おじちゃんと子供たちのための不条理バイエル
(……。)
やいやい言い合う連中をよそに、おじさんは指先でそっとグラサンの位置を直した。
あの子を前にこうしてまったく全然その気にならない人間がいるとしたら、それはもう相性というか好き嫌いの問題と言う他ない。
「……君とそのワンちゃんの間には、いつの間にか見えない絆が出来上がっていたんだな」
感慨深げにおじさんが言った。
「感情が定義として収束するんじゃない、紙切れ一枚の定義から生まれる感情だってあるってことさ」
「――、」
聞いていたにーちゃんが口元にふっと笑みを漏らした。
「……オイオイ、おっさんまでドヤ顔でイミフな語り始めたぞ、」
テーブルに張り付いて天パが声を潜めた。皿を抱えてもしゃもしゃチキンを食っているわんこの隣から、身を乗り出して少女が言った。
「おじちゃんはホラ、根がしんがー☆そんぐらいたー上がりですしおすし、」
「……。」
テーブル脇に突っ立ったままのメガネ少年は腿の上の拳をわななかせた。
――なんだよなんだよ、斜め上で楽しそうにわかり合っちゃってさぁ、どーせボクはイタいぽえむのひとつも満足に作れやしない、ただのドルヲタ地味メガネっ子ですよ、歯噛みする少年を置いてけぼりに、差し向かいに談笑するおじさんとおさげ少年の姿がやけに遠く薄っぺらいフィルムの中の縒れた映し絵めいて見え、たちまち胸の内側をどす黒く塗りつぶしていく粘性の感情に少年は我ながら眩暈を覚えた。……こんな鬱陶しいモノ、自分はそれを混じり気のない純粋の結晶だと疑いもせずマ夕゛オさんに擦り付けて平然としていたのか、
「――まぁ、というわけでおじさん、僕ら遠恋の上W不倫て形になっちゃうけど、それはそれでいい余興だよね」
カラカラ笑っておさげにーちゃんが言った。
「……は?」
訊き返したおじさんのグラサンがずり落ちそうになった。
「――、」
そのとき、メガネ少年のこめかみのあたりで何かが音を立ててブチ切れた。
――勝手なこと言ってんじゃねーよ、我を失うあれは引き金に過ぎなくて、本当のところ我慢ならなかったのは、おさげにーちゃんの身勝手さより己の図々しさの方だったかもしれない。
メガネ少年は突っ立ったまま手にしたコップの中身を飲み干し、テーブル越しのへらへら締まりのないニヤケ面目掛けて掴みかかった。以後の記憶は曖昧だ。
気が付いたら、身体中ギシギシ痣を作ってじむしょの布団の上だった。
――無茶だよシンちゃん、傍らでおじさんは半泣きだし、遠巻きに覗き込むおだんご少女もきゅんきゅん鼻を鳴らしてるわんこも、天パまでもが同情的だし、……ああそっか、売ったケンカにあっさり払い戻しKOされたんだっけ、
「……コークとちぇりおって、チャンポンにして飲むもんじゃないですよね、」
情けなくて、やりきれない気持ちばかりが募って、泣きたくて怒りたくてどうしようもなくて、少年は代わりにただ馬鹿みたいに声を引き攣らせて笑った。
+++
「……あ、おじちゃんほらあれにーちゃんの船、」
じむしょの窓から空を指差して少女が言った。
――またメガネくんの血圧上がるといけないから、見送りはいらないよと本人不在の隙にコワモテのおじさん(?)部下を引き連れてわんこの顔見に寄ったにーちゃんは笑って言っていた。
「へぇぇ……」
臨時の人手としてじむしょに来ていたおじさんは天を仰いだ。
どー見ても堅気とは思えない、ハッタリの効いたイカツい外装のゴツい艦船の一団が、ゴゥンゴゥンと空を埋めて遠ざかっていく。
「おにーさんの船って、おにーさんは厨房見習いか何か?」
あの腕なら警護団SPでもやれてそーだけどな、内職の手を動かしながら、乾いた笑いにおじさんが訊ねた。
「ウウン違うよ、確かあの船団の団長さんだって言ってたよ」
首を振って少女が答えた。
「ぇえっ?」
