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黒い羽、金の鬣

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牢屋の外でオオワシが短剣を研いでいる。牢屋が全くその役目を果たしていないので見張りは必須、責任感が強い彼が自らその役割を買って出ることは少なくない。まあそもそも設計ミスをしたのが彼なので当然といえなくもない上に、ライオンの活動時間帯である夜間において彼の自慢の目は全くの役立たずもいいところなのだが。
 牢屋の中でライオンがオオワシを見ている。彼を出し抜いて、もしくは力尽くで脱獄するのは容易いのだが、現在はそんな気にならないので大人しく牢屋の中にいる。まあ東の喧騒とは程遠い平和な西のこと、暇を持て余してどうにもならなくなった際は仕方ない、監視役が喚かない程度の外出くらいは許せ、と開き直る。
「……何を見ている」
 ライオンの視線が気に障ったのかオオワシは眉間に皺を寄せて牢屋の中を見た。
「それ」
ちょいちょい、とライオンはオオワシの背中に生えている翼を指差す。
「飛べもしないくせに、と嗤うか」
かつて冗談混じりにライオンが引き抜こうとしたそれを見て、オオワシの表情は険しくなった。また引き抜かれそうになるのを警戒しての行動だろう、翼を背後に庇ってオオワシは正面からライオンを睨む。
「違えよ」
今のライオンにオオワシを攻撃するつもりはなく、見ていたのは正確に言えば翼ではない。
「羽だ」
 空を翔る翼も悪くはないが、それを構成する羽にライオンは翼以上の魅力を感じる。
「くれよ」
しかしそんなライオンの趣味を知らないオオワシは眉を顰めたままだ。
「何に使うつもりだ」
「別に。ただ眺めるだけだ」
「信用ならない。断る」
「良いじゃねえか、減るもんでもねえし」
「減るだろ」
 これ以上の問答は無用、とオオワシは外方を向いて再び短剣を研ぎ始めた。先程までの警戒心は何処へ行ったのか、これで親衛隊が務まるのだからアッパーヤードは平和そのものである。ライオンは半ば呆れつつ、出入り口以外なら出入り自由な牢屋から出た。オオワシがそれに気づくも僅か遅い。背後から飛びかかって俯せの彼に圧しかかり、その翼に触れる。
「触るな! 牢から出るな!!」
抵抗を無視してライオンは翼を弄って抜けそうな羽がないか探る。仰向けにされない限り、押さえ込まれても大人しくはならないオオワシは肩越しにライオンを睨めつけた。
「だいたい貴様、勝手に持って行った羽根はどうした!?」
「東に置きっ放しだ。あとマタタビの匂いがして齧りまくったらボロボロになった」
「何処が眺めるだけだ!?」
バサバサと音を立てる翼に鼻を近づけても、もうマタタビの匂いは欠片も感じ取れない。イヌ科の鼻なら、と思ったのだが真っ先に浮かんだのが残忍、改め残念な殺し屋だったので考えるのを止めた。
「あら、楽しそうね」
 それと同時に声がして手も止まる。
「シロフクロウ!」
 オオワシが勢い良く顔を上げ、しかしすぐに赤い顔のまま彼女から視線を外した。シロフクロウに会えて嬉しいがライオンに圧しかかられていて情けない、そんな表情だ。目を抉られたかも知れないというのに、オオワシは未だにシロフクロウを好いている。何でこんな女が好いのかライオンにはさっぱり分からない、如何な麗人といえ彼女だけは恋愛の対象外だ。
「何をしてるのかしら?」
「あ? ああ、羽くれっつったのにくれねえんだよ、このケチ鳥」
 牢屋を出た本来の目的を思い出して、ライオンは再びオオワシの翼を弄る。止めろバカ猫、とオオワシは喚いているがシロフクロウがいるせいか先程より抵抗が緩い。圧しかかられて別のことに気を取られている彼はアッパーヤードを出たら即死するのではないか、とやや不安になった。
