恋とは呼ばない
この気持ちを
――――恋とはよばない。
≪恋とはよばない≫
例えるなら、それは闇に咲く花のよう。
昼間でさえ薄暗い森の中で、サワダツナヨシは一人佇んでいた。
その両手にはオレンジの炎。額には、ひときわ鮮やかに燃え盛る命の炎。
――――ボンゴレファミリーの象徴ともされる、『死ぬ気の炎』だ。
黒のスラックスに、ワイシャツの袖は肘までまくりあげ、首元のネクタイを軽く緩めている。両手はだらりと脇に垂らし、軽く目を閉じたその姿は、まるで森林浴をしているようにも見えるだろう。
けれど、その身は弛緩しながらも、注意深くあたりをうかがっている。
なにせ、ただいま絶賛戦闘中なのだ。
ツナヨシに対する相手は、この森のどこかに潜んでいる。
動きを殺し、息を殺し、気配をも殺し、ただ緩慢でいて異常な興奮を満たした殺気だけを四方からツナヨシに向けてくる。
たやすく、ツナヨシに己の位置をつかませない。
―――なかなかの腕前だ。
対して、薄闇に炎を宿し自ら光を放っている自分は、さぞやいい標的だろう。
狙ってくれと言っているようなものなのだから。
それでも相手は動かない。
ツナヨシのあからさまな挑発にも乗ってくることはない。狡猾で計算高く、そしてこの遊技を愉しんでいる気配。
(・・・いいだろう)
くすっ、と口元に笑みを浮かべるとツナヨシは目を閉じて、意識を解放した。
―――ドクン、と血がざわめく。
ひとつ、鼓動を刻むたびに、感覚が研ぎ澄まされていく。
覚悟を炎に。自分は燃えさかる一つの炎なのだと。そう刻み込む。
その瞬間、ツナヨシの纏う炎がよりいっそうの輝きを放った。
瞬時に切り替わる意識。
瞳をひらけば、クリアーな視界が彼を迎え入れる。
ツナヨシの前に、世界がその身を投げだし、ひざまずく。
――――血と炎に愛された王が目を覚ました。
感覚は研ぎ澄まされ、闇に身を潜ませた相手の姿も、押し殺した呼吸も鼓動も、風の流れさえも、すべてを、はっきりと『直感』する。
(・・・とらえた)
口元の笑みをいっそう深め、ツナヨシは駆け出した。
直感に従い、体が反応する。思考?そんなもの、必要ない。
速く、速く、もっと速く。ただ血が告げる声に耳を傾けるだけ。
両手の炎を推進力にして、ツナヨシは相手の元へひた走る。
明らかに動きの変わったツナヨシに、相手は一気に攻撃を仕掛けてきた。
潜む居場所がバレてしまった以上、タイムロスは命取りだ。
木立の合間を縫って千の刃が襲いかかる。その一つ一つに意志があるかのように、時にツナヨシの死角をつき、波状攻撃を仕掛け、息つく暇もあたえない。
優雅でいて危険な、『死の舞踏(ワルツ)』。
それでも、次々と飛来するナイフをたたき落とし、かわし、溶かして、ツナヨシは駆け抜ける。
その視線の先にただ一人、その人影を見つめて。
木立の合間にキラリと光る金髪、どちらかといえば細身の体、黒コートに特徴的なボーダーのシャツ。
「はぁっ!」
吹き荒れる嵐の攻撃、その最後の刃を溶かし、地に落とすと、ツナヨシは炎を噴射し、瞬時に相手の――――ベルフェゴールの間合いに侵入した。
「げっ、はやっ!」
想像以上のスピードにベルフェゴールは手持ちのナイフを牽制に投げつけて、流れるようにバックステップを踏んで後退する。飛来するナイフをたたき落とした先には空白の間合い。相手のみせた隙に踏み込んだツナヨシは、その勢いのまま振り上げた拳をおろした。
が、その瞬間―――血がざわめいた。
感覚に引っかかる、かすかな違和感に血が警鐘を鳴らす。
とっさに拳を止めたツナヨシの腕に、鋭い痛みが走った。
