Too Young To Fall In Love
「松浦君、待ってよ」
津野は松浦を追って、繁華街を走っていた。部活へ誘うためだ。
津野の通う蕪双高校サッカー部は、練習試合中に相手チームの選手が死亡した事故のために、2年間の活動自粛という処断を下されていた。今年から元日本代表だった堂島が監督に就任したというのに、公式戦はおろか、非公式の練習試合も禁じられたのだ。一年生の津野と松浦は、三年生の夏ごろまで、試合に出ることはできない。
サッカー選手を目指す者にとって、高校三年間の持つ意味は大きい。高校での活躍によって、実業団や大学からのスカウトが来るからだ。
あの事件後、多くの部員が辞めていった。本格的にサッカーをやっている者は、有力高校に転校していった。受験を控えた三年生はもとより二年生も退部するか、在籍していても部活に出てこない。いるのは津野の他には、高校からサッカーを始めた一年生部員が数人だけだった。
松浦も、部活に出てこない部員の一人だ。それでも退部はしていない。
その松浦に、津野は部活に出るように促していた。煩がられ、怒鳴り声で追い返される毎日だが、それでも諦めなかった。
堂島監督は松浦に惚れこんでいて、松浦がこんな状態になっても監督を辞めようとしない。いつか戻ってくると信じているようだった。
津野にも、諦めきれない理由がある。
「松浦君・・・」
繁華街の路地裏に消えた松浦の背中を追って角を曲がると、松浦が振り返って煩そうな顔をした。いつの間にか、隣には他校の女子生徒がいる。髪を明るい茶色に染め、化粧をした、派手な印象の女だった。
「またお前か・・・」
ため息混じりに、松浦が言う。
「松浦君、部活行こうよ。セットプレーの練習がしたいんだ。フォワードの君がいないと・・・」
「なんで俺が、お前の練習に付き合わなきゃならねぇんだ。他の連中とやりゃあいいだろうが」
「だって松浦君、レギュラーじゃないか」
「試合も出来ねえのに、レギュラーもなにもねえだろう」
松浦は吐き捨てるように言った。
「大体、試合もできねえのに、何のための練習だ?」
「三年になったら出来るよ!」
何度も、同じやり取りをした。松浦の言っていることはすべて事実で正しい。それでもサッカー部を存続させたい津野の主張と、諦めて投げ出した松浦の思いは、いつも平行線で、今後二人の考えが交わることがあるとは思えなかった。
だが、津野は、どうしても諦めたくなかったのだ。浦和の強豪と言われる学校からの誘いを断って、わざわざ蕪双に入学したのだから。
「津野よぉ」
松浦は、再び大きなため息をつきながら言った。
「お前も、他の高校に移ったほうがいいんじゃねぇ?そのほうが、セットプレーでもなんでも練習できるぜ」
それは、何もの人が津野に言った言葉だった。だが、蕪双を離れるつもりはなかった。
その理由が目の前で、津野に転校を勧めている。
やるせない、というより小さな失望感が、胸にすとんと落ちてきた。
「僕は・・・」
「ねえ、猛ぃ」
退屈そうな女の声が、二人のやり取りに割って入った。松浦が連れていた派手な女生徒だ。
「なんか、事情が込み合っているみたいだから、今日はアタシ帰るわ。また今度ね」
「えっ、おい、待てよ・・・」
慌てて引き留める松浦の声もむなしく、彼女は茶髪を揺らして去ってしまった。
女生徒の背中が繁華街の表通りへ消えてしまうと、松浦は津野の胸倉を掴んだ。
「おいこら、てめえのせいで女に逃げられたじゃねえかよ!せっかく口説き落としてホテルまで漕ぎ着けたっていうのに!」
「ごめ、あの、え、ホテル?」
津野はその段階になって気づいた。繁華街の裏通りはクラブやキャバレーが並び、さらにその奥はホテル街だった。この路地裏は、ホテル街へ続いている。
津野は、真っ赤になるのが自分で分かった。女性の経験が乏しく、こういう話題に免疫がない。
「津野、てめえよ、何だって俺に付きまとうんだ?」
自分より背の高い松浦に学ランの襟もとを引っ張られ、津野の体は軽く宙に浮いていた。足が地面を離れ、つま先立ちになっている。
目の前に、松浦の顔があった。怒っている。思わず目を閉じた。
「ごめん、僕、その、邪魔する気じゃ・・・」
「何で付きまとうのかって訊いてんだよ」
低い、迫力のある松浦の声。目を開けると、松浦の目と合った。高校生になっても子供っぽさが抜けない津野と違って、松浦は声も身体つきも男らしい。近くで見ると、髭も生えている。意味もなくどきりとした。
「だって、僕、松浦君がいるから、蕪双に入ったんだ。君は覚えてないだろうけど、中学で試合したことあって、」
松浦の視線を受けているのが、とても居心地が悪くて、目を逸らした。
「君が同じチームだったらなあって、思ってて・・・一緒にサッカーやりたくて、入ったんだ」
鼻先に、松浦の息がかかるのを感じた。こんなに近づいたのは初めてだ。そう思うと、何故か妙に緊張した。松浦の学ランからは、微かに煙草のにおいがする。
「だから、転校はしない。君がいないチームは意味がないから」
津野の襟を掴む松浦の手に、力が入った。殴られる、と、咄嗟に目を閉じた。
だが、覚悟を決めて待っても、松浦の拳は飛んでこない。あれ、と思ったのと同時に、津野の顎に何かが触れた。
・・・指?
松浦の指が、津野の顎を捕えている。目を開けると、視界がふさがる程近くに、松浦の顔があった。
予想外の事態に津野が驚いている間に、松浦は津野を突き飛ばした。津野の細い体が、よろけて壁にぶつかる。
「松浦君?」
「・・・ったく、何の告白だよ。ふざけやがって」
「え?」
松浦の言っている意味が分からなくて、津野は訊き返したが、それには答えず路地裏の奥へと去っていく。
「ま、松浦君、部活・・・」
「うるせぇ!俺は女に逃げられて機嫌が悪いんだ。殴られる前に消えな」
怒鳴られて、津野は思わず口をつぐんでしまった。学校と反対方向へ去っていく松浦の背中を黙って見送りながら、広い背中だな、とぼんやり考えた。顎に、松浦の指の感触がまだ残っている。
あれは、なんだったんだろう。なんで殴らなかったのかな。
松浦の声、息、煙草のにおい。そういえば髭も生えていたな、僕はまだなのに。同い年なのに、松浦はずっと大人っぽい。
そんなことを、なんとなく思い出した。胸のあたりがざわつく。
明日も、松浦を部活へ誘いに行く。彼が今でも退部していないのは、本当はサッカーがやりたいからだと、津野は確信していた。以前より喧嘩に明け暮れる毎日だが、それもサッカーができない悔しさからだ。
きっと、戻ってきてくれる。
今日は失敗したけど、明日は分かってくれるかもしれない。
明日も彼に会うのだと思うと、わずかに顔が火照った。
なんでだろ、変にドキドキする。
「・・・部活、行かなきゃ」
口に出して呟いた。そうすれば、胸のざわめきを振り切れるような気がしたからだ。
薄暗く、いかがわしい雰囲気の路地を逃げるように走り抜けながら、部室に着くまでに顔の赤みが取れていることを、津野は祈った。
END
作品名:Too Young To Fall In Love 作家名:いせ