もういちど
ああ、俺は、今。
確かに生きている。
目が覚めればそこはタタル渓谷で、隣にはティアが横たわっていた。
なんて幸せで、残酷な、夢。
まだティアに目を覚ます気配はない。
風に吹かれて波打つティアの髪を一房手に取る。
手に取ったそばから、その細くまっすぐな髪はきらきらさらさらと零れ落ちていってしまって。
その感触は、あまりに現実味を帯びていて。
色素の薄い艶やかなティアの髪は、月の光に照らされて幽かに燐光を放っている。
まるでその光はティア自身から放たれているようだと。
そう考えてから、それはちょっと我ながら恥ずかしいにもほどがあるだろうと思い至りその思いを振りほどこうとしたが、
やはり、そうとしか思えなくて。
自分にとっての彼女は、それほどの存在だったのだ。
自分を導いてくれる光。
決して手の届かない、手を伸ばしてはいけない、光。
もし手が届いてしまえば最後。
自分には決して、彼女を幸せにすることなどできはしないのだから。
誰よりも大切な人。
もしも自分が、もっと沢山の時間を持っていたなら。
しわくちゃのおじいさんおばあさんになるまで、ティアと一緒にいられるだけの時間があったなら。
そんなもしもを、たくさん想像した。
自分が”こんな風”になってしまってから、夢を見るのは初めてだった。
というか、眠るということ自体、できなくなってしまっていたから。
音素意識集合体。
ローレライが、そういう形で存在することを俺に許してくれた。
単一の音素のみで構成されていた俺の体。
俺の体を形作っていた第七音素は、ほどけてしまった今でも、俺のことを忘れずにいてくれたようだった。
人のような魂を持たない俺は、その記憶を拠り所にしてこの世界に存在している。
俺は今、自由だった。
どこにだって行ける。好きな時に、好きな場所へ。
けれど、誰の目にも映らない。誰にも触れられない。
いつの頃だったか、ガイが俺に読み聞かせてくれた絵本に出てきた幽霊みたいな存在だった。
俺のために悲しんでくれている彼らのために、俺にできることは何一つない。
誰に対しても心を隠して、無理をして奔走する彼女に。
俺の声は、決して届かない。
そう気付いた時から俺はぱたりと、音譜帯から地上へと赴くことをやめてしまった。
時間の感覚も忘れ、意識も拡散し、徐々に音素意識集合体としての自分を保てなくなりつつあった俺に、
ローレライはさまざまな知識を与えてくれた。
遠い遠い昔話だったり、この世界の概念とかいう難しい話だったり、音素のお取扱い方法だったり、とにかく沢山。
そんなことまで教わっちまっていいのかよっ!………って言いたくなるようなことまで、とにかく様々。
今思えば俺に何らかの興味を持たせることで、存在を繋ぎ止めようとしてくれていたのだろう。
おかげで俺は今もこうして存在できているわけで、実際、感謝もしている。
そんな事面と向かって言おうものならウザったくなること間違いなしだから絶対に言ってはやらないけれど。
「にしても・・・・ほんっとにリアルな夢だな」
大地を踏みしめれば足の裏にはしっかりと抵抗があって。
草原を撫でる風からは、草の匂いがする。
頬をつねれば痛いし、転べば怪我もするようだ。
先ほど擦りむいた腕がひりひりする。
ティアが起きていなくて本当に良かったと、心の底から思ったものだ。
ついさっきまでふわふわと漂うだけの生活を送っていたものだから、体がうまくついてこなかった。
久々に歩いてみようかと立ち上がった瞬間、情けないくらい見事にすっ転んでしまったのだ。
勢いよく立ちあがったまではよかったのだが、肉体を持つという感覚が違和感となって足を引っ張った。
その勢いのままつんのめってしまいあわや地面に顔面から猛スピードで突っ込むところだったのだが、
ぎりぎりのところで何とか不格好ながらも受け身を取ることができたおかげで、
顔面を擦り剥くなんていうみっともない事態にはなっていない。
その不格好な受け身のせいで腕をすりむいてしまったのだが、それはまぁ、よしとする。
たぶん今のほうがだいぶましなはずだ。
夢の中だとはいえ、怪我には注意しなければ。
痛いのはごめんだ。
ふと、ティアの瞼が震えた。
「うっ・・・」
「ティアっ!?」
ゆっくりと露わになるアイスブルーの瞳。
その瞳の温もりを、俺はもう知っていた。
「あなた、は」
選択肢(笑)
>>「誰?」
>>「ルー、ク?」