溺れた魚
青い青い、水底の揺らぎの中にいた。
キラキラと反射する光の粒が、綺麗だ。
そんな夢を見た。
静かに水の底に沈んでいき、たゆたう夢を。
溺れた魚のように、水底に引き込まれていく。そんな夢。
目を開けると、夜明け前の青い、綺麗な空が見えた。
青と言うか、紫に近い。何とも言えない空の下、彼が紫煙をくゆらせている。
引っかけただけのシャツが、風にはためいている。
均整の取れた身体が、白いシャツと、紫の空の中で、一番綺麗だと臨也は思った。
「寒くないの」
先日まで暖かかったとはいえ、朝方はもう冷え込む季節だ。
布団の中の臨也は寒くないが、静雄は裸に近い。そんな格好でいたら風邪をひいてしまうだろう。けれど。
「別に」
予想通りの返答が返ってきた。
痛みを感じにくいせいなのか、静雄は寒さや暑さにも強かった。
強いというか、感じないのかもしれない。
その体質を内心悲しんでいるだろうことは容易に想像できた。
「シズちゃんが寒くなくても、俺が寒いよ」
臨也はベッドから起き上がると、ブランケットを片手に静雄に歩み寄る。
それからそのブランケットを広げて、後ろから静雄を包み込んだ。
そのまま静雄を後ろから抱きしめる。
静雄の瞳が、戸惑いを隠しきれない色で臨也を見た。
臨也は小さく笑って、「ほら、もう寒くないだろ」とだけ言った。
静雄の動揺に気づかないふりをして。
静雄は昔からこうだった。
性的な欲求を持って触れられる手には従うくせに、なんの裏打ちのない、優しい手に弱かった。
だから門田や上司であるトムの、労わりや掛け値なしの愛情を持って触れてくる手に、静雄は戸惑いを隠せない顔でいつも俯く。
皆はただ、静雄が照れているだけだとしか思わないだろう。けれど臨也には分かった。
その手に応える権利は、自分にはない。そう思っているのが分かる、初めからあきらめた者の持つ表情だった。
それに気づいたのは臨也だけだった。臨也だけが彼をずっと見ていたから。
臨也はそれを利用した。
性的に求められることを、静雄が心の中で安心していることを臨也は知っていた。
掛け値なしの愛情は怖いけれど、そこに下心が附随すれば納得できる。
自分は愛されることのない人間だけれど、身体が目当てだというなら、理解できる。
そう思っているだろう静雄に付け込んで、抱いた。
そうして近くに寄ってから、優しい言葉をすりこんでいく。
まるでこの世で一番愛しいもののように、真綿に包み込むように、愛して。愛して。
愛している『ふり』をして。
そうして静雄が自分から離れられないように。慣れない愛情を向けられて、それでも応えようとし始めた静雄を臨也は冷めた目で見ていた。くだらないゲームだと、自分では思っていた。この化け物に愛を囁いて、自分の手中におさめたらおしまい。ただそれだけの。
それなのに。
水の中で自由に泳ぎまわれるはずの魚は、いつの間にか水の中で呼吸するすべを忘れていた。そうして暗い水底に沈んでいく。
おずおずと振り返った静雄に口づけながら、臨也は心の中で小さく呟いた。
……捕まえようとしていたのに自分が捕まるなんてね。
かっこ悪い。けれど仕方ない、もう認めなくてはいけない。
自分は、平和島静雄に恋をしてしまったのだと。
彼という存在に溺れてしまった哀れな魚は自分だった。