいへい。ま、言われてみりゃ俺もあまり透視まねえな。つっても、皆本は分かりやすいからなあ」
んな、無駄な事しないぜ、と口に上らなかった言葉が続いた。
「そりゃ、皆本さんはそうかも知れないけど……じゃあ、他の友達は?」
何気なく口に出た言葉に、賢木の表情が一瞬、固まる。
紫穂は思わず手を離し、困ったように視線を外すと。
「……ゴメンなさい」
小さく呟いた。
「謝るこっちゃないだろ」
賢木は、立ち上がると、紫穂の頭に手を置いた。
「気にすんな」
見上げる紫穂に賢木は何時もの顔で笑ってみせる。
「センセイ」
「おっと、皆本を手伝ってくるか。じゃ、早めに帰れよ」
そう言い残し、医務室から出て行く。
閉まる扉を見ながら紫穂は手を握りしめた。
「私の……馬鹿」
触れた手から聞こえた。
(そんな奴、いない)
暗く冷たい心の声。
いつの間にか紫穂は『友達』がいるのが当たり前になっていた。
薫、葵だけではない。
学校に行けるようになってからごく自然に『友達』が出来た。
(でも、私だって……)
薫と葵がいなければ、『友達』なんて、きっと一人もいなかった。
皆本がいなければ学校にも行けなかった。
人の心に触れてしまうサイコメトラー。
超度が高ければ高いほど、人と付き合うのは難しくなっていく。
分かっていたのに、忘れていた。
(センセイは、ずっと一人だったの……?)
紫穂はそう心の中で問いかけた。
廊下を歩きながら賢木は頭を乱暴に掻く。
「たく、馬鹿か俺は」
ポツリ、と呟く。
聞かせなくてもいい声を聞かせてしまった自分に腹が立つ。
賢木はもう一度、馬鹿かと呟いた。
あんな質問に動揺するほど青くはなかったはずなのだが。
(なんだかんだいっても、あいつらとの付き合いも長いからな。気が緩んだか)
特に同じチームになってからは、行動を共にすることも増えた。
同じサイコメトラーの紫穂にはついつい、嫌味が出る。
本心でいえば羨ましいからだし、と、同時に心配だからでもある。
人の心を透視る力は、時には同じ超能力者からでも嫌われる。
誰でも自分の心は聖域だ。
そこに踏み込めば、傷つくのは自分ばかりだ。
紫穂と違って、賢木の周りには同じ超度の能力者もいなかったし、サイコメトラーの手を取ろうなんて酔狂な奴もいなかった。
(友達……ね)
いるわけがない。
賢木は息を吐き出した。
と、
「賢木」
突然掛けられた声に賢木は慌てて振り返る。
「皆本」
そこには、片手に資料を抱えた皆本が立っていた。
「どうしたんだ、変な顔して?」
皆本は目を何度か瞬かせると、手を賢木へと伸ばす。
「熱でもあるとか?」
当たり前のように、賢木の額に触れる。
フッと温かいものが流れ込んでくる。
その表情そのままに裏も表も無く皆本は賢木を心配してくれているのだろう。
「……お前、手が冷たいぞ」
賢木は皆本の手を外す。
「えっ、そうかな?」
皆本は言われた自分の手を見て、首を傾げる。
(手の冷たい奴は心が優しいってのはホントだな)
賢木は思わず微笑む。
「て、いうか、俺は医者だぜ。熱があるなしなんざ、すぐ分かるっての」
「まあ、そうか」
熱が無いのを確認してか、皆本が何時もの人懐っこい笑顔を浮かべる。
「それよりその資料、どうすんだ?」
「ああ、ちょっと気になることがあってね。これから調べ直そうと思って」
「今からかぁ?お前な、オーバーワークも大概にしとけよ。指揮官がぶっ倒れたんじゃ話しにならないぜ」
就業時間は1時間ほど前に終わっている。
もっともバベルの仕事は一般のサラリーマンとは違うが。
それでも事件のない時は定時出勤、定時退社が普通だ。
「はは、気をつけるよ。それより、今日はデートだって言ってなかったっけ?」
「あっっ!!」
賢木は硬直する。
「急げば間に合うんじゃないか?」
皆本は時計を見る。
女性と見れば口説くくせに、どうしてこう肝心なところで抜けているのか。
こないだもブッキングしたとか言っていたのに。
心の中で皆本は首を捻る。
「あ~、一週間かけて口説いたんだけどな」
「だから、急げって…」
皆本の台詞は途中で止まった。
賢木が皆本の手から資料を取り上げたからだ。
「賢木?」
「二人でやればちったー早いだろ」
「そりゃ、いやでも」
「今更行っても、平手打ち一発で終わりだからな」
そう言いながら歩き出す賢木を皆本が慌てて追いかける。
「人との約束は守らないと」
真剣な顔の皆本に思わず噴出しそうになる賢木。
「男と女の駆け引きは正直だけじゃ、やってけないぜ。ま、お前には無理か」
「あのな、そういうことじゃなくて……」
「ちゃんと、電話しておくって」
言い募ろうとする皆本に、賢木はそう告げる。
その横顔が一瞬だけ、寂しそうにみえた。
「……まったく、必ず謝れよ」
皆本は、賢木の肩をポンと叩く。
「ああ」
賢木は短く応えて、笑った。
女に慰めてもらうのも悪くない。
でも今日は当たり前に触れてくる、お前の傍にいたい。
(ほんと、青臭いな)
並んで歩きながら皆本の横顔をチラリと見る。