おじさんは絶句した。――そんな、まさかと思うがひょっとして聞き流していたVIP待遇のヘッドハントの話は本気のジョーダンでなくマジだったのか? だとしたら、ほんのグラサンの鼻先をすり抜けて行った魚のデカさにあまりに現実味がなさすぎておじさんはぐらぐら頭痛がした。
「きっ、君のにーさんて人は一体何者なんだいっ?」
こないだのメガネ少年との鮮やかなタイマンぶりといい、手を震わせながらおじさんは訊ねた。
「……さぁ?」
少女がおだんご頭を傾けた。
「ウチの家族、こじん主義な上に独立心おうせいなんで!」
「……団長なんつって、どーせチンケな珍走団かなんかだと思ってたぜ、」
呆れたように天パが言った。
「……」
ダン箱机の上で黙々と紙折りをしながらメガネ少年は無言だった。
――ああそうさ、ボクは自分の我儘でマ夕゛オさんが半ば手に入れかけていた幸運(悪運?)を望まなかった、頓挫すればいいとさえ願った、ボクにあのトンチキおさげ兄貴を責める資格はない、腕力でも甲斐性でも敵わない、一途を謳った己の思いばかりを振りかざして、マ夕゛オさんに固執するだけの今の非力な自分に。
夢幻と消えた魚影を嘆くより、おじさんはひとり敢然と人生の模索と挫折を繰り返す。
わんこはじむしょの片隅でン光年の彼方からたまに送られてくる絵葉書を眺めて物思いに耽ったり、かと思うと荒れ狂ったように齧ったりのしたりギッタンギッタンに踏み倒したり、ひとしきり気が済んだら噛み跡と涎まみれのそれをまた大事そうに前脚に抱えてスピスピお昼寝してみたり、メガネ少年はじむしょ唯一の良心として今日もキリキリ雑用をこなし、おだんご少女は長椅子にダベって無心に駄菓子を貪り、
「……。」
――そろそろデカい山当てねーとな、元が粗大ゴミの拾いモンなのに社長椅子の修理代も馬鹿にならなかったし、ついでにウチの阿呆がやらかしたファミレス備品の弁償もあるし、けいばしんぶん片手に天パおじさんは赤鉛筆で気怠そうに天パを掻く。
+++++END
やいやい言い合う連中をよそに、おじさんは指先でそっとグラサンの位置を直した。
あの子を前にこうしてまったく全然その気にならない人間がいるとしたら、それはもう相性というか好き嫌いの問題と言う他ない。
「……君とそのワンちゃんの間には、いつの間にか見えない絆が出来上がっていたんだな」
感慨深げにおじさんが言った。
「感情が定義として収束するんじゃない、紙切れ一枚の定義から生まれる感情だってあるってことさ」
「――、」
聞いていたにーちゃんが口元にふっと笑みを漏らした。
「……オイオイ、おっさんまでドヤ顔でイミフな語り始めたぞ、」
テーブルに張り付いて天パが声を潜めた。皿を抱えてもしゃもしゃチキンを食っているわんこの隣から、身を乗り出して少女が言った。
「おじちゃんはホラ、根がしんがー☆そんぐらいたー上がりですしおすし、」
「……。」
テーブル脇に突っ立ったままのメガネ少年は腿の上の拳をわななかせた。
――なんだよなんだよ、斜め上で楽しそうにわかり合っちゃってさぁ、どーせボクはイタいぽえむのひとつも満足に作れやしない、ただのドルヲタ地味メガネっ子ですよ、歯噛みする少年を置いてけぼりに、差し向かいに談笑するおじさんとおさげ少年の姿がやけに遠く薄っぺらいフィルムの中の縒れた映し絵めいて見え、たちまち胸の内側をどす黒く塗りつぶしていく粘性の感情に少年は我ながら眩暈を覚えた。……こんな鬱陶しいモノ、自分はそれを混じり気のない純粋の結晶だと疑いもせずマ夕゛オさんに擦り付けて平然としていたのか、
「――まぁ、というわけでおじさん、僕ら遠恋の上W不倫て形になっちゃうけど、それはそれでいい余興だよね」
カラカラ笑っておさげにーちゃんが言った。
「……は?」
訊き返したおじさんのグラサンがずり落ちそうになった。
「――、」
そのとき、メガネ少年のこめかみのあたりで何かが音を立ててブチ切れた。
――勝手なこと言ってんじゃねーよ、我を失うあれは引き金に過ぎなくて、本当のところ我慢ならなかったのは、おさげにーちゃんの身勝手さより己の図々しさの方だったかもしれない。
