So selfish.
So selfish.
ざわ、とどよめきが聞こえた。振り返ると、一人の女が背筋を真っ直ぐに伸ばして歩いて行くのが見えた。その足取りは、どこか怒気を孕んで見える。見ていると、その女は背の高い男を呼び止めて何か言い募っているようだ。
背の高い男はうんざりしたように対応していたが、それでもなお食い下がる女に折れたのか、槍を構えた。それを見た女は嬉々として双剣を構える。
人集りがその二人を囃し立てる。どちらからともなく駆け寄り、お互いの刃を打ち合わせる。澄んだ音が、辺りに響く。
眩しい。
見ていられなくなって、公孫勝は目を背けた。
「公孫勝殿」
女の声で呼ばれた。振り返ると、一丈青扈三娘が立っていた。額には、間抜けな赤い痣を作っている。
「なんの用だ」
「巾着を、見ませんでしたか?」
「巾着?」
「はい。鶴市松柄の、手のひらに収まる程度の大きさの巾着です」
「いや、見ていないな。見つけたら伝える」
「ありがとうございます」
「中身はなんだ?」
扈三娘が目を泳がせる。
「いえ。大したものではありませんので」
ふいと顔を背けて、立ち去ろうとする。なぜか、その背中に声をかけなければならない気がした。
「その、額の痣は」
扈三娘が足を止めて振り返る。
手で額を隠している。
「また、林冲にやられたか」
言うと、扈三娘は泣きそうに眉を顰めた。
「公孫勝殿」
言って、後悔した。
なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
紅も引かず、それでなお赤い唇が迷うように震える。そこから紡がれる言葉を待ったが、扈三娘は唇を噛み締めて立ち去ってしまった。
同じなのだ。自分も、あの娘も。
苦い後悔だけが、公孫勝に残された。
公孫勝が聚義庁の石段を上がっていると、小さな巾着が落ちていた。石段の隅にあったため、運良く踏まれずにいたらしい。
赤と白の市松柄に、金糸で鶴が描かれている。扈三娘が言っていた巾着とは、これのことだろう。
拾い上げると、中身など無いかのように軽かった。紅や小銭が入っている訳ではなさそうだ。
指先で巾着の口を開く。
中には、数枚の端布が入っていた。地味な柄、染まりそうな黒い無地。
こんなものを、なぜあんなに必死に探すのか。
指先で布をなぞる。柔らかな厚手の布だ。しかし、なんの変哲もない。きっと、彼女にだけ分かる意味があるのだろう。
公孫勝はその巾着を持って牧に向かった。
牧に着くと、真っ黒な影が牧の向こう側を歩いていた。既に陽は落ちて、星空が広がっている。黒い影を見つめていると、向こうもこちらに気が付いたようだった。歩み寄ってくる。
「公孫勝殿」
扈三娘だ。
「お前が探していた巾着、これで間違いないか」
投げて寄越すと、扈三娘は目を見開いてそれを受け取った。
「ありがとうございます、本当に、ありがとうございます」
「済まないが、中身は見せてもらった。あれは、何だ?お前の趣味か」
「いえ。私の、よすがです」
「よすが?」
扈三娘は、その胸に小さな巾着をぎゅっと押し抱いた。
「大切な人たちを、思い出すための」
細い指で巾着の口を開き、中の布を取り出す。地味な柄の端布を指先で挟んで、公孫勝の腕に当てた。
「これは、私を愛してくれた人の」
端布は、公孫勝の袖と全く同じ素材だった。致死軍の軍袍の端布だ。
それをしまい、今度は真っ黒な端布を取り出して自分の腕に当てた。
「これは、憧れてやまなかった人の」
その端布も、やはり扈三娘の軍袍に溶け合うように紛れた。
「他にも、たくさん」
色とりどりの端布が、巾着の中に収まっている。
「誰も、残らなかったのか」
「はい」
だから、存在した証明に。
「私は、お前が羨ましくて堪らない。いや、妬ましくて堪らない」
扈三娘が顔を上げる。
「私が女だったら、あいつは死ななかったのかな」
「私は、公孫勝殿が羨ましいです。最後まで、相手にされなかった私には」
「あいつは、勝手な男だったからな」
「そうですね」
「お前の額の傷も、いつか癒えるのだろう」
そうして、あいつの存在はどんどん薄れてしまう。
「公孫勝殿の右脚も、いつか癒えるのでしょう」
それでも。
娘は思い出のきれはしを。
自分は灯されたこころを。
ただ一つのよすがを胸に抱いて生きていく。
「本当に、身勝手な人でした」
「あいつに、お前のような部下がいてよかったと思う」
「私も、あの人にあなたのような人がいてよかったと思います」
思わず、笑みが零れる。
今まで苦手だったこの娘のことを、少しだけ悪くなく思えた。
「お互い、勝手な言い分だがな」
作品名:So selfish. 作家名:龍吉@プロフご一読下さい