「私にもくれないかしら」
「喜んで!」
「俺には拒否でシロフクロウには贈呈かよ、即答で」
再び、ぱ、と顔を上げたオオワシの背に、シロフクロウは軽やかに跳び乗る。
「え?」
 いくら鳥が軽かろうと翼のつけ根に乗られてオオワシの顔が苦しげに歪む。足元まで覆うスカートからは見えないが彼女とて猛禽だ、その爪は鋭く尖っている筈で、尚且つ彼女の性格からして爪を立てないなど有り得ない。
「っ、う……ッ」
じわり、と露になっているオオワシの背に汗が浮き、彼の顔を覗き込みながらシロフクロウは翼に手をかける。
「嬉しいわ、オオワシ。翼ごとくれるなんて」
「ああああああああああああああああああッ!?」
ギチリ、と骨の軋む音がした。
「おい!? 止めてやれ!」
 シロフクロウを押し退けようと腕を伸ばすが、その腕が届く前に彼女は自らオオワシの背を下りる。
「あら、どうして? 貴方だってしたことでしょう」
「悪趣味なこと言うじゃねえか、大賢者様よぉ」
ひゅ、ひゅ、と荒く息をするオオワシからライオンも退いた。苦し気に寄せられた眉、浮いた涙、真っ赤な顔。彼の表情は今、この上なくシロフクロウ好みのそれになっているだろう。いつも変わらない笑顔だがシロフクロウの目は薄っすらと細められている気がしないでもない。それでもまだ信じられないという眼で彼女を見るのだから呆れ果てる。もう少しマシな相手を選べ、と説教しても罰は当たるまい。
「絆されたの、色仕掛けは効果的面ね」
「コイツが否定してんだろ、だいたい何が色仕掛けだよ」
「俯き加減、少し赤い頬、たどたどしい口調、ってところかしら。それにオオワシは可愛いもの」
 真意の読み取れない笑顔。更に口元に手を当てて口唇を覆い、ない筈の牙を隠して悪魔がくすくすと笑っている。
 誰だコイツを王の助言役に選んだバカは。否、東が口を揃えて彼女を推すのだから、西があの日まで全く疑わなかったのだから、もしかすると国中一致で彼女が選ばれたのかも知れない。的中して欲しくない仮定に背筋が冷えた。
「でも、そうね、可愛い顔が見れたから翼は諦めましょうか」
口を覆っていたその手がライオンへと伸びる。
「代わりに貴方の鬣を頂くわ」
ガ、と細い指からは信じ難い力でライオンの額と前髪を掴む。猛禽の握力を思い知らされる、爪が皮膚に食い込んだ。しかし鬣のほとんどを切られ渡せるそれなど残っている筈もなく、丸刈りにされてはかなわない、と傷がつくのも顧みずにシロフクロウを突き飛ばす。案の定、出血した。
「残念だわ」
 しかし戦場が地に固定されている限り、空に逃げられないシロフクロウは深追いはしてこない。ライオンから反撃しても良いのだが後が面倒なので追撃してこない限りそれはしない。賢いシロフクロウは分かっているから一定の距離を取って笑っている。
「ふふ、貴方も可愛いわね、ライオン」
「……失せろ」
牙を向いて唸り威嚇するライオンを見て仕方なさそうに後退するも、笑顔は消える気配がなく、飛びかられるのを警戒してか背を向けることもない。オオワシと比べシロフクロウはこの国を出ても生き残れる、というより殺しても死にそうにないのに、どうして同じ猛禽なのにこうも違うのだろうか。思わず頭を押さえた。
「貴方は激情にかられた顔が可愛いわ」
 ライオンの頭痛を他所に、くすりと笑い声を響かせて白い悪魔は藪の中へと消える。冗談がきつい、と嘆息してからオオワシを見れば、シロフクロウが消えた藪を泣きそうな表情で見ていた。流石に堪えたか、と同情する間もなくオオワシはライオンを睨む。
作品名:黒い羽、金の鬣 作家名:NiLi