メガネ少年は突っ立ったまま手にしたコップの中身を飲み干し、テーブル越しのへらへら締まりのないニヤケ面目掛けて掴みかかった。以後の記憶は曖昧だ。
気が付いたら、身体中ギシギシ痣を作ってじむしょの布団の上だった。
――無茶だよシンちゃん、傍らでおじさんは半泣きだし、遠巻きに覗き込むおだんご少女もきゅんきゅん鼻を鳴らしてるわんこも、天パまでもが同情的だし、……ああそっか、売ったケンカにあっさり払い戻しKOされたんだっけ、
「……コークとちぇりおって、チャンポンにして飲むもんじゃないですよね、」
情けなくて、やりきれない気持ちばかりが募って、泣きたくて怒りたくてどうしようもなくて、少年は代わりにただ馬鹿みたいに声を引き攣らせて笑った。
+++
「……あ、おじちゃんほらあれにーちゃんの船、」
じむしょの窓から空を指差して少女が言った。
――またメガネくんの血圧上がるといけないから、見送りはいらないよと本人不在の隙にコワモテのおじさん(?)部下を引き連れてわんこの顔見に寄ったにーちゃんは笑って言っていた。
「へぇぇ……」
臨時の人手としてじむしょに来ていたおじさんは天を仰いだ。
どー見ても堅気とは思えない、ハッタリの効いたイカツい外装のゴツい艦船の一団が、ゴゥンゴゥンと空を埋めて遠ざかっていく。
「おにーさんの船って、おにーさんは厨房見習いか何か?」
あの腕なら警護団SPでもやれてそーだけどな、内職の手を動かしながら、乾いた笑いにおじさんが訊ねた。
「ウウン違うよ、確かあの船団の団長さんだって言ってたよ」
首を振って少女が答えた。
「ぇえっ?」
おじさんは絶句した。――そんな、まさかと思うがひょっとして聞き流していたVIP待遇のヘッドハントの話は本気のジョーダンでなくマジだったのか? だとしたら、ほんのグラサンの鼻先をすり抜けて行った魚のデカさにあまりに現実味がなさすぎておじさんはぐらぐら頭痛がした。
「きっ、君のにーさんて人は一体何者なんだいっ?」
こないだのメガネ少年との鮮やかなタイマンぶりといい、手を震わせながらおじさんは訊ねた。
「……さぁ?」
少女がおだんご頭を傾けた。
「ウチの家族、こじん主義な上に独立心おうせいなんで!」
「……団長なんつって、どーせチンケな珍走団かなんかだと思ってたぜ、」
呆れたように天パが言った。
「……」
ダン箱机の上で黙々と紙折りをしながらメガネ少年は無言だった。
――ああそうさ、ボクは自分の我儘でマ夕゛オさんが半ば手に入れかけていた幸運(悪運?)を望まなかった、頓挫すればいいとさえ願った、ボクにあのトンチキおさげ兄貴を責める資格はない、腕力でも甲斐性でも敵わない、一途を謳った己の思いばかりを振りかざして、マ夕゛オさんに固執するだけの今の非力な自分に。
夢幻と消えた魚影を嘆くより、おじさんはひとり敢然と人生の模索と挫折を繰り返す。
わんこはじむしょの片隅でン光年の彼方からたまに送られてくる絵葉書を眺めて物思いに耽ったり、かと思うと荒れ狂ったように齧ったりのしたりギッタンギッタンに踏み倒したり、ひとしきり気が済んだら噛み跡と涎まみれのそれをまた大事そうに前脚に抱えてスピスピお昼寝してみたり、メガネ少年はじむしょ唯一の良心として今日もキリキリ雑用をこなし、おだんご少女は長椅子にダベって無心に駄菓子を貪り、
「……。」
――そろそろデカい山当てねーとな、元が粗大ゴミの拾いモンなのに社長椅子の修理代も馬鹿にならなかったし、ついでにウチの阿呆がやらかしたファミレス備品の弁償もあるし、けいばしんぶん片手に天パおじさんは赤鉛筆で気怠そうに天パを掻く。
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作品名:おじちゃんと子供たちのための不条理バイエル 作家名:みっふー♪