「っ・・・」
見れば、か細いワイヤーが腕に巻きつき、シャツを切り裂いていた。鋭利なワイヤーは肌をも切り裂き、血がシャツを紅に染める。
腕をつたって、ぽたりと緋色の滴がしたたり落ちた。
(・・・なるほど)
仮にあのまま拳をふるっていれば、腕を落とされていたわけだ。
さすがはヴァリアーが誇る殺しの天才、切り裂き王子(プリンス・ザ・リッパー)。
ニヤリと不敵に笑うと、ツナヨシは巻きついたワイヤーを片手で握り、炎を解放。
瞬く間にワイヤーは炎に溶けてゆく。
「あっ、ち」
熱はワイヤーを伝って持ち主へ。あわててワイヤーを切り離したベルフェゴールは、火傷でもしたのか手をふりながら悪態をつく。
けれど、体勢を立て直す猶予など、与えてやらない。
ツナヨシはそのまま一気に詰め寄ると、ベルフェゴールの足を払い、マウントポジションをとり、拳を彼の首筋に突きつけた。
「・・・ちぇっ、パスいち。ここまでか。王子、降参~」
ヒラヒラと片手をふり、口元にはチェシャ猫のような細い笑み。あいかわらず、ふざけた態度だ。ベルフェゴールの軽薄な、それでいて底が読めない口調に、ツナヨシは詰めていた息を吐き、ふっと笑う。
「よく言うよ」
「なんで?王子の負けじゃん。ししし、やっぱツナヨシ強えー」
「あのさ、そういう殊勝な台詞は・・・右手の武器どけてからにしてくんない?」
「あ、気づいてた?」
うしし、と今度こそ切り裂き王子は軽快に笑う。
確かにツナヨシはベルフェゴールの首筋、頸動脈を即座に掻き切ることができるが、対するベルフェゴールもツナヨシの急所を押さえている。いくらツナヨシでも腹部をえぐられれば、ひとたまりもない。
「生憎そういう血筋なもんでね」
憮然と呟くとツナヨシは、ベルフェゴールの上から体をおろし、傍らにドサリと座り込んだ。
「バレてたなら、しょうがないか」
ポイッとナイフを投げ捨て身を起こすベルフェゴールに、今度こそツナヨシは力をぬいて、そして不本意そうに顔をしかめた。
ツナヨシはことごとく、この血を嫌っているが、血はツナヨシを愛してやまない。
歴代随一とも称される濃い血は、ツナヨシに純粋でいて鮮烈な炎と、強烈な(それこそ時には意識が飛ぶほどの)超直感を与えた。
――――事実、血は絶えずツナヨシに囁きかけるのだ。
血と炎に愛されたボンゴレ・デーチモ。
イタリアマフィア界でも伝統、格式、規模、全てにおいてトップクラスのファミリーを統率する存在。ベルフェゴールのすぐ側に、だらしなく座りこんでいる、この小柄な青年がそれだと言うのだから、恐れ入る。
華奢な体に茶色の癖毛、琥珀色の大きな瞳、童顔の、甘い甘いお人好し。
じっと見られていることに気づきもしないで、痛みに顔をしかめたツナヨシは、シャツの袖をまくり上げると傷口を検分しはじめた。
鋭い切り口だが深さはない。事実、血もすでに止まりつつある。
この程度ならばこの後の執務に支障はないだろう。
そう判断すると、ツナヨシは流れる血をペロリと舐めとり、シャツの袖を破っては不器用に巻きつけていく。包帯を巻いたというより、もはや布玉と化した腕をげんなりと見やる姿に、ベルフェゴールは呆れ果てる。
(これが、ボンゴレ・デーチモ。さっきとは、まったく別人だぜ)
変わらずの激しい変化にベルフェゴールは困惑するが。
見つめる先、ツナヨシの唇には真紅の血。その艶めかしさに、思わず眼を奪われた。
ベルフェゴールの絡みつくような視線に、ツナヨシはキョトンと首を傾げて問いかける。
「何?」
「・・・血」
「血?」
そう血だ。血。血。血。ツナヨシの血。